ひとりごと access_time2020.04.13 01:05 update

不要論

 4月が10日経ちました。喜ばしいことですね。

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 期間限定のアイス ムース カラメル ラテ。スタバが全店休業になる直前に滑り込みで飲みました。美味しかったです。

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 家で仕事している中で一番のストレスがスタバのドリンクを飲めないことです。もうスタバなしでは生きられない身体になってしまった。テイクアウトだけでいいから再開してほしい……。

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 赤い公園新曲。

 新アルバムが楽しみですね。いい加減仕事中に流す音楽に飽きているので新しい供給があるのはありがたいです。

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 新アルバムと言えばでんぱ組も。

 この曲だけ楽しみです。

 4/22にはヒトリエのベストアルバムも出ますね。待ち遠しいです。

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 上の赤い公園のはPlay Music待機ですがこちらはさすがにAmazonで予約しました。Blu-ray欲しいですからね。

 まあ最近ずっとヒトリエ全曲プレイリスト流してるのでベストアルバム自体はお布施でしかなく、ローリンガール1曲狙いなのですが。

 Twitterのショート動画観ましたが、あのクオリティの音源でローリンガール収録できるなら他の未音源化ボカロ曲もまとめて入れてほしかったという気持ちも……。

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 ラジオは結局オードリー、ハライチ、ヨブンのことだけに戻ってしまいました。

 オードリーANNの時事問題に一切触れないスタイルがこういう時は本当にありがたい。インコの話で爆笑してしまいました。正直世間話的な意味での導入すらしんどくなってしまう。

 その意味で佐久間Pの「大人のラジオだから時事問題に触れる」というスタンスはきつくて聞けなくなったというのが正直なところ。アルピーも。ヨブンのこともちょっとだけ飽き気味。


 少し時間が経ってしまいましたが『日向坂で会いましょう』の井口眞緒さん卒業回がとても良かったです。スタッフの愛に溢れていました。

 井口さんにしろ柿崎芽実さんにしろ、もっともっと見たかった、という思いは当然あるものの、

 一方であの大きく印象の変わった姿を見ると、アイドルという職業、まだ若い女性たちがああいう環境に居続けることの負担の大きさや残酷さを思い知らされます。2人とも長い休業期間を挟んでの卒業だったということもあって、余計にそれが強調される出演になってしまうのでしょうけど。

 そもそもスキャンダルが直接の原因ではあるにせよ、それ以外に嫌なことが一つもなかったのであれば多少無理をしてでも戻ってくるという決断をしたはずだし、そういう道筋をスタッフやメンバーが用意していた中での卒業だったわけで、

 だからこそ最終的にそれが本人の決断であることもまた間違いなく、止める権利もないのだろうなと。


 『あちこちオードリー』時間帯が変わっても変わらず面白いです。いわゆる第7世代の中でも、霜降り明星とEXITの次世代スター感は頭一つ抜けてますね。どちらも苦労してきた時代があるというバックボーンも強い。

 『ドリームマッチ2020』観ました、全体的に期待を上回らなかった気がしますがまあドリームマッチってそういうものですよね。オードリーはボケとツッコミを逆で組ませた方が面白かった気がしなくもない。いろいろ説明ができないので無理ですが。個人的には小峠×せいやコンビが優勝でした。

 あとは『ロンドンハーツ』『アメトーーク』とか。何だかんだ家にいるからといってあんまり観るもの増えてないです。

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 先週はブログは書いていないのですがブログの調整は地味にずっとやってました。

 Surface記事の内容を充実させたり、ブログカードのデザインを変えたり、PageSpeed Insightsのスコアを改善させたり。こういうのやっていくとキリがないけど楽しいですねやっぱり。料金も良い感じに安定してきたしちょっとずつ改善を進めています。とはいえいい加減ちゃんとコンテンツを拡充させないと……。

