納得力
前回のさくら荘の記事を書いたあと、2chで感想を見たりしたのですが、改めて、自分が創作物に対して思うことがちょっとまとまりそうなので、はっきりまとめるために記事に書いてみようと思います。お付き合いください。--------------------------------私がこの2~3年で気に入った作品というと、ラノベやアニメでは、さくら荘のペットな彼女、輪るピングドラム、次いでココロコネクト、とある魔術の禁書目録、音楽では、wowakaさん(ヒトリエ)、ハチさん、トーマさん、あたりなのですが、それらの評価って、ネットなどだと結構低かったりします。ピンドラなんかは特に賛否両論の典型だし、ココロコやさくら荘も炎上抜きにしても叩かれてたりして。で、私はそういうレビューを読むのも結構好きなのですが、意外とそれらの作品に対する批判の方向性が同じなことに気づいたのです。つまり、「現実味がない」とか、「設定に矛盾がある」とか、「雰囲気だけで意味がわからない」とか。そういう点で叩かれること自体は私もよくわかるのです。ああ、確かにそれ不自然だなあ。と。例えば、ココロコなら「なんで5人とも過去にトラウマ抱えてるのか」、さくら荘なら「なんで生活能力ゼロの世間知らずが人気漫画描けるのか」、禁書なら「熱膨張って知ってるか」など。で、なぜ私がその欠点を認めながらそれでもそれらを名作だと断言できるくらい好きなのか、と言えば、そんなことはどうでもいいと思っているからで。つまり、論理的、現実的に無理や矛盾があったとして、それは、小説という架空の世界の娯楽の面白さに、関係ない、というスタンスで、もっと言えば、話が面白ければそういうの全然気づかないので。言われない限り。禁書に科学的知識なんかハナから求めてないし。設定はあくまで設定でしかないし、そういう設定を用意した上で、伝えたいこと、描きたいことが、面白くない作品はもちろん好きではなくて、そうでない作品が好きです。それを音楽に置き換えると、私の好きな曲は、「歌詞の意味がわからない」「似たような曲調や歌詞ばっかり」と批判され、それに対して私は、「それがどうしたの」、と思うわけです。--------------------------------考えてみると、自分が小説とか書いてた頃も、設定の整合性はそんなに重視していなくて、ストーリーありきで作っていた気がします。ストーリー以外の部分が死ぬほど薄っぺらかった記憶のあるDDとか。ギミックありきだったFS外伝とか。厨二やりたかっただけのAS80話らへん?とか。……いや、あんまり思い出したくないから頭文字にしてるだけですけど。メドレーにしたって、これは怠慢もあるんで完全に認められる気はないですけど、音楽的なクオリティよりも発想とかアイデアから始める場合が多くて、例えば裏表とか顕著ですけど、「ただ上手いだけのもの」は面白くないと思うからそんなのを作ってるわけです。逆に、自分の苦手な作品は、最近観たアニメだと、俺修羅、ニャル子さん、ゆるゆり、とかで、共通してるのは「だから何?」という。……まあ、そういうアニメでもキャラの可愛さでハマったりはしてるので、一概に否定もできないのですが、でもさくら荘ピンドラを超えることはないくらいの好きなので。ロウきゅーぶは。--------------------------------と、長々と書きましたが、一言でまとめれば、「好きなことに理由なんて必要ない」、という当たり前の話ですね。ただ、そのうえで、自分がどうしても言語化しておきたかったのは、「現実的じゃない」という批判があまりに力を持つ風潮、というか。舞台装置に何を求めてるの、と。そこで冷めてしまう人の気持ちもわかるのですが、なんだか、勿体ないなあ。と思ってしまいます。まあ、かくいう私も、些細なことで冷めてしまうことは多々あるのですが。個人的には、キャラクターの反応が現実的じゃない方が気になったりします。難聴発動はまだしも、わざとにしか思えない勘違い誘発発言や地雷踏み抜きとか、理由もなく惚れ出すヒロインとか、ストーリーの都合で明らかに納得できない設定に納得する、とか……。そんな理由で、ロウきゅーぶSSの1話でちょっと冷めかけてるのですが、まほまほが相変わらず可愛いのでもう少し観ます。新キャラにも期待しつつ。。。……あれ、この記事ってこのまとめ方で合ってるの? ...