if I can / if I do
お仕事が再び修羅場へ。
いや、前回、「急ごしらえで何とか終わらせた」的な話をしたのですが、あれは要するに「見かけだけちゃんとするためにハリボテを間に合わせる」作業で、
ここから、今まで作った20ページほどを全てWordpress(サイト管理システム)を利用したページに置き換える作業が待っているわけです。これが事前に予測していたよりもだいぶ重たいことになりそうで……。
これを、最初からWordpressで作れていればもっと単純な話ではあったのですが、時間もなく。そして私自身がWordpressについて全く詳しくないので、後回しにしたら、さらに大変なことになったという、昔話のような展開というわけです。まあ、頑張ります……。
というわけで問題はこのブログのWordpress移行作業がまた後回しになりそうなことなのですが。まあ、夏休みだし、時間はたくさんあるはず……。
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この3か月間、個人的にかなり楽しみにしていた番組、『ご本、出しときますね?』が先日最終回を迎えました。
『ゴッドタン』『ウレロシリーズ』などを手掛けるプロデューサー・佐久間宣行さんによる、オードリー若林さんとゲストの小説家と3人でトークを繰り広げる番組だったのですが、
とにかくトークが面白い。単純に笑える話から、真面目で考えさせられるような話まで。作家という、普段から物を他の人と違った見方をしている人たちの考えを覗くことができる、貴重な番組で、毎週楽しみにしてました。
最終2話は西加奈子さん・角田光代さんを迎えての前後編だったのですが、なんと2話ともネットで特別配信中です。今週金曜までなので、ぜひ。
前編 http://tver.jp/corner/f0004816/
後編 http://tver.jp/corner/f0004931/
で、この番組に対する感想とかいろいろありすぎて、むしろブログで今まで触れなかったことを後悔しているのですが、
少し引用したくなったのが、上に貼ったうちの「前編」の6分頃の話題で。
角田さんが仕事をあまり断らない、というエピソードが紹介されて、理由を問われた時の答えが、
「『やりたいかやりたくないか』ということがあるとわからなかった」。
それを聞いた時にハッとさせられて、私も似たようなところがあるなーと。
というのも、今の私は、大きく分けて5種類の団体とお仕事をさせてもらっていて、
・メインの企業バイト(動画編集とサイト制作)
・中学生の弟の友人に勉強を教える(主に英語)
・今年頭に作ったサイトの更新・保守と、そこに載せる記事(英語記事の翻訳)
・大学内のバイト(動画編集)
・昨年作ったサイトの更新(だいたい月1)
なんですけど、ぶっちゃけた話、お金としては一番上だけで十分なんですよ。だって5月も6月もそれだけで60時間働いてますし。
それでもこんなにいろいろ抱えてるのは、やっぱり「頼まれたら断れない」からで。
そして、さらに言えば、私がここまで仕事を受けられるのは、友達がいないしサークルも少ないしで時間が余っているからだ……と、最近までは考えていたのですが、
それも違うのではないかと思い始めていて。
というのも、私は、「時間が足りない」って思ったことがあんまりないんですよね。「遊ぶ時間がない」とかは、あるのですが。
つまり、3時間かかる仕事を明日までに、と頼まれたら、睡眠時間を3時間減らすだけじゃないですか。
もしくは、睡眠時間1時間とSplatoonの時間を2時間減らすだけかもしれませんが。
実際、少し前に、24時まで友人と鳥貴族で飲んで、帰宅してから2時間仕事して寝たこととかありましたし、
たぶん、毎日会うような友人であったり恋人であったりが仮にできたとしても、仕事を減らすという選択肢はないんじゃないかなぁと……。あ、学内バイトは減らすかもしれませんが。
逆に、これだけ仕事してても、授業を切ることも基本ないし。それこそこのブログに何時間もかけてるし。
なんでしょうね。こういう書き方をすると「タイムマネジメントが上手い」みたいに思われるのかもしれませんが、実際は逆で、タイムマネジメントが全くできないので、
とりあえず、何時間かかるのかもよくわからないけど、できるから、受ける。と、それだけなんですよね。
まあ、それも、やっているバイトがどれも自分の好きなことだから、という単純な話だったりもするわけですが。
イベントスタッフとか動画撮影とか、頼まれても全部断ってるのは、単純に「できないこと」だからなんですよ。能力的に。
その意味で、自分の「できること」がこんなにいろんな人から重宝されている、というのは、ありがたいことだなあ、とも思うのですが……。
お仕事をしている時間というのは、それだけ誰かに必要とされている時間なので、やっぱりそれは嬉しいし気持ちいいことです。
特に、このブログで何度も書いてきたように、中学・高校の頃に、誰からも必要とされない時間を過ごしてきたこと、それによる自己評価の低さが、どうしても強く出られない理由なのだろうなと。
