映画・音楽・小説の感想 8か月前

2021年1月に読んだ本

年始に本を読むという目標を置いて、せっかくなのでとKindle Unlimitedの2ヶ月299円キャンペーンに登録したりしながらいろいろ読んだので備忘録的に書いておきます。来月以降はやらないかもしれません。  ちなみにネタバレしまくります。各作品ごとの感想で他の作品のネタバレはしないように気を付けてはいます。 ※Kindle Unlimited対象ではない作品も含まれています。 --------------------

本谷有希子 『静かに、ねぇ、静かに 』

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芥川賞受賞から2年、本谷有希子が描くSNS狂騒曲!海外旅行でインスタにアップする写真で"本当”を実感する僕たち、ネットショッピング依存症から抜け出せず夫に携帯を取り上げられた妻、自分たちだけの"印”を世間に見せるために動画撮影をする夫婦――。SNSに頼り、翻弄され、救われる私たちの空騒ぎ。
 うーん……。という感じ。  1本目の短編が特にですが、主人公が自分のことを正しいと信じて疑わないキャラクターに設定されているはずなのに、地の文で自分たちのことをメタ的な視点でかなり否定的に描かれている。別に主人公がそういう俯瞰と主観を持ち合わせた人間であるとかでもなく、そういう域を超えて二重人格のような語りには多少違和感があったし、あとここまで馬鹿にするからには絶対最後は痛い目に遭うんだろうなと読めてしまった。  とはいえ、著者がそれを無自覚にやった(本人はフラットなつもりがそうではなくなっている)とはさすがに思わないのでたぶん意図的なのだろうなと思うのですが、  問題はそもそもその視点が全然新しくないということ。  インスタ映えに拘りすぎてSNSでの見え方さえ良ければ現実がどうであろうと関係ない、現実の生活に満足していなくても自己顕示欲や承認欲求が満たされればそれでいい……みたいな感覚って、今更特筆すべきものだとも思わなければ、その大小を別にすれば普遍的に誰にでもある感情だと思うし、  それを「あえて誇張することで逆説的に馬鹿にする対象として描く」のは、アフィブログで5年前からさんざんやりつくされて最早「嘘松」という2文字で説明できてしまうくらいに浸透してる価値観なんで、それを2018年に、今さら小説という媒体で……。という気持ちになりました。こういう人が渋谷ハロウィンとかタピオカミルクティーとかに未だに怒ってるんだろうな。  特に1本目の短編は、「自分たちの生き方を良いと信じて疑わず、既存の価値観(社会的な地位やお金があることに価値を置くこと)を馬鹿にすることで自分を正当化するキャラクター」を描いているのに、  その価値観に理解を示さずに馬鹿にするという態度を取っているせいで、結局「自分たちは正しい、自分と相容れない価値観は正しくない」という、本来否定したいはずの対象と全く同じ主張をしてしまっている。  完全にそれを「自分とは違う人間」だと決めつけた描き方で、「自分は現代の弱者の代弁をしてあげている(自分自身はああは絶対にならないけど)」という傲慢さを感じました。  それこそ今のプペルマルチの問題とか、アイドルスパチャ依存とかも、本谷有希子さんから見たら「頭の弱い人だけが落ちるしょうもない世界」に見えるのでしょうけど、ああいうものに救いを求める、価値を感じる人たちがいるというリアルには、本人の性格だけではない形できちんと説明のつく社会的背景があるわけで、現代SNSをテーマに持ってくるならせめてそういう考え方・生き方をする人たちの理解を助けるような形にしてほしかった。  あと、そういうものを描いているのにオチが急にファンタジーなのもしょうもないなと思ってしまいました。  自分が一番嫌いなのは「現実にある社会問題をモチーフに選びながら、物語内の解決をフィクションにしてしまうこと」で、スカっとジャパンみがあるとも言い換えられるのですが。  それは現実にその問題で苦しんでいる人たちの存在に対して、寄り添うフリをして一方的に搾取して突き放してしまうような不誠実さを感じる。  パラサイトの感想の時にも同じようなことを書きました。
 結局あの映画って、出発点として(おそらく)韓国で普通に存在する貧困層のリアルを描いているはずなのに、終盤にかけて衝撃的な展開が続いていく、それは確かに映画としては正しいのだけど、  結果的にストーリー全体をあり得ないこと、観客に対して「自分が今生きている世界とは関係のない話」として処理させてしまう効果を持ってしまうのではないかと。そう受け取る人が少なければ問題ないのかもしれませんが。  『シンゴジラ』を観た時も似たようなことを思って、あれも3.11のモチーフを織り込みながら最終的に都合の良い結末に結びつけてエンタメにしてしまったことで、あの一連の事象そのものを美化してしまうような作品だったので観た後に嫌悪感があったのですが。  それだったら自分は完全なフィクションから出発して「でも自分がいる世界と無関係な話ではないな」と思わせてくれる作品の方が好きだなあと。要するに『ズートピア』のことです。社会を変えることに寄与するのはどちらかといえば後者の方じゃないかと思ってはいるのですが、実際どうかはわかりません。どちらも同等に無力だという話かもしれません。 au Pay、パラサイト など | Our Story's Diary (oswdiary.net)

