笑いのカイブツ
『ご本、出しときますね?』をKindleで買ったことをきっかけに、最近あまり使っていなかったKindle Paperwhiteを久々に引っ張り出してきました。
そしてふと、Kindleを持っているプライム会員は月1冊無料で本を読めるサービス「Kindleオーナーライブラリー」の権利を完全放置していたことを思い出し、
何となく対象の本を眺めていたら、偶然以前から気になっていた本を見つけたので読みました。
それが『笑いのカイブツ』という本です。
人間関係が極度に不得手のため、孤独な日々を送る青年は、「お笑い」に生きることを決意する。
青春のすべてをテレビや雑誌の投稿企画に費やし、ネタ出しはどんどん加速。ついには日に2000本のボケを作るようになり、深夜ラジオでは広く知られる「伝説のハガキ職人」になるが――。
という、ケータイ大喜利やラジオのネタ職人に全てを捧げた人の話。
どこまでがノンフィクションなのかということは一旦置いておいて、恐ろしいほどに心を掴まれる文章でした。
ケータイ大喜利で評価され、吉本で作家になるも、上の人に媚びる人ばかりが出世していき、人間関係を無視してお笑いだけに没頭した筆者は全く評価されず、追い出されてしまう。その後もうまくいかないことが続く。
筆者の自伝でありながらも、時間軸が前後するので、半ばフィクションのようにも感じられますが、
ずっとやっていればいつかは報われる、なんていうおめでたい話ではないところに、やはりこれは現実なのだと、圧倒的な説得力を持って伝えてきます。
「他の能力がなくて人間関係の能力がある」人は、いくらでも取り返しがつくのに、
「人間関係の能力がなくて、他の能力がある」人はどうやっても出てこれないようになってしまっていることで、
コミュニケーション能力なんていうたった一つのパラメータが、全ての人間に備わっているべきベースであって、それがない人はその時点でスタートラインに立たせてもらえない。
圧倒的な才能が、圧倒的な人間関係の不得意さによって0点にすら満たないマイナスを付けられるという、悲惨な物語が、それを訴えてきます。
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やりたいことだけをやって、その力だけで他を黙らせる、という考え方には、2つの段階があると思っています。
この本のテーマであるお笑いを例にするなら、
「お笑いがやりたくてこの世界に入ったのであって、クソみたいな人間関係や下働きなんかがしたかったわけではない」
「自分は他人より優れているから、下のレベルの人に合わせなくていい」
というのが第1段階。
そのうち、ほとんどの人は、その考え方でうまくいかないことに気づいて、「クソみたいな人間関係を築くことも大事だし、それが巡り巡ってお笑いにも繋がる」ということを受け入れていくでしょう。
ところが、どうしてもそれができない人がいる。その人たちだけが、
「自分は他の人より劣っているから、上のレベルの人に合わせることができない」という、もう1つの結論に辿り着く。
でも、「しない」と「できない」はどう違うのか。誰がそれを区別するのか。
誰も区別できないのを良いことに、
この社会は、コミュニケーションが「できない」人なんていない、いるのは「したくない」人だけだ、という暗黙のルールの下で動いているけれど、
本当に「できない」人はいる。
そういう、本来なら当たり前のことを認めてくれる人が、この本の中にも何人か出てくる。残念ながらそれでも著者は救われないのだけど、
でも、私自身も、そういう人に出会ったらちゃんとできないことを認めたいし、自分ができないことをできないものとして認めてくれる人に出会いたいと思いました。
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この本に出てくる番組や芸人の名前は、ケータイ大喜利以外は直接出てこないけれど、
それがオードリーの若林さんであることは、少し調べればわかります。インタビューとかで。
この本の中にもその話が出てきます。『笑いのカイブツ』は徹底して著者の主観なので、それを補完するものとして一緒に読むとまた違った発見があります。
もちろん『社会人大学』自体もとても面白い本なので、両方おすすめです。Kindle版ないのはクソだけど。
ただ、本当は『笑いのカイブツ』を読んでからこちらの『社会人大学~』を読んだ方が良かったな、と思いました。
ノンフィクションにネタバレもクソもないけれど、社会人大学の方を先に読んじゃうとどうしても結末がわかってしまうので。