続き
さすがにさっきの記事は誤解を招くというかいろいろ足りてない気がした。ので追記。私は3.11の日は卒業式で、地震で電車止まって帰れず学校に一泊したのですが。母親も来てたこともあって、そこまで不安ではなかったし、大変だったという感じもしないのですよね。もちろん、あの直後のニュース、YouTubeで見た気仙沼の映像、原発事故後の底知れぬ不安、なんかは強く残っているのです、が。それで身の回りに何かあったかと言われれば、幸いなことに身内に怪我をした人もいなくて、壊れた物もあまりなく。どうしても、とても規模の大きな他人事のように思えてしまって。いや、実際問題、あの震災は他人事だったし、その後、不謹慎だと騒いだり必要以上に心を痛めたような顔をしていた人が、あれをちゃんと自分の問題として受け止めていたとも思えない。なんというか。大震災に対する関わり方って、もっと淡白でいいんじゃないの、と。募金とか支援は大事なことだし、気遣いも必要なことではあるけど、本当にそれを裏表のない自分の気持ちとしてやっている人がその何割ほどいるのかと考えると、それで自己満足に陥るくらいなら必要なのかな、と。そんな大袈裟なアピールしなくても伝わってるよ。と言いたくなります。意味不明ですみません。これもまた自己満足でしかないのです。 ...