宇佐見りん『推し、燃ゆ』

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逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。アイドル上野真幸を“解釈”することに心血を注ぐあかり。ある日突然、推しが炎上し――。デビュー作『かか』が第33回三島賞受賞。21歳、圧巻の第二作。
 芥川賞。1999年生まれってマジか……。  発達障害の描写がリアル、とは言うものの、実際発達障害の人の心理がこれがリアルなのかどうかはわからなくないか……? と思ったりもしましたが、  なんというか、そもそも発達障害っていうものも別に「障害がある人/ない人」みたいな二元論じゃないはずなんですよね。一応病気として認定される便宜上のラインはあるにせよ、グラデーションのようなものであるはずで、だから主人公が自ら「自分は病気だから仕方ない」と言い訳にする自覚性も全然あり得るんだろうなあとも思うし、  漢字の書き取りは全然できないけどPCは変換機能があるからブログは書ける、みたいなことも全然あり得る。  世間的な普通にどうしても合わせることのできない主人公、というテーマは『コンビニ人間』に近いものがありますが、そちらよりもさらに残酷だと思うのは、コンビニ人間と違って明確に他者(家族)に迷惑をかけているという部分。  好き嫌いとか善し悪しではなく描く対象の違いなんですけど、これのせいで一概に「いろんな人がいていいよね」という綺麗事に落とし込めない。落とし込むことを許さない。  発達障害、またはそう認定はされない程度の性格的な問題によって、勉強ができない、働けない、他者と一緒に動くことができない……みたいな人たちは少なからずいるだろうし、その人たちに対してそれを理由に生きる権利がないと断じることは誰にもできないわけですけど、  じゃあ働けないという個性を持った人間が家族にいる場合、その対象を養う義務まで生まれてしまうのか。それは「働けないものは仕方ない」で済ませて良いことなのか。働いたり勉強したりなんて誰だって好きではないはずなのに、できないという理由でそれが許される人間がいるのか……。  理想論としては、逆に自分がいつそういう救われる立場になるかもわからないから、ということになるのだと思いますが、そんなことで簡単に解決できるものでもないし、じゃあ公平とか公正ってどのような状態を指すのでしょう。  文章というかその時々で起きていることの読解が難しいポイントが多々あって、主人公の混乱を表現しているのだとしたら上手いなあと思いつつ、  結局その推しが暴力を振るったという行為に対する主人公の解釈が最後までなかったのが気になりました。肯定するにせよ否定するにせよその事象に対して何らかの答えを都合よく出さずにいれたのかという点で。  私自身は「推す」という言葉を過剰に使う女性オタク文化圏のことはあまり好きになれない(別に男性オタク語が好きなわけでもない)し、好きなものを100%好きで居続けることができない(むしろ好きなものであるほどに自分の期待する行動を取らなかった時にガッカリする)タイプなので、主人公の感性そのものにはあまり共感できませんでしたが。  自殺を選びそうな語りがありながら、もちろんそんな安易な終わり方はしない。惰性であっても生きていくしかない、死ぬ理由がないから死んでいないだけだとしても。これだけ希望のない社会で自殺願望なんてない方が珍しいし、その上で自殺はする方が珍しいのだから当たり前。そういう意味で私が期待する誠実さは当然ありました。

