物理の世界で生きる
何をするべきかがわかった瞬間に、そのことが成されてほしい、と思うことがよくあります。
結果がわかっていて、過程もわかっていて、それなのに結果のために過程に費やす時間って何の意味があるんだろう、と。
例えば、駅を出てからお店に入るまでの歩いている時間とか。
ポケモンで使ってみたいポケモンとその型を決めてからの厳選と育成とか。
駅を出て、向かう店が決まっているならその過程はスキップしたい。ゲームのムービーシーンみたいに。
特に、その時間がそのまま結果に結びつかないかもしれないものが嫌いです。
ゴールが見えているので行き方で試行錯誤する時間。
Splatoonはそこが綺麗に設定されているゲームです。GamePadをタッチしたらオンラインバトルに行ける。装備変更ができる。わざわざマップを歩かされない。素晴らしい。
これらが小さい例です。
もっと大きな例で。
受験勉強。どうしても最後まで身が入らないままでした。
それは、勉強したからって入れるかどうかわからないから。
やったことが100%報われない、やっても無駄になるかもしれないことをやりたくない。
だから大学でもテストよりレポートの方が好きです。絶対にやってきたこと100%を持って行けるから。テストよりはプレゼンテーションの方がまだ好きです。
筋トレ。
筋トレしたって体力が付く「かもしれない」だけなのに、そのための努力って。
そんなランダムなパラメータ上昇を続けて、しかもそれがうまくいった後の結果も見えてるわけですよ。結果が見えてて過程も見えてて、なのに過程がどれだけ続くかわからない。どういうモチベーションでやればいいのか、って思ってます。
でも、走って息切れするとそれもムカつく。なんでイメージしている通りのことにならないんだろう、って思う。
10分走り続ければ間に合う、っていう計算があって、10分で間に合わないとムカつく。
小さいころから書写・書道の授業が嫌いでした。
筆なんていう自分の思い通りにならないもので、イメージしたものが具現化できるわけではなくて、でも最終的に書くものは一緒。何の意味があって何を努力しているんだろうって思う。
小3の時からワープロに魅力を感じて、それから今に至るまでずっとキーボードで何かを書くのが好きなのは、そういう理由です。
筋肉の疲れで字が乱れたりしない。思ったことがそのままアウトプットされる。後から順番を入れ替えたりもできる。思考に直結する。紙はそれができない。物理法則に縛られているから。
コンピューターは全てが思い通りになる世界。設定されたルールが誰に対しても平等で、明確。
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現実世界でスマホを落としたら、壊れたり壊れなかったりする。
それでスマホを落として壊れたら、なんでだよって思う。
それは確かに自分に責任がある、落とした自分が悪い、けど、
その行為をしたことで100%起きると限らない問題を発生させたことの責任は100%私にあるのか?
自分の責任じゃない、って思ってしまう。自分の責任なのはもちろんわかるのだけど。
例えば授業中の居眠りとか。前日寝てなかったから寝ちゃった、ならまだ納得もいくけど、
別に睡眠時間が足りてなかったわけでもなく、起きていたいというイメージがあって、それで寝ちゃうのは、原因と結果が対応してない。
それで怒られるのが納得いかない。納得いかないだけで別に反省はするけど。「こうしたら起きていられる」みたいなルールがないんだから、起きていられないのは仕方ないじゃん、って。
だったら、その行為をしたら100%、100回やったら100回同じ結果が返ってくる世界で責任を取っていたい。その方が心地が良い。
原因と結果が対応しているものが好きです。
だからプログラミングが好きです。
こういうコードを書いたら動く、こういうコードを書いたら動かない、っていうことがはっきりしてる。バグがあったら動かない。「コードは合ってるけど気温が昨日と違うから今日は動かない」なんてことはない。
コンピューターはデジタル。デジタルは良い。
スポーツは同じインプットに同じアウトプットがないからつまらない。サッカーとか。ボールの蹴り方なんて全然言語化もされないし。
最近でもないけど、そんなことを考えています。
不可視なパラメータに自分が左右されたくない。論理の世界に生きていたい。
そうはなり得ないけれど、そう思う。
それだけです。
ブログに書くほどのことでもない気がするけど、書きたかったので書きました。どうせ毎日更新だからすぐに流れるはず(明日更新できるかはまた別)