上書き
金曜の夜、思いつきでスーパーファミコンを引っ張り出し、「ボンバーマン3」を1人でプレイした。
敵の強さに加えてステージが多く、特にたまにしか辿り着けない6面の難易度が異様に高いため、小学生の時には「絶対にクリアできない、できてもクリアに何時間もかかる」という印象を持っていたゲームだった。
そんなゲームを久々にプレイしたら、約1時間で、1度もミスをせずにあっさり完全制覇してしまった。
正直、ラスボスの微妙な強さに拍子抜けした。もう二段階くらい変身するかと思ってた。
そこで感じたのは圧倒的な寂しさ。
自分は小学生の時と同じゲームをプレイしても、小学生の時に味わった「ドキドキ感」「絶望感」を味わうことはできない。おそらく今後二度と。
当たり前のことだが、自分が小学生の時にプレイして苦戦し続けた「ボンバーマン3」はもう存在しない。
自分は時々刻々と変わり続けていて、そんな風に昔の自分を失う瞬間なんて気づいていないだけで、きっと毎日、毎分単位で起きているのだ。
それでも、ほんの偶然で、昔の自分を失う瞬間に立ち会った時、自分が失ってきたものの大きさを一気に感じて、計り知れない喪失感に襲われる。
これからもそうやって過去の自分を新しい自分に上書きしていって、成長であれ退化であれ、ともかく変わっていく。
その時に、例えば一昨日に書き留めたような、自分が絶対に失いたくない感情や主張を、現実に対する最適解としての変化の過程で、自分の中から失ってしまうことだけは避けたいと思った。
そういう当たり前の感情をすでに上書きしてしまった人というのが、きっと私の大嫌いな人にあたるのだろう。