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ヒトリエ『ai/SOlate』の感想

ヒトリエ『ai/SOlate』をiTunesで購入しました。  まず中身の感想に入る前に、iTunesでの配信形態についてひとしきり文句を言わせてください。  iTunesには「コンプリート・マイ・アルバム」という、CDの曲を単体で1曲買った後で残りも欲しくなった場合、CDをまとめ買いした時の価格から1曲分の価格が引かれて請求される機能があります。  また、アルバムを買う際、シングルで既に発売されていた曲が収録されていたら、その曲はアルバムをまとめて購入する際に値引きされることも多くあります。  6曲入りのミニアルバムは大体の場合、まとめ買いすると1400円程度になります。  で、今回の『ai/SOlate』。発売日となる水曜0時を何だかんだワクワクしながら待っていたのですが、 20171205_152247000_iOS  1、なぜ先行配信された『アンノウン・マザーグース』が購入済み扱いになっていないのか?  2、なぜアルバムまとめ買いがライブ音源とセット?(もちろんSpecial Edition以外のバージョンは配信されていません)  3、ライブ音源を配信するのはいいとして、なぜ3曲だけ?  4.『イヴステッパー』はいいとして、なぜ「one-Me Tour “DEEP/SEEK”」で配信済みの『インパーフェクション』『シャッタードール』なのか?知名度を考慮しても『るらるら』『リトルクライベイビー』などを入れるわけにはいかなかったのか?  1と2に関しては、商業的な計算以外にその理由があるとは思えないし、  特に1、アンノウン・マザーグースという同じ曲を2度買わせるトラップをファンに対して仕掛けておくことは、それで得られるたった250円のメリットより、悪印象を与えるデメリットの方が遥かに大きいと思います。  今はまだいいですよ、例えば1ヶ月後にiTunesで検索した時に、『アンノウン・マザーグース』が別の曲として2種類表示されたら、単体配信の方は初音ミクバージョンだと勘違いする人が出ると思いませんか? 両方をきっちり試聴する人ばかりでもないでしょうから。  むしろそれを狙ってるんじゃないかとすら思ってしまいます。  もうこの時点でだいぶガッカリしてしまったのですが、それでもアンノウンマザーグース以外を単曲で買って聴き込みました。以下がその感想です。 --------------------  アルバムを購入して最初に1周した時の感想ははっきり覚えています。  YouTubeで公開された『絶対的』、iTunesで先行配信された『アンノウン・マザーグース』は既に聴いていたし、『Loveless』もワンマンライブで2回聴いていて、  『アンノウン』以外の2曲がおそらく自分の好みでないことは大体わかっていました。  既存2曲を経て聴いた3曲目『Namid[A]me』もあまりしっくり来なかったけど、タイトル的に本命は『ソシアルクロック』だったのでそれを信じるのみ……。  4曲目『Loveless』の、ライブ版との印象の変化に驚きながらも、そもそもこの手のスローな曲はどちらにしても苦手(これは最近だけではなく、『泡色の街』『Inaikara』の頃からです)。  そして本命の『ソシアルクロック』…………。電子音らしきリフ、2番のチップチューン、アップテンポと高速歌詞。期待していたところにちょうど落ちる感覚……だけどこの歌詞は?なんか合点承知系ワード入ってない?  その衝撃を引きずりつつ、6曲目『NAI.』もまた微妙に『モノクロノ・エントランス』を想起させるかと思いつつ、通して聴くと印象として近いのはどちらかというと『終着点』だったので、大好きのど真ん中ではなく……。  と、このような感じで、初見ではまた期待を超えてこない感覚はあったのですが、  それは『IKI』を初めて聴いた際も同じだった(何度も聴いていくうちに魅力に気づいた)ので、この時点での感想をブログに書くのは止めておこうと思い、それから数日かけて何度も聴き直し、  その結果、改めて『ソシアルクロック』は自分の好きな曲だという結論に至りました。  