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……と、それはそれとして、最近さすがにちょっとキャパシティオーバーなのかなあ、と、ちょっと思うことがあります。
5つの相手と同時に仕事をしているということは、私が全体としてどれくらい忙しいかを知っている人が誰もいないということなんですよね。
これがたとえば肉体労働とかだと、「これ以上は動けない」みたいなラインがあるのかもしれませんが……PC作業というデスクワークだと、あんまり限界がないですよね。12時間とか余裕で働き続けていられると思います。
こうやってブラック企業とか過労とかが生まれるんだろうなーとぼんやり思ったりもしますが、そのあたりは考えないことにします。少なくとも時給制である限りは、働いた分だけ返ってはくるので。
しかし、どちらかというと、これだけ働いていることがほかの幸せに全然つながっていないことかもしれないです。相変わらず友達もいないですし。
「友達なんかいらない時期」と「友達がほしい時期」が、だいたい3ヶ月くらいのスパンでどうやら来るらしくて、
ちょうど4~6月あたりはそんな感じで、仕事とWebの勉強が一番楽しい時期だったのですが。
ちょっと最近いろんな ことがあってですね、大変です。
まあ具体的に言うと、私的には年1くらいのビッグイベントなのですが、男女混合の飲み会に参加しまして、なんでしょうね、ああいう空間における私という人間の無価値さを改めて突き付けられたというか……。
昨年も、特に夏頃に仕事がめちゃ忙しくて、そこで得た自信というか、自己存在の肯定を、現実世界に当てはめていろいろやって次々に失敗して、その最たるものが今年1月の同窓会のアレなのですけど、
それが、初めてWordpressサイト制作を経験した春休み以降、今までよりもう一段仕事が忙しくなって、
そこに就活ガイダンス/インターンシップなどという、私の中で切り離されていた「大学」と「仕事」が混ざり始める機会があって、
またも自己存在の過大評価を知らず知らずのうちに起こしてしまっていて、要するにまた調子に乗っていたなあと、そういう思いを抱いていて、
私がどれだけスキルを身につけようとお金を稼ごうと就活が始まろうと、私がプライベートで付き合う人間として無価値であることは揺るぎなく、そんなことさえ定期的に忘れてしまうわけですが。
そうやっていろんな人から嫌われたりしていくんだろうなと、そういう自己嫌悪です。
そんな話を1月にも書いていたのに、すぐに忘れてしまう。
なんでしょうね、私にとって、Web制作とか動画編集って、全部趣味のもので、プライベートと不可分なのですけど、たぶん普通の人からしたらそれは仕事のスキルなんですよね。
わかりやすく言えば、サッカーができたりバンドのボーカルやってたりしたらモテるけど、勉強ができたり計算が速かったりしてもモテないじゃないですか、
そういう価値観の中で、Web技術は後者に当てはまるんだとすると、自分がエネルギーを注いできたベクトルがそもそも間違っていたんじゃないかと、そういうことになるわけです。
まあ、サッカーできてもそれでお金を稼ぐことはできないので、その意味で自分の選択が間違っていたとは思わないんですけど、でも、うーん。他人と同じように、好きなことをやってきただけなのが、好きなことの序列化というか、振り分けというか、そういうものによってむしろ遠ざかっていく、という、そういう感じの……。
なんだかすごくもやっとした話になっちゃいました。
いや念のため言っとくと別にWeb制作がdisられたとかそういうことじゃないんですよ。むしろ褒められたんですけど、その話をするごとに距離を置かれる感覚というか……私としては「サークルの発表会がうまくいった」とかそういう話題と同じくらいのテンションで受け取られるような話として受け取ってもらいたいのだけど。まあ、無理ですよね。
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そういえばこの記事のタイトル、「if」がダブルミーニングになってるんですよ。「もしも~なら」という接続詞のifと、「~かどうか」という間接疑問文のif。
英語をそれなりにやってきて思うのは、「1つの単語に複数の意味がある」と捉えているのは第二言語として学習している人だけであって、ネイティブからしたらどっちも同じなんですよね。
例えば、日本語でも、「~していく」と「~しに行く」で、全く違う意味になって、たぶん日本語学習者はキレてると思うけど、日本語ネイティブからすればこの2つの文に同じ「いく」という単語を使うのは何の違和感もないし。
英語の「by」に手段と場所と行為元の意味があるのも、日本語の「~で」に手段と場所と理由の意味があるのと同じだし。
そういう見方をすると、高校の頃、「if」という単語になんで2つの全く違う使われ方があるのかと、疑問に思っていたのが、
今回のタイトルのような、「どちらの意味でも当てはまるシチュエーション」に遭遇すると、「ああ、こういうところから意味が分岐していったのかな」と納得できて嬉しかったりします。
……あ、実際の語源がどうなのかとかは知りませんが。