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ポジショントーク

 9月になりました。急に寒くなってきましたね。

 今年の夏、確かに暑かったけど意外と暑かった時期が短かったような気もしつつ、自分の体感での時間の流れが速くなってるだけかもしれない。結局出かけたりといった用事もあんまりなかったですしね。

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 9月になったのでスタバの秋の新商品。パンプキンスパイスラテ。

 割と美味しいです。ものすごく気に入ったというわけでもないけど、たぶん売ってる限りは優先的に頼んじゃうなーという感じ。チョコレートソースを無料で追加するのが結構よかったです。

 夏の期間限定ドリンクはだいたいフラペチーノになっちゃうから日常的に飲みづらいんですよね。甘さ的にもボリューム的にも値段的にも。その点、これとか冬のジンジャーブレッドラテとかはずっと飲み続けられるので本当は1年中置いてほしい。


 スタバでいえばフラペチーノのプラスチックストロー完全廃止のニュースも。まあもちろん嬉しくはないです。すぐふやけるし。

 本当はマイカップとマイストロー持って行っても良いんですけど、モバイルオーダーできないのが困るんですよねー。マイカップをお店に預けておいてモバイルオーダーで入れておいてほしいです笑

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 『うっせぇわ』を初めて聞いた時に、若い世代の主観的な視野の狭さだったり、違う世代の言語を理解できない社会の分断みたいなものを表現するためにあえてああいう言葉選びをしたのかなと思ってたのですが、

 同じsyudouさん作詞作曲で、マヂカルラブリーをオマージュしたとされる『爆笑』が、比喩とダブルミーニングとか何もなくてただ単にマヂラブのM-1獲るまでの流れをただ並べて曲を付けただけのオリジナリティゼロの歌詞だったのを見て、あーこの人は言いたいことをお洒落に言い換えたりできない人なんだなと腑に落ちました。

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 お盆休みあたりに思い立ってWindows 11 Insider Previewを入れてみました。

 今のところ快適です。というか、設定メニュー、アクションセンターなど、中身はほぼWindows 10でUIが洗練されている感じ。ところどころ日本語が怪しいところはありますが、1ヶ月後の正式リリース時には直っていることでしょう。(本当はフィードバックとか送るべきなのですが)

 ちょっと残念なのはWindows 8 から進められていた「スタートメニューとタスクバーの分離」をMicrosoftが諦めてしまったらしいところ。スタートメニューによく使うアプリを全部ピン留めして、タスクバーとデスクトップには何も置かない、という方法で綺麗に保っていたのですが、

 Windows 11 では 6×3しかスタートメニューの1ページ目にピン留めできないので、割と最低限のものしか置けないなーと。なので結局タスクバーに登録するWindows 7までのスタイルに戻さざるを得ない。

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 でもアイコンがWindows 10の時よりも可愛い感じになっていて既に愛着が湧いています。あとIE11が完全消滅しているのも英断。

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 そんなわけでWindows 11を先行体験してしまったことで逆に10月の楽しみが1つ減ったのですが、それはそれとしてSurfaceの新製品発表会の予告が。

ASCII.jp:Microsoft、9月22日にSurface新製品発表か!?

 Surface Pro 8、さすがに出るとは思ってるんですがどうしようかなーという感じ。今のSurface Pro 7で困ってないし、どちらかというとメモリ積みたいのは会社用PCだよなーという部分もありつつ、とりあえず楽しみに待っています。情報出たら買いたくなってるかもしれない。

 Windows 11が実質的にWindows 10.1だったというか、Windows 8みたいな攻めすぎて不安定なOSでないことはわかったので、次世代Surfaceも大きくモデルチェンジはしてこないと予想していて、その点で安心して買えそうだなーと思ってはいるのですが。万が一ですが急に有機EL採用とかしてきたら、死ぬほどバッテリー持たないとかそういうリスクがありそうで様子見ですね。


 しかし今振り返っても2019年のガジェットの買い方は何か壊れてたなーと思います。Surface3台とiPadとGalaxy、全部10万近くする。去年は何も買わなかったけど今年はiPad買ったしGalaxyもたぶん買うと思うので、2年サイクルみたいになってる。本当はスマホはともかくPCとタブレットは絶対2年で買い換えるものではないんですが、まあ……。