ヘッセ『車輪の下で』

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周囲の期待を一身に背負い猛勉強の末、神学校に合格したハンス。しかし、厳しい学校生活になじめず、次第に学業からも落ちこぼれていく。そして、友人のハイルナーが退校させられると、とうとうハンスは神経を病んでしまうのだった。療養のため故郷に戻り、そこで機械工として新たな人生を始めるが……。地方出身の優等生が、思春期の孤独と苦しみの果てに破滅へと至る姿を描いたヘッセの自伝的物語。
 このあらすじ、ストーリーの主要な展開からオチまで全部言ってるの酷くないですか??? 古典だからって全員がストーリー知った上で読むと思わないでほしい……。ハイルナーが退校することを事前に知らずにストーリーを追いたかった。  自分の周りの高卒で働いている人とかと話す時も思うんですが、勉強に限らず、自分のしていることの正しさに疑義を持たないということは一つの才能だなあと強く思います。自分が選べる以外の可能性のことを知れば知るほど人生は息苦しいものになっていく。  逆に故郷に戻ってそこで楽しく生きていければ良いのでしょうけど、神学校に進んでエリートコースに乗るという可能性も見てしまったから簡単には捨てられない。  ところでこの話、最終的に主人公は故郷に戻った後、機械工としての仕事に就いてすぐに事故で死ぬんですけど、これって作者にとってすごく都合の良いハッピーエンドだよなあとも。  人生に絶望した主人公がその先の人生を生きていく必要がなくなるって救いでしかないし、本当はそうではなくて、絶望した人間がその先どうやってそれに折り合いをつけて生きていくかを語ってほしいのに、と思わなくもないです。それを古典に求めても仕方ないのかもしれませんけど。

トーマス・マン『ヴェネツィアに死す』

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高名な老作家グスタフ・アッシェンバッハは、ミュンヘンからヴェネツィアへと旅立つ。美しくも豪壮なリド島のホテルに滞在するうち、ポーランド人の家族に出会ったアッシェンバッハは、一家の美しい少年タッジオにつよく惹かれていく。おりしも当地にはコレラの嵐が吹き荒れて……。『魔の山』で著名なトーマス・マンの思索と物語性が生きた、衝撃の新訳。
 主人公が意味のない生よりも意味のある死を選ぶ話。「自分の好きな相手と一緒にいられる幸せを捨ててまで長生きすることに意味を感じない」というのは、それこそ今のコロナ禍での行動様式と繋げて語ることもできそうですね。  自分の生きる意味って何だろう、何のために生きているんだろう、みたいな問い、学生時代は無限に考えていて、それで悩んで死んでしまった方が良いんじゃないかと思ったことも何度もあったし、たぶんこのブログにもそういう思考の断片的な発露がたくさん残っているだろうと思いますけど、  そこからいろんなことを経た今は、そういうことを考えないことが唯一の正解だと自分の中で結論を出してしまっているみたいなところがあります。生きる意味なんて考えてもないに決まっている。  今の仕事を続けていく先に自分の人生の意味があるのかとか、今ある人間関係を維持していくことにどれだけの意味があるのかとかも。だってどうせ最終的には死ぬのだし、短い人生の中で全員がその意味を作れるわけがない。  そういう意味で「少なくともお金を稼げれば稼いだだけ幸せになれる」ということがわかったので、それ以外のことで悩んでも意味がないことは考えないようにしています。  コロナ禍で外出を自粛していろんなものを我慢してまで生に執着することに意味があるのかと言われれば別にないですよ。ないけどそれを言い出してしまったら料理を作る必要もないしリングフィットアドベンチャーをする必要もないし仕事を頑張る必要もないし、生きている必要なんてないんですよね。自殺する動機がないから生きているだけだし、刹那的な快楽、スタバが美味しいとかラジオが面白いとかそういうものの寄せ集め以上の意味なんて要らないです。

トーマス・マン『だまされた女』

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アメリカ人青年に恋した初老の未亡人は、再び男性を愛する喜びに目覚めたのだが……(「だまされた女」)。インドの伝説の村、頭脳の優れた青年と見事な肉体の若者が美しい腰の娘に出会う。娘は女になり、目覚めた愛欲が引き起こす混乱の結末とは(「すげかえられた首」)。女盛りに向かって上りつめる女と、老いのなかでいまいちど情熱に燃える女の、対照的なエロスの魔力。
 『すげかえられた首』の方はまだ読んでないのですが。  ストーリーはあまりにも後味が悪くて笑ってしまった。身体と精神の繋がりをこのモチーフで表現する生々しさ。  母親が娘を呼ぶ時の呼び方が「おまえ」じゃなければ5倍くらい読みやすかったのになあと思ったり。全体的に翻訳の固さ(たぶん古語に忠実なのだと思いますが)で、各登場人物が何を言おうとしているのかいまいち掴み損ねたところがあります。  母親も娘もそれぞれに自分のことを棚に上げて語る、他人を非難しつつ同じ論理で自分を正当化して生きている。親としての責任を放棄しているとは言いつつも、子に対する親の責任とはいったい、という気持ちにも。