 あ、コンテンツと言っても溜まってるレビュー記事を4個くらい書きたいなというだけなのですが。何だかんだ家にいてもそんなに記事が書けない不思議。

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 コロナの話題を見るのがあまりにも精神的に嫌すぎてTwitterをアンインストールしてYouTubeのおすすめに出てくるニュースチャンネルを全部ブロックしたらそれなりに精神の平穏を得られるようになりました。なので最近感染者がどのくらい増えているかもよく知らないです。どうせテレワークで家から出ないのでどこで流行ってても関係ないですし。医療関係者と政治家の方々でどうにかしてください。無理だと思いますが。

 Twitter、ここ数年ずっと、見てても嫌な気持ちになるだけだし消したいなあと思いつつも、

 鍵アカの方でTLを見ることだけは止められなかったのは、数人の友人の近況を知る手段がなくなるのと、テレビ関係とかの面白い話題をTwitterで発信している人が多くて、その人をウォッチングすることを止めると途端に面白いエンタメの情報が追えなくなるし、特にTVerやradikoのような1週間遅れると見逃すタイプのエンタメを見逃すのが勿体なかったからなのですが、

 今はどうせ年1で会うか会わないかみたいな人しかいないからTwitter見てても見てなくてもあんまり変わらないし、テレビもラジオもそんなに楽しみにしていないし既に知っているものにしか興味がないのですっぱり止められましたし全然困らなかったです! コロナが終息してもTwitterは戻さないと思います。

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 wowakaさんが亡くなってから1年が経ちました。

 4/5のことは言うまでもなく意識していたし、ちゃんとした記事の形で触れようと最初は思っていたのですが、6月の追悼会9月のHITORI-ESCAPE11月のBlu-ray発売と、何かあるたびにその話をしてきた中で、

 別に何らかの刺激を外部から受けたわけでもないこのタイミングで内側から何かを発信しようとしても、記事という形で起承転結を作ることができないなと思って止めました。


 私の中では4月5日という日付にはそんなに思い入れがなくて、どちらかというとそのニュースが流れた4月8日の印象が強いのですが、

 ともかく1年前、wowakaさんの訃報を聞いた時に、自分は元の日常に戻れないだろうと思いました。

 自分にとって最も大切な存在で、10代の頃からずっと追いかけていて、初めて買ったアルバムであり初めて行ったライブでもある、そういうアーティストが突然亡くなって、

 それは間違いなく自分の人生を根底から変えてしまうようなものであるはずで、そういう存在が死んだという事象を抱えながら何かを楽しんだり何かを面白がったりすることはもうできないだろうと思ったし、

 スタバの新商品楽しみとか、オードリーANN面白いとか、新しいSurface買いたいとか、彼女が欲しいとか、お金を貯めたいとか、そういう人間としての快楽を求める気持ちも湧かないだろう、その快楽を得る瞬間にも常にwowakaさんのことが頭を過って楽しめないだろうなと思ったし、

 誰かを悪く言うことは常にそれを一生後悔する可能性と表裏の関係にあると思い知らされた後でなお誰かに悪意を向けるような気には到底なれないだろうと、そうなっている未来の自分を想像することすらできませんでした。


 でも実際にはもちろんそんなことはなく、私はwowakaさんの死を経験した後でも普通に生きているし、仕事も全く休んでないし、オードリーANNも毎週聴いているし、マッチングアプリ登録したりとか、Surfaceを半年で3台買ったりとか、人間としての欲求に非常に忠実に生きています。だから「自分はwowakaさんのことをこの1年ずっと引きずっています」みたいなことは言えないですよね。ただの嘘なんで。

 ヒトリエの楽曲は今でもずっと聴いているし何なら一時期よりも頻度は上がっていると思います、そしてこれからもそれは続いていくんですが。

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 wowakaさんのことがあってから、自分の周りの人であるとか大切にしているものが突如としていなくなる、奪われる、当たり前に続くと思っていることが当たり前ではないことを思い知らされることへの恐怖、または「どうせそうなるに決まっている」という諦観、もしくはそういう事態に対するアレルギー、みたいなものがすごく強くなっていて、