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 最近思うのですが、自分は他人の過程ではない結果を責めたり咎めたりすることがすごく嫌いで、

 それは過程ではなく結果を責められることが本当に嫌いだからだと思うんですけど。

 つまり、「100回やったら1回失敗するかもしれないこと」をやっていて失敗した時に、失敗したことを責められるのはおかしいと思うんですよね。それは、たまたまその1回で失敗しなかったら責められないということになってしまうので。

 だったら、100回とも全て問題があった、1回もすべきでなかったということにするか、その1回の失敗のリスク込みで認められていたことだから1回の失敗についても問題にしないか、どっちかじゃないと論理的におかしいんじゃないかなと。

 自分が車を運転したくないのもそこにあって、もし事故を起こしてしまった時に振り返ってどこで防げたかと考えると、車を運転すべきじゃなかったというところにしか求められないだろうなと。「100%居眠りをしない」とか「100回運転したら100回とも周囲のものに気を配り続けられる」という人間ではないと自分でわかっているので、もし100回運転して事故を起こさなかったとしてもそれは偶然であって、その時点で罪なので。

 だから逆に、もし事故を起こしたとしても「まあでもこの何年か自動車を運転せずに生きていくのは不可能だったな」という判断できるだけの材料があったら運転するのかなあとも思います。それがどういう場面なのかわからないけど。


 ということを考えた時に今のコロナ禍に対して、オリンピックは……まああれは規模的に全国的な感染拡大の原因とも言えてしまうので難しいですけど、例えば24時間テレビとかそういうテレビ局の大型特番に対して、結果的にクラスターとかは発生しなかったんだと思いますが、別に発生したとしてもやることに問題はなかったと私は思います。

 それは感染者が出るリスクとリターンを比較して行われたものだと思うので。ドラマの撮影とかも、性質上どうしても対策しきれないところはあると思いますけど、じゃあゼロにすべきかというとそうではないと思うし。一斉休校を行わない判断とかも。

 コロナなんて特に、どれだけ対策しきってもゼロにはできないし、逆に対策ユルユルでも意外と感染しないこともあるし、それで感染が起きたからといって対策が甘かったといって叩くのは、「武器を貰ったから殴った」みたいな偽善者に見える。

 だから、出てきた結果だけを見て騒ぐ国民と、結果だけを取り上げて叩いて数字稼ぎするメディアと、それで叩かれるのが怖くて「感染者が多少出ても問題ない」と言い切れない政治家と、全部クソだなーと思います。


 NAMIMONOGATARIの一件も、リスクを可能な限りでの最小限にしていなかったことは叩かれるべきだけど、リスクがゼロでなかったことで叩かれるべきではないし、その2つは明確に違う。論法としてフジロックとかその他のフェスやライブにも当てはまるロジックを、相手が殴っていい対象だからという理由だけで用いて殴っている人は、いずれもっと広い範囲でその人の好きなものにも適用されてしまうだろうなとも思います。

 なんというか、別にカラオケに行きたくて我慢しているわけじゃなくて、その人にとってのカラオケとか飲み会とか旅行に値するものがたまたま自分の場合は一人でできることであっただけの人間に他人を非難する資格ってないと思うんですよ。いや、まあ感染リスクという明らかな違い、家族への悪影響があるのはわかるんですけど、

 それをアリにするのって、じゃあ趣味でお金を浪費するのも老後の負担になるから家族に迷惑かけてるとか、GAFAMプラットフォームの影響力をこれ以上高めるべきではないから使うなとか、性行為の妊娠リスクは避妊しててもゼロではないから禁止すべきとか、何にだって言えてしまう。


 被害者の有無の話をすると、任天堂のゲームを買うことはソニーで働いている人が困るから被害者のいる悪行だとか言われても困るじゃないですか。でもそういう仕組みを肯定しているのが資本主義社会ですよね。

