追記
昨日の記事の、テラスハウスに関する言及に関して、いろいろ不足があったため追記します。
有限
意外と5月まだありましたね。すみません。 -------------------- ラジオ。 オードリー、ハライチ... 続きを読む
まず、昨日の段階では、テラスハウスという番組自体に問題があった、ということを前面に押し出した書き方をしましたが、
その後、他の人の意見や、ニュースなどをいくつか見て、決してそうではなかったなと思い直したので、撤回します。
というよりも、「問題がなかったとは言い切れない」ということと「大きな責任がある」ということは別物で、前者のように語ることで後者の立場の人間がのさばることを助長するのであれば、責任はなかったというポジションを取ることにしました。
今回の事件について、番組制作スタッフに何かできることがあったのではないか、といえば、当然あったと思います。その点は、スタッフはもちろん、あらゆるメディアに携わる人が真摯に受け止めるべきことだと思います。
が、その一方で、この問題が「『テラスハウス』という番組だから起きたこと」という風に片づけられてしまうと、規模は別として現在あらゆる場所で同時多発的に起きているこの手の誹謗中傷が、
全て個別の事象として対処されるべきもの、という方向に進んでしまうので、絶対にそれを止めなければならないなと。
たとえば「世界中から集まった選手が国の威信をかけて戦うスポーツのイベント」だって見方を変えれば個人に対するヘイトを加速させる構造を確実に孕んでいると思うので、”他人を誹謗・中傷する行為そのもの”以外に批判のベクトルを向け始めると色々狂ってしまう気がする。
— hitsujino ayumi (@hitsuayu) May 23, 2020
別にテラスハウスに限らずあらゆる番組、あらゆるエンターテインメントでこういうことは起き得るし、実際に何年も起き続けている。
貧困JKに対するバッシングの問題もそうだし、芸能人に範囲を広げたらキリがないほどにたくさん。ブログのコメントであればゼロ年代から起きていたし、それがSNSで匿名から仮名になったことでさらに悪質化しています。
今回の問題に対して、様々な芸能人・有名人が、番組側ではなくSNSの異常性について一斉に発信しているのは、それだけ被害者が多いことの証左であって、おかしいのはどう考えてもSNSの方です。
現在の社会、インターネットのあらゆる場所で起きている個人に対する凄惨な誹謗中傷と、それに対するルールや抑止力のあまりにも未整備な部分に問題があることは間違いないし、それをまるで変えようのない大前提であるかのように捉えることは許されてはならない。
#SNS上の誹謗中傷が法に基づいて裁かれる社会を望みます
— 大島育宙(XXCLUB/コンテンツ全部見東大生@映画・ドラマ考察YouTuber/構成作家) (@zyasuoki) May 23, 2020
・特定の個人に直接
・存在/人格/容姿などの個性について
・悪意のみが目的の攻撃をした人は
・被害者からの申告と証拠があれば
・SNS運営や携帯電話会社の協力の下
・特定され、ネットでの発信権を剥奪される
という流れが望ましいです。
親の仇のように「あなたの主張は間違ってる!リアリティーショーという形式そのものが問題なんだ!ブーブー!」と粘着してくる人々、本当に何がしたいんだろう…?テレビだけがありインターネットが存在しない世界を仮定したとして、今と同じ問題って発生し得ないでしょ…。何度考えても謎。
— 大島育宙(XXCLUB/コンテンツ全部見東大生)【B面】 (@zyasuoki_b) May 24, 2020
今回のこの結末は、0から100の誹謗中傷を生む装置としてのTwitterと、100の誹謗中傷を105に加速させるテラスハウスという組み合わせによって起きたことだと感じています。
その増加率は確かに他のエンターテインメントに比べて高かったのだけど、責任の所在が明確であるからというだけの理由で、そこに全てを負わせるのは絶対に違うし、何の意味もない。
それは、次の犠牲者を生み続けることに賛同したと言ってしまっても良いほどに間違っていると思います。
徳井不在が副音声のバランス感覚を欠いたという記事も見かけ、自分も当初からそこは指摘しておりましたが、山里を始め副音声組は彼女の未熟な点を指摘しながらもそこをひっくるめて間違いなく愛していたと個人的には思いますので批判対象になる必要性など一切感じません。未熟な点を短絡的に許すことができなかったのがSNSの誹謗中傷だったでしょう。問題は演者と自分との間に線引きができない一部の視聴者にありました。
今も、山里さんをはじめとしたレギュラー出演者や、スタッフ・プロデューサー・制作陣に対する誹謗中傷が凄い勢いで行われています。
おそらく今これを祭り上げているのは、テラスハウスを観ていないしテラスハウスの誹謗中傷そのものには参加していなかった人たちでしょうから、そういった人たちに構造自体の理解を求めるのは不可能でしょうけど、
「自分は理由もなくストレス発散として他人を傷つけているのではなく、悪いことをした人間を正当な理由で責めているから、発端の誹謗中傷に参加した人たちとは違う」という思い込みがそもそも間違っていて、
有名人に罵詈雑言を送る人は全員そう思って誹謗中傷に参加しているんですよ。
どんな正当な理由があったとしても他人を中傷する権利なんてないし、その人が正当な理由だと思っているものは全て主観的で身勝手な思い込みだし、その人の見えている世界、得ている情報が完全なものであるわけがない。
だから、この件について、「テラスハウスに責任がある」という言い方をするのは、「誹謗中傷という行為をした人には責任がなかった」ということを、直接でないとしても後押しすることになってしまうし、
それは今後も同じ現象が起きた時に、被害者側に1ミリでも何か落ち度(と加害者側が認定できるもの)があれば、それを理由に自身の行為を正当化する材料になってしまうので、そうなってはならないと思います。
テラスハウスという番組の見方として、住人を叩いてマウンティングするという下世話な楽しみ方が大勢を占めていた、ということも、事実としてはありますし、私自身はそういう人たちがあまり好きではなかったので、昨日の記事では番組全体に対してやや批判的な態度を取りましたが、
現実問題として、そういった批判が、YouTubeのコメント欄や5chのスレで行われていただけであれば彼女が死を選ぶことはなかった、というのは、断言はできませんがほぼ間違いないわけで、そこは切り離さなければならなかったなと思います。
本人のSNSアカウントに誹謗中傷を送り続ける人たちが一人残らずいなくなって、その上でまだこういったことが起きてしまったら、番組側の過失が問われるべきでしょうけれど、現在はそうではないので、そこについて議論するよりももっと手前の段階にあります。
というのは、今の社会は、『テラスハウス』という番組の悪意をゼロと近似していると言ってしまっても良いほどに、それより遥かに巨大な悪意で満ちていて、未熟だということでもあります。そういう認識が欠けた昨日の記事について、反省し、撤回します。