輪るピングドラム 10年前

ぼくらの生存戦略

春期講習終わったった!!!!!!!!   ヒャッハー!!!!!!        これで明日から休みd。。。え?明日から学校?まじで?        しかも一昨日の嵐で休校になった分の補講が明日の夜にある?まじで?          はあ。ハチさんの新曲いいなあー。(現実逃避)            明日はいよいよ新学期。いや1ミリも嬉しくないし待ち望んでもないよ。勘違いすんなよ。      クラス替えかあ。        なんか、あれですね。    割とコミュニケーション能力ある人は楽しみにしてて、  あんまり得意じゃない人は不安がってるイメージなのですが。        私は、何の興味もないよ。        だってさあ。  別に、クラスの中で話せるような友人が1人もいなかったとして、それは何かデメリットを持つものなの?      お弁当食べるにしたって、大して親しくもない相手と無理に話しながら食べるより、iPodでアンハッピーリフレイン聴いてた方が楽しいよ。        で、まあ、もちろん中学卒業後もそれなりに親しくしてる何人か(主にデュエマ民・軽音部の方々)がクラスにいたら、もちろん嬉しいのですが。    逆に。「クラスで全然なじめてないやつが昼休みだけ嬉々としてカードやってる」みたいな状況は、正直あんまり好感もたれないと思うのですよ。      別に好かれたいとか親しくしたいとかはなくても、嫌われたり軽蔑されたりするのは、あまり好ましくなく、というか、そういうやつと授業とかで話すのも嫌、みたいな見られ方をしたらとか、まあ被害妄想なのですが、やっぱり考えてしまうとただでさえコミュニケーション取れない私がさらに消極的になっちまうので、        できれば昼休みのTCGには、たとえ私の新クラスが戦場となったとしても参加しない方がいいかなあ、と、今のところは思ってますが実際わかりません。誘われたら普通にやるかも。      でも、女子からしたら学校で高校生がTCGって、ドン引きだと思うのよね。    正直、私も引いてるよ。引きながらやってるよ。楽しいからね。            まあ、そんな感じです。    正直言って、「どう転んでも私にとっては嫌なクラス」だからねえ。期待する余地がない。                  さて、話を変えて。    『輪るピングドラム』公式完全ガイドブック 生存戦略のすべてで、何となく私が気になったというか、共感したことをちょっと書きますね。    いつも通り、ネタバレにご注意を。          最後の方の、幾原監督と作家・辻村深月さんの対談から一部引用します。  読みやすいように一部に、勝手に改行を入れています。すみません。  引用自体も含めて、問題があったら削除します。  

