ひとりごと 7年前

こだわりと呪い

ブログに関するお知らせ、このままだと全く目途がないままになりそうなので簡単に説明しておくと、  「独自ドメインへのお引越し」を検討中という話です。  「oswdiary.com」みたいな。感じに。  というか、長い目で見ると、ゆくゆくはそうしていかないとダメかなぁと思うのですが、  しかし、よくよく考えてみると現状のJUGEM Blogにそこまで不満があるわけでもないので、どうしようかなあと思ったりもしています。  あと、数年経ってお金払うのが面倒になった時にブログが消えてしまうリスクはむしろ独自ドメインの方が大きいという……。  どっちにしてもイチからブログデザインをオリジナルで作り直す作業をしないとお引越しできないので、当面はこのままになると思いますが。 --------------------  今となっては、「何もなければこのブログを一生続けていくんだろうなぁ」くらいのことを思ってはいるのですが、  一方で、ブログを始めて最初の数年は、「これをいつまで続けてるんだろうなぁ」と考えることがあって、  1年後、2年後も続けているのかという確証はなかった。いや、今もそれはそうなのですが。  一番「ブログを止める」ということを意識していたのが高校の頃で、  ブログ更新はそんなに長く続くことではない、と思っていて、  より明確にするなら、受験生の間はブログを更新しない、ということを、そうしたい、というよりは、自然にそうなるだろう、と考えていた。  別にブログに限った話ではなくて、「その時が来たら集中するのだろうな」という、期待、ですらない、無根拠な確信があって、それを未来の自分に押し付けようとしていて、  しかしそれは上手くいかなかった。  ブログもそうだし、それ以外の娯楽、ポケモンとかアニメとかそのへんについても、全く止められなかったので、  それ以来、「自分の意志の力を一切信用しない」ということを一つの行動指針にしています。  つまり、「自分がやりたくないと思ったことは、私がどう頑張ってもできないのだから、『嫌々やる』ではなく『やりたいと思うようにする』しかない」。  自分の意志と意思が別個のものであるように振舞う、という考え方です。  例えば、腕時計がその例で、  普通なら、「20歳になったし、腕時計を身に着けることを習慣化しよう」みたいに決めて、その通りにすると思うのですが、  私は「そんなことを決心したところで面倒なものは絶対に長続きしない、そもそも便利なら既に身に着けてる」と考えているので、  Microsoft Bandという超クールでしかもやや高いデバイスを買うことで、それを着けたいと自分に思わせる方法を取ろうとしている。  みたいな感じです。 --------------------  私は自分のことを優柔不断だと思っているのだけど、  その一方で周りからは決断力があると見られることも多くて、それはなぜだろうかとずっと考えていて、  ……過去ログを漁ったら5ヶ月前にも同じことを考えている記述があったので軽く戦慄したんですけど、  最近1つ気づいたのは、「私は選択肢を無意識下に減らしていて、それが自分でも気づいていない決断になっているのではないか」ということ。  さっきの話の逆なのですが、  「直感でこう思ってしまった以上はそれに従うしかない」というフレームワークが1つあるために、  「やるかやらないか」という部分で迷う必要がなくなるし、  「できるかできないか」を考える必要もない。  そういう方向に進むことが、自分にとっては「決断」ではなく「流されているだけ」だと思うのだけど、  実はそれも決断の一部に数えられるのではないかと最近思うようになりました。  その最たるものがおそらく大学受験で、  私は最終的に1校しか受験しないという割とハイリスクな選択をしたのだけど、  それは「その1校以外に受かりそうなところ、かつ受かったら行きたいと思うところがなかった」からで、  もっと言えば、受かるために努力する、ということができなかったからに過ぎないので、  私自身からすれば消去法での選択だったのですが、  でも、それを消去法というにはあまりにも前提条件の時点で絞られているので、そういう意味ではもっと大きな決断をどこかでしていたということになるのかもしれない。 --------------------  米津さんの2nd ALBUM「YANKEE」で、  全体を通して歌詞に何度か「呪い」という単語が出てくるのですが、  この「呪い」という感覚を最近わかったような気になることが多い。  過去の積み重ねというのは全部呪いのようなもので、  人が過去に犯した成功も失敗も全て、現在の自分を縛っているのだと。  それは、過去の経験のせいで何かができなくなること自体も呪縛なのだけど、  それにあえて抗おうとすることも、もしくは直接の対峙を避けることも、結局それに縛られているに過ぎないから、やっぱり呪われていて、そこから抜け出せないな、ということを最近考えています。  