エーリッヒ・ケストナー『飛ぶ教室』

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ボクサー志望のマッツ、貧しくも秀才のマルティン、おくびょうなウーリ、詩人ジョニー、クールなゼバスティアーン。個性ゆたかな少年たちそれぞれの悩み、悲しみ、そしてあこがれ。寄宿学校に涙と笑いのクリスマスがやってきます。
 前半、別の学校の生徒にクラスメートが人質に取られて奪還するために決闘を申し込んでみたいな展開が微塵も共感できなかった。この時代のドイツって本当にそんなゲームめいた世界だったの…?  後半のウーリが勇気を示す流れは確かに示唆的ではあったものの、  全体的に良い人が良い人すぎるのと悪い人が悪い人すぎていろんなことが都合よく解決していく感じがあり、もう少し登場人物に深みというか複雑さがあってほしかったなあと思ってしまった。決して優等生ではない生徒たちに対して先生の対応が優しすぎるし、度を超えた行動に対しても寛容に接しすぎている。逆に実科学校の生徒は単なる悪者以上の意味を持っていないし、良くも悪くも古典という感じ。  結局どういうメッセージが込められた話なのかがよくわからず、何で読み継がれているのかはよくわかりませんでした。 ...

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ひとりごと 8か月前

続いてしまう生

1月も気づけば終わりですね。  最近、買うかどうか迷うラインぎりぎりのオンラインイベントがたくさんあるのですが、  それらに対して、「一旦後回しにして購入期限が切れるまで忘れる」という方法でチケット代を節約しています。  佐久間PのANN0イベントも、Creepy Nutsのワンマンも、マヂラブ寄席も、ラランド忘年会も、パスピエワンマンも。  買おうかと思ってたし、買ったら十分に楽しめるとは思うんですが、なかったとしても生きていけるのだから別にいいかなと。  非日常の存在って別になくても生きていけるし、結局一過性で継続性のないものって楽しくないんですよね。終わった後に虚しい日常が待っているだけで、そのギャップは、経験しなければ生まれないので。期待しなければ苦しみもない。無料だったら観たと思いますけど、継続性のないものにお金を払う虚しさ。と言いつつスタバのドリンクとかも一過性のものなのにガンガン払ってしまうわけですけど。 --------------------  祖母が亡くなりました。  ここから先は本当に不快になる方もいると思うので人の命を軽んじている人以外は読まないでほしいんですけど、  まあなんというか難しいですね。正直に言うと。  7~8年前に倒れて入院してから、1年に1~2回…ここ2年くらいは会えていませんでしたが、  一応生活はできているものの記憶は途切れ途切れで、会話はできているけれど同じ話がずっとループしてしまうような、コミュニケーションとしては成立していない状態が続いていたので。  だから、こういう言い方はもうすごく不謹慎なのはわかってますけれど、  これをきっかけにして何か自分の中で具体的に失われたものがあるわけではないというか。  会えたらこういう話がしたかったな、みたいなことで言えば、それはもう数年前に不可能になっていたので。  その上で、「祖母が亡くなるということがわかった上で1週間前に戻れたら会いに行くか」と言われたら、行かないと思うんですよ。それによって何も生まれないので。それは別に祖母が会話できない状態だったからとかそういうことは関係なくて。  例えば、wowakaさんのことがあって、じゃあ『LOVELESS』(2018年のワンマン)に行っておくべきだったと思うかと言われたら、それは全然ないです。そういうことじゃないんですよね。その時に会いに行こうと思わなかったのはその時の自分の選択であって、それは後から変えられるものではないし、その時にそう選択した自分を否定することはできないので。  平常時に会いたいと思わない相手というのは、つまり自分の人生の中で拠り所としていない、それがなくても人生を続けていけるということであって、  別に明日死ぬわけじゃないとしても会いたいと思う人とだけ会えればいいし、毎日会いたいと思うわけではない人が全員明日死んでしまったとしても、自分の人生は何も変わらずに続いていく。