サビ前の気持ちの良いドラム連打と印象的なフレーズの繰り返し、捻ったメロディーライン。歌詞もところどころ書き言葉ではなく話し言葉になっている点は多少引っ掛かりを覚えるものの、直接的にダサいワードが入っているわけではなく、普通に聴いている分には気にならない範囲です。  一方『絶対的』『Namid[A]me』『Loveless』といった曲は、何度聴いても好きにはなれないのですが、ただじゃあ『ソシアルクロック』みたいな曲ばっかりのアルバムが聴きたかったのかと言われると微妙なところでもあり……いややっぱりそういうアルバムが聴きたかったですけど、  というより、そもそもwowaka時代の曲、『積み木の人形』とか『ラインアート』とかだって全曲大好きというわけではなかったので、こういうものだと受け止めるのが自然なのではないかと思い直しました。  ということで、大好きなアルバムではないけど好きなアルバムです。 --------------------  今年のヒトリエを象徴するトピックとして、今年8月に、6年ぶりのボカロ曲『アンノウン・マザーグース』が発表されました。  発表直後はかなりネガティブな印象も持ちましたが、冷静に聴き直してみれば、かなり好きな曲です。  ただ、6年ぶりの復活、つまり『ワールズエンド・ダンスホール』『アンハッピーリフレイン』の次の曲として受け取るには、あまりにも期待していたものとの断絶がありました。  それでも、私が、おそらく予定されているであろう次のアルバムに期待をかけたとすれば、  それは『WONDER & WONDER』から『モノクロノ・エントランス』への一瞬だけ起きたような、wowaka色への揺り戻しでした。  『IKI』発売後の記事(ヒトリエ『IKI』感想、不完全ながらも希望を感じる新境地)で書いたように、IKIに収録されている曲のいくつかは、W&WやDEEPERを大きく上回って自分の好みに近く、「この路線の先」にある曲を期待したくなったし、  ボカロ時代のネガティブなイメージ、インタビューで語られたような「wowakaっぽさの表面をなぞった曲の乱造」への反発という感情が払拭され、ボカロ時代の感覚を取り戻すような曲が生まれてもおかしくないと思ったし、  YouTubeチャンネルに過去のwowaka曲をアップするという行動は、「wowakaとヒトリエは違うものだと証明しなければならない」という呪縛から解き放たれたように見えました。  次のアルバムの中で、『アンノウン・マザーグース』が、その話題性から、wowakaとヒトリエの間を取るような曲だったとしても、それを中心軸と見た時に、1曲くらいは、さらにwowaka側に振れるような曲があってもおかしくないのではないかと。  その期待が少し揺らいだのは、11月頭に開催されたワンマンライブ「HITORI-ESCAPE」で『Loveless』が披露された時。  音源で初めて聴いた方と違い、バンドスタイルであれを初めて聴いた時、私は「……演歌?」という印象を受けました。そのくらい遅かったし、そのくらい印象がバンドっぽくなかったし、メロディーも……うん。  加えて「どうにかなってしまいそうな夜に」という歌詞が、『トーキーダンス』と似ているのにテンポがおそらく半分以下であることも、そのスローすぎる印象に拍車をかけています。  ヒトリエの曲調の変化の軌跡は、「shinodaのダサカッコいいフレーズの採用率が上がっていく過程」とほぼ同義だと思っています。ボカロ時代のwowaka曲やインディーズ時代のヒトリエ曲には全くなかったものです。(もちろん、そういう変化を経た今のヒトリエの方が好みだという人もいると思うので、それを否定はしません。ただ、『イマジナリー・モノフィクション』あたりまで、シノダさんの提案したフレーズがダサいからと没にされていたのは語られている事実です)  そして、『Loveless』は明らかに「ヒトリエ曲」でした。音源で聴いた今なら、「近年のヒトリエ曲をベースにエレクトロなエッセンスを加えて進化させたもの」だとわかりますが。  