メディア・カルチャー 4年前

『青春高校3年C組』、多様性を全否定する学園祭企画の失望感

私は学生時代、自分の高校が本当に嫌いだった。  体育祭で参加予定だった競技は気づいたら終わっていて、文化祭では積極的に発言したことでクラスメートからは陰口を言われ、教師と揉めて高校を辞めようとしたこともある、  まあそんな自分語りは心底どうでもいいのだけど、  ともかく、私と同様に学校が好きではなかった人間、というのは少なからずいると思うし、  学校という環境は、全ての子どもが必ず通わなくてはならず、子どもにとってそこが世界の全てであるほどの拘束力があるにも関わらず、  あまりにもごく一部の人間の性格に合わせすぎていて、その基準から外れた人はまるで人間ではないかのように扱う空間になっていて、教育の場として明らかにふさわしくないと、ずっと感じていた。自分は運良く不登校になるところまでは行かなかったけれど、そうなってもおかしくない異常な空間であったとは記憶している。  そういう中で、この4月から始まった『青春高校3年C組』という番組を観た時、これは本当に素晴らしい、世界を変えるかもしれないと思った。 青春高校3年C組:テレビ東京  「普通」の学校で普通に青春を送れなかった、「普通」ではない生徒たちが集まって青春をやり直す。  モデル経験者や俳優志望などもいる一方、元引きこもり、不登校、高校4年生、ヤンキーなどなど、普通の高校であればおそらく弾き出されてしまうような生徒たち。  しかし、それは普通の人たち(わざわざバラエティ番組に応募してこないような子たち)と比べて決して「劣っている」わけではなくて、違う機会、違う場所を与えられれば、もしかしたら他の人よりも高いポテンシャルを持っていたりする。それを机上論ではなく実際の映像として生放送で日々証明している番組は他になかったし、  そのような癖と傷のある生徒たちに接するMCも、笑いのセンスもないのにセクハラまがいのイジリをするおじさん先生ではなく、一線級のプロの芸人で、素人に一定のリスペクトを持って接することのできる人たちが揃っている。  他の数多のバラエティ番組と違って、素人を「面白い反応をするオモチャ」ではなく「個性を持った人間」として線を引いて扱う姿勢が見えた。    この番組の形が受け入れられていけば、今のこの社会が少しだけ良くなるかもしれない。  普通の枠組みから外れてしまった人間、少し変わっていたり何か一度でも失敗してしまった人間に、徹底的に馬鹿にして笑いものにする以外の接し方、  ダウンタウンやとんねるずといった流れの延長では生まれ得ない、「誰も傷つけない笑い」の形を提示してくれるかもしれない。  そんな希望すら感じさせる、それほどまでの圧倒的な新しさと面白さ、そして優しさを持った番組だった。 --------------------  ところが、1期生オーディションが終了し、生徒の位置づけが「レギュラー出演者」になってから、だんだんと番組の生徒との接し方が変化していった。  タレントやスタッフは出演者を素人として扱うことを徐々に止め始め、番組が面白くなることだけを優先して、そのための構造に協力することを生徒に求め始める。  その結果、生徒の個性を活かすというよりも、生徒一人一人のキャラを弄る「お約束」で笑いを取るスタイルに変化した。    特に『リップシンク部』や『青春ホームルーム』のようなコーナーは完全な大喜利を求められ、面白い以外の評価軸がなくなった。  例えば『リップシンク部』では小沼ちゃんだけが別のアプローチで結果を出しているように、芸人ではない普通の子どもが備えるべき能力は「笑いを取る」だけではないわけで、  面白くなくても可愛い・カッコいいだけの子もいていいし、  そもそもリップシンクが苦手な子、大喜利が上手くできない子だっていて当たり前なのに、  面白くない回答、ダンスが苦手な子の失敗は、MC陣の「面白くない」というツッコミによって、個を傷つけて番組全体で笑いを取る形に流れてしまった。    面白くない子に対して「スベり笑い」という弄り方をしたり、誰かを馬鹿にすることで笑いを取ったりするのは、番組全体が盛り上がれば良いテレビバラエティであれば成立するが、観客のいない普通の教室でそれをするのは、スクールカースト上位の「弄る側」の生徒だけが楽しい行為で、スベらされる子・弄られる子に対して精神的に多大な負担をかける。  