「呪い」というワードをもっと身近に置き換えると「コンプレックス」になる。  このブログでは何度か触れている話題ですが、私の場合、中学・高校の頃に「周りよりも価値の低い人間だった」ことへのコンプレックスがとても大きくて、  もちろん自分自身では、そんな尺度に基づいた価値が何だ、という思いはあったのですが、  それでも、クラスでの協調とか、部活動での努力とか、試験での成績とか、周りに合わせる能力とか、他にもたくさんの、「学校教育的模範」から外れ続けていた故に、両親や教師や大して親しくない同級生から、叱られたり、怒鳴られたり、残念がられたり、馬鹿にされたり、蔑まれたり、見下されたり、したことが、ずっとトラウマになっていて、  おそらく当時の自分が自覚していたよりも遥かに大きなメンタルダメージを受けていた。  大学に入って、特に今年になってからは、私の周囲で奇跡的にいろいろなことがうまく回ったために、  高校の時には一度もなかったと思われる、客観的な尺度で自分の価値を肯定してもらえる機会が増えたのだけど、  それによって中学や高校の頃のことを忘れられたり、振り払えたり、できたかといえば、全くそんなことはなくて、むしろ当時のことをより強く意識する機会が増えた。  初めて自分の価値を、自分以外の人に、客観的な価値として肯定してもらえる経験、その喜びが、  逆説的に自分の価値を否定され続けていた過去の惨めさを示す形になり、  たぶんその記憶は今後どんなことがあっても消えないのだろうと思うと、  確かにこれは呪いだと思う。  自分はおそらく今後も、自分のことを見下していた、高校の時の同級生や高校3年の時の担任を、憎悪しながら生きるしかなくて、  それは私がどういう人生を送るとしても変わらないのだろうなと思うし、  逆に言えば自分の人生がどういう方向に向かうかについて、彼らの存在は私に何の影響も与えていないのだけど、  そこへ向かって進むエネルギーとしては結局ずっと私のことを縛っている呪いだ。 --------------------  今は何人かの大切な友人がいて、そういう人たちと時折会って話をすることにいろいろな面で助けられているのだけど、  中学の頃に、本当に一人しか頼れる人がいなかったという時期が私にはあって、  それを形容する適切な単語があるとすれば重度の依存症だったと思うけれど、  おそらく人生のいちばん多感である時期をそういう状態下で過ごしたことの影響が未だに消えないなあと思うことがあって、  やっぱりそれも呪いなのではないかと思うことがある。  ある人間関係が、ある人間関係の上位互換または下位互換でなくてはならない、という思い込みが、おそらくその1つで、  本当なら人間関係というのはウェビングのように広がっていって、相手によって様々な面を見せるものだと思うのですが、  私の場合はどうしてもピラミッドのような形になってしまって、  「この人にはこのレベルまでのことを全て言おう、この人にはその1つ手前までのことを全て言おう」というラインを階層として作って、まるで自分自身の情報に対するパーミッションを出すような形で話をしていることがある。  そして、そのトップにいる人には、自分のあらゆること全てを共有したいと思ってしまうのだけど、  どうやら一般的な社会では「1から10まで秘密を打ち明ける仲」というのはそんなに成立するものではないらしく、  それは友人でも恋人でも夫婦でもそうであるらしい。  適切な距離感を持つことで良好な関係を保つ、ということは、確かにそうだと思うのだけど、  適切な距離を置くことでしか保てない関係を続けることに疲れてしまわないのか、とも思う。  本当はそれを乗り越えられるゼロ距離の関係が私にとっての理想ではあるけれど、  そうだと思っていた関係がそのように保てなかった経験もあるので、  どの程度をハードルとして求めるのが正しいのかを考える。 --------------------  誰かに否定されることで傷がつくとして、  その傷を癒やすのは誰かの肯定なのか。  もしくは誰からも肯定してもらうことでしか癒えないのか。  後者であるということはつまり不可能だということなのだけど、  前者であると言い切ることもできない。  ただ、傷が癒えるかどうかとは別に、誰かに助けてもらわないとやっていけない状態になることは確かにあって、  今の私はおそらく、そうではないからこそ、何とか生きていられるのだと思う。 --------------------  ……何だか自分で思っていた以上に長くてつまらない記事になってしまって申し訳ないです。  どこかで区切ろうと思っていたのですが、区切るところがなくて、最終的にここ数週間思っていたことを片っ端から書き連ねるような形になってしまいました。   ...

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