ひとりごと 2年前

よそ

気づけばGWも終わってしまいますね。 --------------------  後半暗い内容になるので、先にブログのアップデートのお知らせです。このGWでいくつかの機能を新たに追加しました。  記事の移動の際にふわっと画面が切り替わるようになった、とかもあるのですが、  最大の目玉はプッシュ通知。個人的に試してみて、ちゃんと動いていそうだったので全体公開しました。 image-20200505163917742  プッシュ通知をオンにしているとこんな感じで通知が届きます。  ※iOSはこの機能に対応していないため、iPhone / iPadではボタン自体が非表示となっています。Android / Windows / Mac限定でご確認ください。 image-20200505163204564  この右下の通知マークを押してプッシュ通知の許可を行ってください。オレンジになっていたら有効状態なので、記事更新時に通知が届きます。  ちなみに、通知が届いてから最新記事に反映されるまで20分程度のタイムラグがあります。それまでは、プッシュ通知経由でしか記事を閲覧することができないのでご注意ください。通知が来たからといって自分でトップページを見に行ってもまだ記事はありません。  単に記事を見に来ただけで「通知をオンにしますか?」とか聞いてくるクソニュースサイトはみんな嫌いだと思うので、ボタンを押さないと有効にならないオプトイン形式にしました。勝手に許可を求めてくることはないはずです。  ウェブでも通知が受け取れるという技術実験をしたかっただけなので、たぶんオンにする方はほとんどいないと思いますが……興味のある方はぜひ試してみてください。  もう一点、一部記事でのコメント機能を復活させました。 image-20200505164329866  コメント投稿ボタンです。具体的には、ひとりごと以外のカテゴリーの記事に限っています。特に技術系の記事などでは有用かな、と思ったので。  前回の記事のこともあり、やはり広く攻撃を受けるのも大事かな……という気もしてはいるのですが、ちょっと精神的に厳しいので一旦見送りました。そのうちFirebaseのユーザー認証とセットにして、Googleアカウントをこちらで握れる状態であれば復活させてもいいかなあ……くらいが落としどころ。 --------------------  ヨルシカ『花に亡霊』。  岡村隆史ANNのパワープッシュで流れてましたが、謎のシンクロがあって良かったです。  『ただ君に晴れ』×さよならたりないふたり、もそうでしたが、ヨルシカの歌詞の世界観と深夜ラジオの親和性が高い。  ヨルシカの歌詞の根底にある、寂しさ、孤独、大人になりきれない、みたいな感覚が、本当は思春期の10代に向けて発信されているのかもしれませんが、そういう普通の人が普通に乗り越えていけるものを乗り越えていけないままでいる、社会性の欠如した人間が集まっている空間に対しても作用しているのかもしれないし、  本当は深夜ラジオに限らずたくさんの人がそういう矛盾を抱えているからこそヨルシカが支持を集めているのかもしれません。 --------------------  前回の記事にどうにか組み込もうと思いつつ漏れてしまったのですが金スマのオードリースペシャル良かったですね。  ここ4年ほどラジオを毎週聴いている身としては、知っているエピソードも多かったし、テレビとしていろいろわかりやすくディフォルメしたのだろうなと思わされる部分もありましたが、それを差し引いてもこれまでの流れの総決算としてずっと飽きない2時間でした。  若林さんの結婚に至るまでの話はちょうど今週の『あちこちオードリー』でもされていましたが、本当にいいですよね……。  人と会う時に必ず何を話すかある程度計算してから行くというのは私自身もよくやることだし、それって何が楽しいの? という虚しさも同時に抱えてしまうし、本当は全然楽しくないんだろうなとも思うし、他人から需要があるのは本音を全部閉じ込めた営業モードの自分でしかなくて……などと考えている中で、  「2人きりで飲んだ後に、散歩まで一緒についてきてくれたことで好きになった」というのはあまりにもわかりすぎるし、そういう存在に出会えることなんてあまりにも奇跡的すぎてあり得ないとすら思ってしまうけれど。  だからこそそういう風な存在に出会えなかった岡村さんとの対比、にも取れてしまうのだけど、「自分のことを好いてくれる人なんているわけない」っていう自虐に入ること自体がある種の楽をしている、努力を怠っているわけで、そうではなくて「自分が好かれる人間になるように努力する」という考え方にならなければいけないんだろうな……とも。  そう思う一方で、自分自身がそういう人それぞれの個性だったり欠点だったりを否定しない社会を求めているので、どうなんだろう、とも思ってしまう。

「家族もいない、仕事もない、友人も恋人も何もない、自分の存在をどうしても実感できない――そう思い悩んでいたとき、『多様性の社会だからそれでいいんだよ』なんて言葉を投げかけられたら、私はその人のことを傷つけてしまうかもしれない。多様性なんてどうでもいいから数値化できる生産性をくれよ、と、思わない自信がない」 朝井リョウさん「素晴らしき“多様性”時代の影にある地獄」|平成 -次代への道標|NHK NEWS WEB
 以前書いたこの記事でも引用してたのですが、  「自分の個性が尊重されなくても他者の個性を尊重する」という滅私奉公的なことを貫ける人ってめちゃくちゃ強いよなあ……と思う、それができないというのは結局「自分は頑張ってるんだからもっと優しくしてほしい」という歪んだ被害者意識なので、まあ甘えなのでしょうね。 --------------------  相変わらず暗い気持ちになる日々が続いています。  岡村さんの件自体も一つの例ですけど、ここ数年の正論ブーム、合理的に正しいと思われる理屈があればどれだけ人を社会的に殴っても悪ではない、みたいな風潮が、  ようやくちょっと落ち着いてきたかと思ったのに今回の件で一気に逆戻りしたように感じるし、  そして、さすがにそういうものに加担しないだろうと信頼していた人たちが簡単にそういう面を見せることにも日々失望していて、やっぱりあらゆる他人と関わりたくないな、と思ってしまいます。  「GWに家から一歩も出ない」みたいなレベルでの自粛を求めるのって、家がある程度広くて居心地が良い人間の理屈だろ、と思うし、それっておそらくそうじゃない状況を経験したことのない人には全く想像もできない世界の話なんだろうなと。  3年前、父親が鬱で少しでも関わると怒鳴られるみたいな状態にあった時期に、接触を避けるために毎日ファミレスに行ってES書いたりしてたんですけど、たぶんその時期に今のような外出自粛が発されてたら間違いなくコロナで死ぬ前に父親をころしてただろうなと思いますし、  例えば家で仕事できる環境にないからホテル暮らしを選択するとか、バイトを完全に止めることはできないから気をつけて働くとか、そういう、それぞれができるベストを尽くしている人たちに対してさえ、そういう恵まれた人たちが自分の環境を基準点にして「自粛が足りてない」みたいに叩く行為って、あまりにも想像力がなさすぎるし、そして何の解決にもならないと思うんですけど、  結構平気でそれがまかり通ってしまっていることに絶望するし、自分が都合の良い解釈で自粛の範囲を緩めてるだけの非国民だろ、というのが社会の総意であるならそうなのでしょう。そして、そうなった社会と人間は別にこれが落ち着いても元に戻らないだろうし、  そして、そういう社会に合わせることができない、というのも甘えであり悪だという価値観に変わっていかない限り自分はずっとあらゆる他者から排除され続けるのだろうなと思います。それで良いと思えるならそれでも良かったのですが。 ...

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