にも拘わらず、今のテレビのほぼ全てのバラエティがそういう笑いのパターンに頼っていることが、芸能界の中だけで考える分には全く問題ないとしても、  やっぱり学校で起こるいじめの助長に波及している面が少なからずあると思うし、  だからこそ「理想のクラス」を掲げる青春高校には、誰も傷つけない笑いの形を見せてほしかったのだけれど、  残念ながら青春高校は、他者を馬鹿にする笑いを安易に取ってしまった。    7/11放送分のラスト、曜日MC三四郎の翌日への引継ぎ事項(という名のその日の放送の総括コメント)で、「女鹿ちゃんが喋ると空気が悪くなるので気を付けてください」というのは、  バラエティ番組としては100点のオチであったとしても、一人の人間に対しての発言としては単なる誹謗中傷だ。  こんな発言を「場が盛り上がってるから良い」として肯定するのであれば、クラスの誰かをいじめて笑いものにする行為も、クラスの他の39人が楽しければ良いということになってしまうし、  「弄ることで居場所を作ってあげている」「本人が笑っているから良い」なんていうのも完全にいじめっ子の理屈だ。笑いものにされることを強要された側がその笑いに協力するのは自己防衛でしかない。    番組の内容のこのような変化は他にも随所に見られ、8月末に行われる「学園祭」(という名のライブイベント)が番組の主軸となったことでさらに加速し、  それとともに私が青春高校に対して抱いていた希望は完全に打ち砕かれた。  結局青春高校も、個性を否定して、集団のために個を犠牲にすることを全員に要求する、数多のバラエティと同じ、そして数多の高校の部活と同じような前時代の方向に急旋回してしまった。 --------------------  6月25日放送分ではそのユニット分けが行われ、アイドル部、軽音部、ダンス&ボーカル部など、生徒ごとにその特性と経験を活かしてグループ分けが行われた。そんな中、なるくん・浅井くんというキャラの濃い2人と「企画ユニット」というイロモノ枠に入れられた、ややキャラが薄くて普通にイケメンな河野くん。  その反応が、近年のバラエティではなかなか見られない「本気の嫌がり方」で、放課後トークでもいわゆる"プロレス"ではない、悔し泣き寸前のマジギレを見せ、翌日以降ネタにされることとなった。  現在この回の無料配信は終了しているが(Paraviでは視聴可能)、8/6に放送された総集編で一部始終を観ることはできる。  このような、プライドの高い人間に無理やり嫌なことをさせて追い込む様子をバラエティにするのは、青春高校を手掛ける佐久間Pの十八番でもある。  『ゴッドタン』のキングコング西野、ゆにばーす川瀬名人、『キングちゃん』のアルコ&ピース平子、ライスなど、追い込まれて新たな一面を見せた芸人もたくさんいる。  ただ、彼らは芸人であり、これからも芸能界で生きていくタレントであり、もちろん本気で嫌がっている面はあるにせよ、「イジられてオイシイ」という要素が少なからずある。  そしてそれが、バラエティの企画(例えばとんねるずの『○○を買う』企画など)がいじめを助長するとして批判された際に、スタッフや他の芸人がこぞって使うエクスキューズでもあった。  だが、それを素人の高校生にまで求めることは正当化されるのだろうか。  例えば現実の高校で、陸上部で頑張りたいと思っている子を無理やり美術部に入れて浮きまくってたら、構図としては面白いかもしれないけれど、そんなことはできない。本人がやりたくないと思っていることをやらせる権利は誰にもないし、そんなものを見せられても可哀想にしか見えない。 Screenshot_2018-08-09-21-26-16  企画ユニットが発表された後の河野君の反応が近年のテレビで見たことのない映像になったのは、  バラエティとして成立するための最低限の作り笑いで取り繕うことすらせず、100%嫌な顔をしていたからだ。  だが、嫌々やらされている姿を面白がりたい、やりたくないことに一生懸命取り組む姿が観たい、というのは、視聴者の欲望としてあまりにも醜悪すぎやしないか。  私が初期の青春高校を好きになって毎日欠かさず観ていたのは、義務教育の高校で居場所がなかったような生徒たちが自分の居場所を見つける姿、変わり者の子たちの個性を肯定し、生徒たちがやりたいことを自由にやって、そのフォローをプロのMCとスタッフが行うことでバラエティに仕上げる形があまりにも新鮮でチャレンジングだったからだ。  高校生に屋根もない炎天下で野球をさせたり、チャリティー番組でマラソンをさせたり、そんな昭和の根性論を押し付ける、古い番組が観たかったわけではない。 --------------------  8/2放送分では、講師を付けずに練習を進めてきたダンス&ボーカル部が、上達に行き詰まり、今後の方針についてスタッフと話し合う様子が放映された。  生徒同士の練習では限界があり、講師を付けてほしいと相談する生徒に対し、スタッフが再考を促し、最終的には講師なしという結論に至る。 Screenshot_2018-08-09-15-40-24 Screenshot_2018-08-09-15-40-56 Screenshot_2018-08-09-15-41-30 Screenshot_2018-08-09-15-41-17  この、いっそ清々しいほどに薄ら寒いお涙頂戴、別に意図的な切り貼りをしているわけではないので、できれば実際に観てもらいたい。  テロップまで含めて日テレの24時間テレビのパロディであったらどれだけ良かったか。  結論ありきで子どもから望みの言葉を引き出そうと、脅迫に近い誘導尋問を行う大人の姿を隠さずに放送したという意味では貴重な映像だ。  今から講師を付けるという選択肢は予算的にも無いのだろうということも透けて見えるし、そういった大人の都合を子どもに押し付けて、選択肢なんて最初からなかったのに生徒が自主的に選択したかのように見せかけ、  しかもまるでそれが尊いことであるかのようにパッケージングする。  これが、未成年を見世物にする感動ポルノでなければ何だというのか。  この映像が終わってスタジオに戻った際、バカリズムが引いているようなリアクションを取ったのも、感情移入するよりも先に「彼らは、誰のために、何のためにこんなに頑張っているの?」という疑問が浮かぶような作りだったからではないか。 --------------------  ここまで書いてきたこの記事の内容は、生徒が素人であるということを前提にしてきたが、1つ触れていないことがある。  それは、「生徒のほとんどがタレント志望である」ということだ。  このあたりの事情が、番組内では割とぼかされているのだが、生徒にマネージャーが付き始め、事務所にも所属したらしい。 https://twitter.com/ruka_ouo_/status/1019087277417422848  なので、「芸能界で生きていくためには番組のために嫌なこともやらなきゃいけないし受け身のリアクションもちゃんと取れなきゃいけない」という話は一理ある。もしかしたらオーディション週の出演前からそのような説明を受けているのかもしれないし、生徒たちもそれを受け入れているのだろう。  ただ、それならそもそも、秋元康とテレビ東京が作りたかったのは「理想のクラス」ではなく「バラエティタレント養成学校」だったということになるし、番組説明に「将来芸能界で活躍するスターを育てる」みたいなことを最初から書いておくべきではないか。    または、実は視聴者の知らない部分で生徒とスタッフに想像以上の信頼関係が結ばれていて、生徒たちは(打算的な意味ではなく感情的な部分で)スタッフからの無茶振りを好意的に受け入れているのかもしれない。  が、仮にそうだとしても、生徒とスタッフが内輪の信頼関係をベースにキツい試練を与えたりお金を使わせたり、みたいなことは、フジテレビの凋落とともに完全に廃れてしまった方法論であって、2018年に劣化めちゃイケ、劣化27時間テレビみたいなものを見せられても困る。  そして何より、芸人とスタッフの関係ではなく、まだ社会に出たことのない学生に対してそういった信頼関係とコミュニティの集団圧力を利用して半強制的に何かをさせるのは、利害の一致というよりも洗脳に近い行為だ。  青春高校は出演生徒にギャラを払っていないので、なおさらだ。「良い経験になっているから」などというのは、東京五輪のボランティアを募る電通と同じ、搾取する側の理屈でしかなく、それで無理やり働かせた様子をエンタメにして見せる、それで一儲けする、なんて、到底許されるべきではないと思う。    少なくとも、7月以降の『青春高校3年C組』は、番組説明にある「理想のクラス」とは程遠い。  一部の生徒を笑いものにする上下関係の笑いばかりが目立ち、生徒が望んでいないことを無理やりやらせ、苦手な生徒ほど大きな負担を強いて、その一連の姿を見世物にする、   ...

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