ひとりごと access_time2016.01.22 20:01 update

自意識と自覚

 お久しぶりです。1週間以上も空いてしまいました。すみません。

 いや、ちょっと先週から今週にかけて普通に忙しすぎてですね……。

 昨年末は割と落ち着いていたバイト先の会社からの案件が結構連続で入ってきてるのと、個人的に請け負ったサイト制作の打ち合わせと、さらに大学が中間試験期間で、今週・来週にレポート2つ試験1つ。
 あと週1で中学生に勉強教えてるとか、その合間に美容院行くとか、他にもいろいろ詰まってるのです。とりあえず今週で一旦落ち着くはずなのですが……。

 そしてこう、時間に追われていて改めて気づく通学往復4時間の負担の大きさ。やることがないときは、暇な時間を通学中のアニメ観る時間に振り替えてるだけなんで別に気にならなかったんですけど、冷静に考えて1日4時間吸われたらそりゃ寝る時間も減るって……。

 そしてそんな中、買って10日しか経っていない手袋を落としました。死にたい

 手袋をよく落とすことに定評のある私で、だいたい1シーズンに2~3回落としてるような気がするのですが、「今年こそは大切にするぞー」と思ってちょっとデザインとかも気に入ったものを選んだのに、史上最速ペースで紛失しました。しかも片方だけ。どうしろと……。

 ……いや、しかしこれは逆に考えれば、同じものをもう1セット買えば予備が1つ生まれることに……!

 はあ。悲しいのでやめておきます。ていうかこういう時に限って雪降ってきたりとかほんとやめてほしい。

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 そういえばスプラトゥーンですが、とうとうブキ・ステージの追加がラストとなってしまいました。

 覚悟はしていましたが寂しいですね……。でも無料アップデートにいつまでも人員を割くわけにはいかないでしょうから、仕方ないところではあります。

 個人的には有料DLCでも月額有料制でも何でもいいので続けてほしいっていうかこのゲームにもっとお金を払わせてほしいとすら思ってるんですけど、まあ言っても仕方ないので次世代機の続編に期待しています。

 Wii UのSplatoonは、出た時点でゲーム機市場の趨勢はほとんど決着していたので、儲けることよりもとにかくIPの認知と普及を優先する戦略が取られていたように思えます。

 その結果がこの大ヒットだったので、もちろん喜ばしいことではあるのですが、半年間無料アップデートなどという慈善事業を今後のシリーズでも続けていくのは、企業としてはおそらくあり得ないので、次回作ではいかにしてファンを離れさせることなくビジネスに繋げるかも課題になってくるのではないでしょうか。

 ただでさえ任天堂がお金を儲けることを絶対許さない人たちがインターネットにはとても多いので、上手くやらないと炎上しそうで怖いところ。「前作はアプデ無料だったのに今回はお金取るのか!」みたいな批判になりかねませんからね。

 リスクヘッジとしてはSplatoonで直接集金するのではなく、PSやXboxみたくオンライン有料にするのが一番単純だけど、ファミリー層がメインの任天堂がそれやるのかなあ……?という気も。

 しかしNXの話は年明けても全然出てこないけどやっぱりE3なんですかねー。というかDirectを早く。

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 ……ええと、それで、1週間も放置してしまった、前回の記事について触れようと思うのですが。

 まあ、ねえ……。正直あの記事にこれ以上なにを付け足しても蛇足ではあるんですよね。

 逆に言うと、あの記事だけで完結させるために、上げる前に何度も読み直して推敲しまくったんですけど。

 客観的に見てあの記事がちょっと怖いなと思うのは、要するに「特定の異性にハマったストーカーの心理をストーカー本人が書いている」話なんですよねあれ。……そういう言い方すると一気に危険度が上がってくるけど。

 そういうケーススタディだと思ってもらえればいいかなと思います。そして怖いのは、こう、この件に関して完全に脳が溶けていることを自覚しながら、なおそういう状態を脱することができない私自身なのですが。

 心の動きがこうなることは読めていたのですが、それでも精神を安定させることはできないんですよねー。あの記事を書いた2日後の夢に件の相手が出てきた際の目覚めは地獄としか言いようがなかったです。そのまま自殺しかねなかった。何とか生きてますが。

 まあただ、1週間経ってその感情もだいぶ落ち着いてきました。考えてみれば、留学中にその熱が冷めたのも、時間としては1ヶ月程度のことで、だから1ヶ月連絡を取らなければ済む話なんですよね。たぶん。まあカナダにいる間は連絡取ってたんですけど。

 理性として正しいとわかることと、感情としてしたいこと・したくないことは違うし、後者はその時々の感じ方によって全く変わるのが難しいところで、私自身は割と後者の感情に重きを置いて何かを決断することが多いのですが、

 しかし今回のケースは絶対的に理性の方が正しい、というか、一時の感情に振り回された結果が去年1年の無益さだったので、こういう風になるのかなあ。というところです。

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 ところでこういうことを書くといつも、「メンヘラを自称してるやつはその時点でメンヘラじゃないのではないか」という命題に突き当たるのですが。

 実際、自分以外の人がどの程度自身のことを客観視しているのかということ を私は知らないので、あくまで私個人の見解として考えるしかないのですけれど、

 本当に思い詰めている人って「あ、いま私思い詰めてるなー」とか思わないんじゃないのかな、という。

 別にそれに限らず、例えば自分の知り合いのお葬式なんかに行った時に、もちろん悲しいはずなのですが、同時に「あれ、いま私悲しんでるのかな」みたいなことを考えるんですよね。