 人は生きている限りリスクを負っているし社会の誰かに迷惑をかけているわけで、「社会や他人に迷惑をかけるべきではない」「わざわざリスクの高い行動を取るべきではない」って正論のように見えて何も言っていないんですよね。理由になっていない。

 だから「環境汚染を防ぐためにプラスチックストローを止めるべき」っていうのは何の根拠にもなっていないんですよね。「環境汚染を防ぐための施策として、費用対効果が高くて、代替案としての紙ストローによって受けるデメリットよりもメリットの方が大きいから」ならわかる。実際は手っ取り早く目につくところに手を出しただけだと思いますがまあ。

 というのと同じで、「コロナの感染を防ぐために出社率を下げましょう」っていうのはまあわかるんですけど、あらゆる経済活動を全て止める方がもっと感染は防げるし、でもそれではダメな理由があるわけで、だから出社して仕事をしているし電車も動いているし、そういうバランスの中で動いている。


 なのに都合よく片方ずつの論理だけを適用しているというか、「オリンピックは医療従事者を困らせるから止めるべき」「フジロックは音楽業界を困らせるから開催すべき」っていうのは全然逆のことも言えちゃうから筋が悪いよなーと思います。まあ、矛盾しているように見えるのは140字で語ろうとしたのが悪いだけかもしれないし、それを筋が悪いと思わない人が大多数なので特に問題ないのかもしれませんが。


 結局のところ私のそういう他者に対する寛容さというか甘さみたいなものって全部自分が責められたくないからやってることでしかないんですよね。自分がろくでもない人間で他者から責められ得ることもたくさんしてるし、それについて責められることへの不満があって、少なくともされて嫌なことはしたくないなという。だからちゃんと自分が責められることも引き受けた上で他人を責める人はそれはそれで凄いと思います。そんな人いないですけどね。

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 あ、誕生日を迎えました。お金で買えるものは誕生日とか関係なく好きに買えるようになってきたし、別に誕生日だからどうということもないのですが、今年は自分で買えないものを貰ったり余ってる有休を使ったりしてハッピーに過ごすことができました。

 1年前のブログを読み直してみたのですがまあ今と同じことしか書いてませんでした。給料は上がるけど仕事は忙しい、というそれだけ。コロナに入ってからの期間ってあんまり季節ごとのイベントだったり生活の変化がないのでずっと2020年が続いている感覚になりますよね。ついこの前『さよならたりないふたり』を観たような気がする。

 気づけば正式に20代後半になって多少の焦りもありますが、今のところはまあ今の会社で求められていることに対してきちんとパフォーマンスを出せばいろんな意味で困らないだろうなとは思っているので、そこをメインにやっていく気持ちにはあんまり変化はありません。

 この1年で自分はいろいろと変化している、成長しているんじゃないかなとは思うんですけど、それは内から出てきたものというよりも、外部からの刺激……プライベートでの人との関わりだったり、仕事での立場の変化だったりによって求められて起きたことなので、たぶんそれが一生続いていくんだろうなという感じです。今の自分に対して不満もないし、それを継続させることだけ頑張ろうかなと。


 ブログもそろそろ14年くらいやってますよ。自分でも引いちゃいますね。なんだか最近また政治的に攻撃性を持った内容が増えていて自己嫌悪に陥っているのですが。

 自分の中ではTwitterとかヤフコメとかで不寛容な考えを発信しているヤバい人とは違ってなるべく他人を否定しない緩やかな発信をしているつもりなのですが、それはそうやって書いている人全員が自分だけは違うと思っているはずなのでたぶんダメなんだろうなとも。

 ただ、こういうのをちゃんと……ちゃんとというか、無理することなく本心で他者に対して怒りを覚えない人もいると思うんですけど、私はそうではないので、減らすとか抑えるとかそういう方向に持っていくしかなくて、そこに努めていくしかないのかなと思います。自分の性格を180度変えられるならこんなことしなくて良いんですけど、そうではないし、それを変えることは他のいろんなところ、自分が今上手く機能している部分についても捨てることになるし、また別の問題が生じるだけだとも思うので。どうにか間を取っていきたいです。

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