ひとりごと 5年前

普通でいられない

せっかくファミレスに来たのにSurfaceの充電が空っぽの時ほど死にたくなることはない。なので死にたい1日でした。  でも死ぬ代わりにスマホでブログを書いています。電車の中で書こうと思ってはいるのですがここ2週間ほど気分が乗らない。 --------------------  サービスインした『YouTube Premium』3ヶ月無料体験に登録しました。  オフライン再生とバックグラウンド再生、便利すぎる……3ヶ月後にちゃんと止められる自信がない。月300円くらいだったら割と躊躇なく入りたいのだけど、月1180円はさすがに高い。  抱き合わせで付いてきた『Google Play Music』で、定額制ストリーミングついにデビュー。とはいえ思っていたよりも微妙……。  意外とアーティストを網羅できているわけでもないのと、結局自分の知ってるアーティストを検索することになるので、  「聴ける音楽」が増えても「聴く音楽」は増えない。  『ハローニュージェネレーション / CY8ER』『大江戸コントローラー / Yunomi』『クリープショー / Creepy Nuts』『歌物語』あたり聴いてますが、  別にそれらが聴けないなら聴けないで別に困りはしないというか、そこに月980円の価値はないなあと。YouTube Premiumのついでに入るならもちろん活用しますが、そうなると合わせて月1180円が高すぎる。  auがNetflixプランみたいにYouTube Premiumプラン出してくれたら……と思うけどあれ実際そんなに安くなってなかったし、それなら最初からNetflix入りたい気もする。テラスハウス最初から観たいし。    au、既に値下げ済みとかいろいろのたまってますけど、あの決算の利益率を見たら「値下げの余地がある」と言われるのもやむなしというか、増益し続けていることとユーザーへの還元が両立しないという指摘はその通りだと思うので、もう少し頑張ってほしいです。  家族3人以上au入ってたらNetflixとかYouTube Premiumのファミリープランにめちゃくちゃ安く入れるとか、そういうところまでやってくれないと。 --------------------  最近というかここ数日ちょっとお仕事が楽しくなってきました。Nuxt.jsを導入したことでとてもアプリっぽいモダンなサイトが作れて、満足しています。イメージしたものが実際に動く形になるのは楽しいし、自分はコーディングとかプログラミング好きなんだなーって久々に再確認しました。  以前書いたこのあたりの話にも。    今の職場、4月からずっと書いてきたようにいろいろ不満だったりストレス要因だったりはもちろんあるんですけど、遅刻とかしてもそんなに怒られないのとか、仕事中にラジオ聴けることとか、そういう細かい部分での過ごしやすさとのトレードオフで考えていくと、割とベストに近いのかなあと思い始めています。有給の取りにくさくらいかなあ、不満があるとしたら。そこだけ整備されたら全然居心地良い。  こういう環境にいること自体が楽をしている、将来の可能性を犠牲にしている(もっと大きな企業で堪え忍べば年収がもっと上がっていくのにそうしていない)のだという考え方もあって、それが自分の中でネックとしてあった、だからこそ今の会社はなるべく早く辞めなきゃいけないとも思っていたのですが、  じゃあ自分の目指す生き方がそういう大きな会社で抑圧されていくことなのか、目指すというよりそれができる方の人間なのかと考えると、ちょっとそうではないかもしれないという気もしていて。  そういう生き方ができない人間であることをこれまでの人生で嫌というほど経験してきたからこそ今こうしているはずなのに、それができない方の人間だから就活も失敗したのに、  まるで「本気を出せば余裕で『普通の人』として振る舞うことができる」と勘違いしてしまうのはなぜなのでしょう。 --------------------  父親がいなくなってそろそろ1年になるんですけど、(笑)  ここ数ヶ月ずっと苦しいのが、父親の代わりに弟に対して怒らないといけない場面があることです。  一番下の弟とは10歳くらい離れてるのでまだ中学生なのですが。やっぱり「勉強しろ」とか言わなきゃいけないタイミングがあって、  それは凄く言いたくないことというか、自分が本来そういうことを言う資格のある人間ではないので。自分自身は全然勉強なんてしてこなかったし、していなかった学生時代と今がそこまで切り離されてもいない、地続きでそのまま生きているので、  しかもそんなことを言ってる私はもう土日ずっとSplatoonやってたりするんですよ。どの口が言うのかと。  10代の頃の自分は、親や教師をはじめとした、「自分のことを棚に上げて子どもを叱る大人」「年齢だけを理由に自分が絶対的に相手よりも正しくて優れていると盲信できる大人」が大嫌いで、そういう人間が社会の最底辺で、自分はそうならないようにしよう、それを肯定するいかなる理屈も正しくないと思い続けようとしていて、  その気持ちに変化はないのですが、ただ自分がそれをしないと回らない場面でその役割を担うのが本当に辛いです。  そんな年齢ではないから、というのは簡単だけど、別にそれはあと10年か20年生きたからといって自然に手に入るものではないような気がしていて、  自分の両親も自分が誰かを育てられる正しさを持った人間である根拠なんてなくて、ないままでどうにかあるフリをしてきたのだろうか、と思いを馳せています。  でもやっぱり誰かが言わないといけないというのはあって。  期末試験の前の週にゲームばっかりするのとかも、本来は個人の自由として尊重しなくてはならないし、干渉してはならないはずで、私はそれを支持したい、んですけど、  そうやって干渉しないということは、それによって取り返しのつかないほど成績下がって、みたいなことの責任も拒否する、本人に押し付けることになってしまうし、  でもそれを肯定してしまうと体罰だったり度の過ぎた教育も、教師が生徒の将来に対して負う責任がある限り肯定され得てしまうからやっぱりおかしい。    もっと気楽に生きていけるほど将来が明るければらそんなことを心配する必要もないんですけどね。日本にベーシックインカムが整備されてたら別に勉強なんかしなくていいんじゃないって思うし、私が月300万とか稼いでたら別にニートでもいいよって言ってあげるかもしれないしw  でもそれは自分が大学を出てそういうレールに乗った生き方しか知らないから思うだけで、本当は中卒とか高卒でも楽しく生きてる人なんてたくさんいるのでしょうけど。  何が正しいのかなんてわからない。きっとこれからも。  自分にとっての正しいことを、家族にとっての正しさ、くらいまでは拡張していいのか、部下や生徒にも拡張して良いのか。そんなことにいちいち疑問を持たない人間だけが平気で人の上に立てるのでしょう。 --------------------  ブログを書く習慣というか気持ちの持って行き方がすっかりわからなくなってしまいました。久々に毎日更新したい。12月に……と思ったけれど12月はいろいろ作業で忙しそうだし、1月かなあ……。 ...

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