 逆に、友人と会ってゲームをしている時に、「あれ、いま私なんで楽しいんだっけ」みたいなことを考えたりとか。

 本来、感情というのはもっと直観的で、直情的でなければいけないような気がするのですが、私は常にそこから一歩引いた、というか、メタ的な視点で自分のことを見ているような気がします。自分が当事者ではない、もしくは、自分がそのシチュエーションの登場人物の1人であるような感覚。

 その結果、中学の卒業式の最中、周りの泣いている同級生がツボに入って爆笑してたこととかがあるのですが。もう5年前か…。

 で、そういうことを常に考えると、私のことをどう表現しても嘘を吐いているような感覚になるんですよね。もしくは、何もかもが例え話であるかのような。

 例の彼女のことで酷く落ち込んだ。とは言っているけれど、落ち込んだ、というのは誰の目線で誰のことを語っているのか。

 落ち込んだ本人が「あっ、いま私落ち込んでる」なんてことを考えている時点で、そいつ自身は至って平静ではないのか。「落ち込んでいる」のは自分ではない誰かなのではないか。

 ……こうしてみると、私がブログを続けていることは何も不思議ではないんですよね。だって、ブログがなくたって常に自分のことを、コンテンツとして遠くから見て、それを頭の中で言語化する作業をしているので、それをただ清書しているだけなのです。

 ただ、そうやって、自分の言動の1つ1つに、それをする理由の自覚が付きまとっていると、自分のしている何もかもが、一種のごっこ遊びのように思えてしまって、それを演じる自分がとても不純で、薄汚いような感じがしてしまう。

 だって、本当にメンヘラであるなら、私メンヘラだわーとか言う前にリスカとか自殺とかするべきなんですよ。いや、これは冗談でも何でもなくて。さらに言えば、ちゃんとリスカしてた人も見たことがあるので、そういう人と比べて自分のそれはファッションメンヘラというか、そういう自分を演出したいだけじゃないのか、とか。

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 その意味で、去年の4月からずっと悩まされたこの問題は、論理だけで割り切ることのできない自分の感情の存在を確かめられる瞬間でもあったのです。

 それが良いか悪いか、というのは別にして、その人に会うたびに、合理性の全くない感情の動きと、合理性の欠片もない行動があった。

 苦しいという言葉が先にあって、そこに自分の感情を合わせていくのではなくて、説明のできない感情が先にある状態。だからこそ、ここまで拗れてしまったとも言えるのですが……。

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 説明のできない感情、という意味では、Splatoonも同様のもので。

 ガールズモードとか、どうぶつの森とか、あとはアイドルのライブとか……そういったものは、「楽しいに決まっているもの」で、「お金を払ったのだから楽しまなくてはならないもの」で、そういう事前のフレームの中で、楽しんでいる自分を見つめている部分があったのですが、

 スプラトゥーンはそういう感覚を抜きに、楽しい。楽しんでいる自分のことが見えないくらい楽しい。

 そういう「頭を空っぽにして、ワンクッションを置かずに行動できる瞬間」というのは私にはなかなかなくて、だから「もっと肩の力を抜いてみればいいのに」と言われたりもしますが、まあ、それができないからこうなってるのであって……。ただ、そうならないこともある、ということがわかったので、何よりもそのことにスプラトゥーンには感謝しています。

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 それをしている最中は、それで正しい、これをすることが楽しい、良い方向に向かう、そんなことを考えていても、やっぱり終わってみると悔やんでしまう。それはもうそういう性格なので仕方ないんだと思うのですが、

 ただ、その最中だけは楽しんでいられるので、常に新しい環境に身を置き続けるのが正しいのかなあと、少し考えています。

 今になって、2015年のことを振り返ると、いろいろと失敗してしまったことや、もっと上手くできたかもしれないことが、たくさんあって、凄く辛いのですが、

 それは全て終わったからこそ感じることであって、留学にしろバイトにしろ、その最中はとても楽しくて、充実していると思っていたので、

 今そういった何もかもに対して悲しさや後悔を覚えてしまうのは、今が何もしていない時期にあたるからなのだろうなと。

 同じことの繰り返し、変化も刺激もない日々にいると、いろいろなことを考えて、思い悩んでしまう。

 目の前のことに集中していられる時間だけが、それを忘れることができて、留学中は、その日々の全てに集中しているだけで十分に充実した時間だった。

 それに対して今は本当に惰性で過ぎていく毎日なので、もっと自分を追い詰めて、追い込まなければいけないな、と考えています。

 今の私に何らかの価値があるとすれば、他の人にできないことができるから、または、他の人のしていないことをしているからであって、何もしなくなれば本当に何の価値も魅力もない、いくらでも代わりがいる存在なので、ちゃんとしなきゃなーと思います。頑張ります。

 ……いや、問題は、今の私は惰性で生きてますけど、惰性で生きてるだけで1日終わる程度には忙しいんですよ。冒頭に書いた通り。こっちから頼んだわけでもないのにお仕事が多い。いやありがたいことなのですが。

 それをこなしているだけでもお金も入るし、暇にもならないのだけど、

 それをこなしているだけで残りの大学生活を終わらせたくないなあ、という思いが最近強くなってきたので、どうにかしようと思ってます。近いうちに……。たぶん……。

 ……いや、いろいろと準備していることもあるのですよ。まだ言いませんけど。

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