非日常
前の記事もかなりしんどかったのですが、その次の記事の方がもっと大変かもしれないです。 普通でもいられないし普通でないことを書き続けるわけにもいかない。 とりあえず前半は意図的に普通のことを書いていますが、もちろん普通ではありません。 --------------------
最近のテレビ
- 『アメトーーク』の「お母さん大好き芸人」がとてもよかったです。とても。題材も温かくて、メンバーも軒並み若い。何よりも共感しかない。授業とか会社とかのあれはともかく、もう割とここ3年くらい母親とリリスク以外の女性と会話した記憶がない。 『テレビ千鳥』の「ゴチをやります!」、神がかってる。千鳥の面白さの真骨頂。 『霜降りバラエティ』は2人の仲の良さを観てほっこりする感じ。けど企画次第でもっと面白くなりそうだし、これでまだ20代なのが怖い。 『ロンドンハーツ』も深夜移動で、まさにこういうロンハーを毎週やってほしかったという理想の感じに。ちょっと今年度のテレビ朝日の勢いが凄い。 『激レアさん』『相席食堂』は昇格関係なくあんまり観なくなってしまった、というか1時間ってちょっと長いですよね。 『水曜日のダウンタウン』すら最近は追えてないです。TVer配信さえあれば絶対に観るんだけど。 『オールスター後夜祭』は最高でした。タレント名鑑/スター名鑑からスタジオトークを全部抜いて藤井Pセンスだけで埋め尽くした濃厚な2時間。 春と秋は『後夜祭』、冬は『正解は一年後』があるのだから、夏はそろそろキャノンボール復活で良くないですか。 『日向坂で会いましょう』、言うまでもなく最高。来週はカスカスラジオ。もうほとんどオードリーファンのための番組。 『オドぜひ』はTVer配信してください。っていうか『日向坂』もなんですけど、こちらは何度消されても確実にYouTubeに上がるから許してるだけです。 『テレビ千鳥』『相席食堂』みたいな、オードリー2人のトークが中心のレギュラー冠番組がテレビでやれないのは何でなのかと思ってしまうけど、オードリーANNと日向坂がその役目を十二分に果たしてるかなとも。 そういう意味でも千鳥とオードリーの対比はダウンタウンとウッチャンナンチャンを踏襲しているような気がして、だからこそオードリーが年1でしか共演しなくなる未来なんか観たくないのでオードリーANNだけは絶対に終わらないでほしい。
最近のラジオ
- 『オードリーANN』久々のスペシャルウィークは弘中アナ!絶対面白いに決まってる。 ところで、好きな女子アナランキングで弘中アナが2位だったの、未だに違和感が凄い。ほぼ激レアさんしか出てなかったのに。「『好きな芸人』という単語から連想で浮かびやすい」ですべて説明がついてしまうサンドウィッチマンもそうですけど、もはやみんな芸能人に好きとか嫌いとかなくて、無回答とか消去法で選んでる票が大半なのでは。 『霜降り明星ANN0』、2週目も圧倒的。当然面白いし既に完成されているというだけではなく、次世代感しかない。新紙幣が誰になったかというテーマで採用されるネタメールが「モンジャラ」だったり「マジャコング」だったり。先週も言いましたが、よほどのことがなければ、ナイナイ、オードリー以来の同世代の共通言語になり得るラジオであり芸人なので、20代なら一度絶対聴いた方がいいですよ。 『Creepy NutsのANN0』のゲストに三四郎・相田、Creepy Nutsのラジオパークのイベントに佐久間Pゲスト、そしてゴッドタンのラジオ芸人サミットにアルピー・ハライチ・Creepy Nuts。垣根がどんどんなくなっていく。楽しみ。 『佐久間宣行ANN0』はSPWに拘らずアルピーや朝井リョウなどをどんどんブッキングしてほしいので、レギュラー回も普通に面白いので無理にゲスト頼らなくても全然いいクオリティであることはちょっと複雑。 あと『佐久間ANN0』『霜降りANN0』どちらもテーマソングが格好良くて好き。 『D.C.GARAGE』『ハライチのターン!』、毎週面白いけど、無風なので書くことがない。スペシャルウィークを廃止した恨みはずっと唱え続けるしか…。 『ヨブンのこと』。たかみな誕生日。やっぱりテーマが一つあってそれにまつわる朝井さんの濃い持論を聞けるのが一番良い。 『菅田将暉ANN』『三四郎ANN』は暇なら聴くけど先週は精神的に暇ではなかったので聴けなかった。 『ミューコミプラス』月曜冒頭にヒトリエの話。佐久間ANN0ではゴッドタンEDとして『インパーフェクション』。 もちろんそれは嬉しいけれど、同時に例えば、米津玄師さんや、もしくは別のボカロ出身アーティストが今レギュラーのラジオをやっていたら、もっとちゃんと語ってくれただろうし、それはそんなにあり得ない未来でもないので、何もかも早すぎる。これから5年後、wowakaさんに影響を受けた人たちが音楽界を席巻しても、そこで語られるべき人はもういない。