それでもまだ、『Loveless』がヒトリエ側で、wowaka側に属する曲もあるのではないか、と、そこに望みをかけていました。  そして実際に『ソシアルクロック』が出てきて、本来なら両手を上げて喜ぶべきところだったのですが、  今思い返せば自分でも引くくらい圧倒的なナンバーを求めてしまっていた。そこを超えてきたわけではないので、初見ではどうしても「ここが足りない」「ここが惜しい」という部分ばかりが先行してしまっただけで、実際は十分に好きな曲でした。  それに初見で気づけないくらいに内心でハードルを上げまくっている、下げよう下げようと思っていたのにどうしても聴くときはそれを忘れてしまうことに改めて気づかされました。 --------------------  もう何年も、ヒトリエの新曲を初めて聴いた時に大体ガッカリしてしまうのは、  やっぱり期待値が異常に高すぎることの裏返しだと思うし、  都合よく記憶を改ざんしそうになっているけど『モノクロノ・エントランス』も初めて聴いた時は微妙だと思ったんですよね。  それはやっぱり『ワールズエンド・ダンスホール』という、初めて聴いた瞬間から興奮が止まらなくて、その興奮が7年経った今でも衰えていない、自分の音楽観を形成した、少なく見積もっても1500回以上聴いた曲、  それを作った人の新曲であるという点で全て説明がついて。  そのレベルで自分の好みど真ん中をぶち抜く曲を待ってしまうのです。そんなのあまりにも身勝手で傲慢で意味不明な話だし、たぶんそんな曲は二度と出てこないんでしょうから、この記事を書いている自分がそれを正当化するつもりはないんですが、一リスナーとしての感情はそういう状態です。  同じように好きなアーティスト、米津玄師さんはもちろん、パスピエとかMaison book girlとか、好きなアーティストの新曲を聴いた時にそれが自分の期待と違ってガッカリすることはたびたびあるけれど、それでも「そういうものか」と諦めがつくので、  それでもwowakaさんは私の中で圧倒的に神格化されているんだなあと、最近改めて思います。  それはやっぱりピークがあまりにも高すぎることと、そのピークがあまりに昔すぎることが影響してるんだろうなと。パスピエとかブクガを知ったのはここ2~3年のことだし、米津さんに関してはそもそもハチ時代の曲はそこまで好きではなくて、それよりも『ドーナツホール』とか『シンデレラグレイ』『LOSER』の方が好きなので。  で、たぶん今後ヒトリエがどんな曲を出してもそんな感じになるんだろうな、と。  例えば今『アンチテーゼ・ジャンクガール』や『カラノワレモノ』『SisterJudy』の曲が新曲として発表されたとしても、それを手放しに褒めることができないだろうと自分でも思うくらいに面倒なファンになってしまっていて、それは<ワールズエンドダンスホールみたいな曲、かつワールズエンドダンスホールを超える曲>がリリースされるという、あり得ないことが起きない限りは覆らなくて。『トーキーダンス』はWEDHみたいな曲だけど超えてはいなかったし。  何が言いたいかというと、もう私にヒトリエの感想をまともに書く期待しないでほしいなと思いました。無理です。ごめんなさい。  『DEEPER』の時、「DEEPER」は悪くないけど、最近のヒトリエはなんか違うと思うの記事が軽く拡散された時と違って今の私はたぶん一部のヒトリエファンの感覚を代弁することもできていないという自覚もあります。  何ならルームシックやイマジナリーのどの曲よりも『ハグレノカラー』の方が好きで、ってことは最近のヒトリエの方が好きじゃんっていう話になるのですが、だからむしろ「昔のヒトリエ」なんて実は存在しなかったんじゃないか……と最近は思っています。 --------------------  レビューっぽくないタイトルになっているのはこのようにレビューではないからです。読んでくださった方はお疲れ様でした。 [amazon_link asins='B076ZL27DR' template='Original']   ...

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