 人生の中で常に最悪に近い想像をしているし、そういうことが実際に起きるということを前提に、そういう事態が起きたとしても自分が乗り越えられると思えるギャンブルしかしない、

 もしくは、どんなことがあっても容易に維持可能であると思われるもの以外に依存しないことにできる限り尽力して生きてきたつもりだったのですが、

 だからこそ、今の、こういうさすがに想像するのも無理だろうみたいな事態を突き付けられて、さすがに維持可能だろうと思えるもの、毎日スタバに行けるとか、知り合いに毎週会えるとか、そういうレベルのものすら奪われてしまうともう何もする気がなくなってしまいますね。


 何もする気はなくなるんですけど、だからといって別に今すぐ自殺とかできるようなメンタルの強い人間でもないので、許された範囲で嫌々生きていくしかないし、そういう中でネガティブになっていても周りの人にそれを伝播させるだけで何も良いことがないというのはわかっているのですが、頭でわかることと実際にできることは違うし、そもそもそこで論理的思考で頭を切り替えられるような精神状態じゃないからこうなってるわけであんまり違いはないのだよなあとも。

 周りの人が死ぬことに対する恐怖としてはちゃんと教訓として受け取っていますが、自分が死んでも良い人間であるかどうかという話に対してwowakaさんのことってあんまり関与しないんですよね。私は別に曲作ったりライブしたりしてないし。こういう好きな人より嫌いな人の方が多いブログをやってむしろ不快感を与えてるだけなので。

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 ……みたいなことを一般論としては考えつつ、現実問題としてはいま自分が死ぬと困る人が多少はいるらしいので、それが嘘ではないということに縋るしかないのかなあという感じです。


 結局こういう話って自分の感覚に落ち着いてしまうというか、「自分が誰かから必要とされている」みたいなのって、客観的にはかけがえのない人間なんて別にいないじゃないですか。

 例えば、自分は今の会社でそれなりに頑張ってるんじゃないかと思いますけど、だからといって今私が死んでも勤務先は潰れなくて、誰か代わりの人を雇うだけだし、だからいくら自分が会社に対して貢献していても、それを以て「自分は必要不可欠な人間である」とは言えないわけで。

 ということは、極論どこまでいっても「いなくてもいいけれど、どちらかといえばいた方が良い」にしかならないわけで、その「どちらかといえば」の閾値をどこに設定するか、どこまで良いと思ってもらえたらそれを以て自分は必要とされているという自己肯定に繋げられるか、というのと、そうやって与えられる肯定のためにどこまでのコストを払えるか、になるのかなと。

 別にそういう「いた方がいい人間」になること自体は簡単だと思うんですが、会社からのちょっとした肯定のために毎日何時間も残業したくはないし、家族から必要とされる程度のために何十万も家に入れたいとは思わないし、友人関係を維持するために相手のスケジュールに全部合わせて予定を組んであげたいとは思わないし、

 でもそういうコストを払うことを全て拒否したら誰にとっても必要のない人間になるし、自分はどちらかといえばそちらを主体的に選択してきた人間なのですが。

 相手の言うことに対して思うことがあっても全部呑み込んで一から十まで肯定してあげれば当然相手は気持ち良いでしょうけど、それをしてまで得られる肯定なんか別にいらないなという気持ちはありつつ、

 でもそうやって全部を捨ててしまうこともできないので、二元論ではなくてある程度譲歩しながらある程度の主張をする……という風に人間関係を築いていくしかないのでしょう……。


 …………。

 こうやって改めて文章にしてみると、あまりにも当たり前というか小学生レベルの話ですね。当然そうだろうという。

 何でこんな普遍的でどうにもならないことで悩んでるんだろうと思いつつ、たぶん私は一生こんな程度のことで悩み続けるような気がしています。生きづらすぎて嫌になりますね。

 とりあえず書かなければいけないことはこの記事でだいたい書いたのでまたしばらく潜ります。死ぬこともできないし他人に対して楽しみを提供することもできない人間なので頑張ってお金を稼ぎます。

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