 幾原:少し話が変わるんだけど、若い人のドグマが表出するきっかけはいつも”とてつもない正義”だと思うんですよ。  60年代の運動だって、彼らが信じるとてつもない正義が大人たちに反抗するパワーになった。  95年の事件もそう。それを起こした彼ら一人ひとりの言葉を見聞きすると、その正しさたるや、聞いていて吐き気をもよおすぐらいの潔癖さだったりする。  じゃあ、今はどうか?  インターネットで交わされている言葉には、とてつもない正義が溢れていますよね。ネット上で名前のない彼らは、徹底して正しさとは何か、という話を煮詰めていて、ちょっとでも汚れていると途端に総攻撃を仕かけることがある。  その正しさがさらに煮詰められたときに、いったいどうなるのか?
 まあ、この問いに対する答え、とか、その前後のやり取りは、実際ガイドブックを買って下さい、という感じですが。        私はこの文章を見て、すごく合点がいったというか、    ああ、こういうことなのか、と。思いました。      幾原監督の話って、私が感じているもやもやを的確に言葉で表現していて、なんか本当に感動します。だからこそ、ここまで熱狂的にハマってるわけですが。        で、今回は何が言いたいかというと。    たとえば、ツイッターで飲酒とか喫煙とかつぶやいた相手を、2chの皆さんが全力で潰しにいったり、するじゃないですか。      この行為自体は、まぎれもなく「とてつもない正義」だと思うのですよ。      にも関わらず、やってることは、スネークして住所特定だとか、Mixiやブログ片っ端から漁って情報晒すとか、まあ普通に叩かれそうなことですよね。      それをさらに抽象化すると、「正しいことを、間違ったやり方で」という動き、と言えると思うのです。    それは、ピンドラで言えばKIGAの活動もそうだし、もしかしたら60年代の運動や、95年の事件も、同じように括れると思います。      で、さらに身近な例をあげると、去年の9月にあった部活dis騒動。    これについては私が当事者なのであんまり言うのもアレなのですが、正直、私はあの時にブログで書いた一連のことは何一つ間違ってなかったと今でも確信してますよ。    ねちねち言っても仕方ないので書いてませんが、未だに納得もしてないし、弓道部なんてみんな死ねばいいと(ry        まあ、そんな風に、なんか私のだけ個人的なあれが入りすぎですが。    要するに私が言いたいのは、「正義に基づいた悪は正義なのか悪なのか」ということなのです。      部活disの件で言えばもちろん私は勝手に悪口を言ってくる意味不明なやつですから反論してくること自体は当たり前ですし、  95年の事件なんて被害者は人の命を奪われたわけですから(私は詳細は知らないのですが)、もう犯人を擁護できるポイントなんて全くないのですが、    私からすればあのイタい部活HPは叩かれるに足る理由がありまくりだったし、私が言ってることはすべて正論だと思っているし、  95年・・・だといろいろ言いにくいのでピンドラ内の事件に置き換えますが、あれだってやってる側は「世界を正しい方向に変える」と本気で信じていたようですし、      つまり、何が正しくて何が間違ってるなんて、なかなか言えないのだなあ。と。    もちろん大量殺人なんかは擁護できない犯罪なのですが、それを言ったら私の誹謗中傷だってやり方としては間違えていたと思うし、(といっても、あれ以上の方法が何かあったかといわれると、あんまり思いつかないけど)        ただ、そうでもしないと表現できない正義、というのもあるんじゃないか、と。    なんだか日本だとデモ=カッコ悪い、いけないこと、みたいなイメージがあるように思えますが。あれも一つの例で。      だから個人的にはKIGAの思想って割と賛成だったりするのです。  いや、アニメというモブキャラの命が全然重く感じない世界だから、だと思うのだけど。    なんか意図的じゃないのにピクトグラム表現を絡めたみたいになってる。あの表現も、要はアニメ、というか現実における「自分の人生に関係ない人間の扱い」を記号化したものなのかなあ。        で、そもそも、この世界が間違ってる、ということはもう疑うべくもないと思うのです。    そんなのわざわざ例をあげるまでもないよね。原発とか消費税とか年金とか就職難とか。      一応、民主主義国家だから、本当は選挙によって変えられるんだろうけども。    選挙に出てる党が例外なく糞 だとか、 そもそも東電は政治家の意向を無視できる だとか、    いろいろと絶望しか見えない世界だよね。      その世界を壊す方法として、60年代には学生運動(で合ってるよね?)が起きて、95年にはテロという形が取られて(おそらく)、    ピングドラムという作品内では、ファンタジー的なところでの解決が取られた。        まあ、幾原監督はピングドラムを「寓話」と表現しているので、あれも何らかの意味があるのだと思う。    一方で、私は時代背景とかはわからないけど、たとえば95年のテロが成功していたとして、    新しい世界になったとして、それが万人を幸せにする世界か、と言われたら、絶対に違う。      そう考えると、理想の世界ってどこにあるのだろう。          ・・・なんだか、書きたいことがまとまらない。全然まとまらない。    元々書こうとしてたのは最初の「正しいことを間違ったやり方で」の部分であって、どうオチをつけるかとか別に考えてなかったんだよね・・・。        このへんはもうちょっと考え直します。    ただ、私は自分の信じる正義を曲げることで間違った世界に順応していくような人間には、なりたくないなあ。と。      ・・・うん、まあ、教祖様とジャスティスのことだけど。          ああ、そうそう、あと。    私はこのブログで、ピンドラの中心テーマである「愛」とか「家族」とか、をあえて避けてもっと社会的なことについて触れていますが、    決してピンドラを社会派アニメみたいに捉えてるわけではないので、あしからず。        自分の中で感じていること、考えている意見、溜まっている感情、を、表現する際に、ピングドラム内の社会的なテーマやモチーフが、すごく共感できたり、手助けになったりするので、というところです。          あと、ピングドラムにおける「愛」については、私の中でも全然整理できてないので、書こうと思ってもうまく書けない。 ...

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