いや、別に毎日会いたい人が死んだとしても、何事もなかったかのように次の次の日くらいには仕事に行くわけですけど。  という風に考えていくと、普通の人は人が死ぬことの何にそんなに悲しむんだろうと思います。  その人が亡くなったその瞬間に、それにまつわる世界の変化は既に全て完了していて、その先に待っているのは、悲しんでも悲しまなくても総量の変わらない喪失感と同居する日々でしかないわけで、そのことで泣くんだったらそこから一生泣き続けてないと筋が通らない。  自分はwowakaさんのことで今でも寂しいし今でも世界に対して怒りの感情を持っていますけど、訃報を聞いた時から一度も泣いてはいないし、悲しいという感情が泣きそうになることなのだというのならそういう感情を持った瞬間は別になかったんじゃないかなと思います。  そうではなくて、自分のためではなく相手のために会いに行くんだ、というアングルで言うと、その人が自分が会いに行くことで喜んでくれるような人間はいない。  そもそも、そういう気持ちで行くのは凄く傲慢だし、そして失礼な行為だなと思うので。自分だったら、別に会いたいと思われていない人に気を遣われて来られても嬉しくないし。  自分が、ベースとして関わった他者のことをどちらかと言えば楽しくさせてあげられる奉仕の心を持った人間であれば積極的に会いに行けばいいと思いますけど、そうではなくて、自分と関わることで嫌な気持ちにさせた人間の方がはるかに多いし、自分もそういう人たちを不快にさせてきたという痛みをずっと持っているわけで、これ以上そんなことを増やしたいとも思わない。だから会う必要がない。  みたいなことを考えている人間であるという時点でそれが証明されてしまうというマッチポンプがあるわけですけど。  じゃあ現在進行形で自分と関わってくれている人たちは何なのか、と言われれば、会社の人たちはビジネス上のものでしかないから別として、  家族に関しては本当は自分と関わりたくないだろうと思っているから一人暮らしを始めたことは既に書いている通りだし、そので金銭面やその他のことで実益があるから連絡を取っていると思っています。  それ以外の友人は……今頻繁に連絡取ってるのは2人くらいしかいないんですけど、その人たちに対しては、自分が話したい、関わっていたいから、連絡を取らせて頂いているという気持ちです。  だから自分の関わっていたいという気持ちがどこかでふっと途切れたら簡単になくなる縁だろうな、つまり、自分に何らかの変化があってその人のことを必要としなくなった時に、向こうから執着してもらえるとは思っていないし、逆に、相手にいつ愛想を尽かされてもおかしくない、自分のような最低な人間が関わりを許してもらっていることが奇跡だというだけのことです。  だから同様に法事に行く理由もあんまりわからないんですよね。故人に対する感情なんていうのは自分の中で整理がついているか、一生つけられないかのどちらかだし、亡くなった人が自分が来てくれることを望んでいるとかいうのは、そもそも死者の感情のことを信じていないので。  もちろん、自分とか相手とかではなくて、そういうイベントごとを大切に思っている他の関係者を不快にさせないために行くものだという常識的な理解はありますが、だから余計に嫌なんですよね。本心ではない行動をずっと取らされるので、自分が本当は何とも思っていない軽薄な人間であることを糾弾されるのではないかという恐怖にずっと怯えながら出ているような感覚になる。  それとは別に法事に関しては不文律があることもそもそも嫌いなんですけど。UXが低いなと思ってしまいます。Splatoonがわざわざマニュアルを開かなくてもデスした時にXボタンでマップを表示できることが示されるように、初めて見た人が迷わずにその動きができるような導線が用意されていないのは怠慢だと思うし、その指定された通りの動きをすることと故人を偲ぶことの繋がりもわからない。その指定された通りの動きをしないと他の参列者が不快になるからしなければならないというのはわかるのですが、だからこそ行きたくない。  お清めの塩とかも、こう……これは宗教的なセンシティブさになるので難しいんですけど、数百年前にその習慣を最初に考えた誰かのことをまず考えてしまう。意図的にそれを思いついて広めた誰かが確実にいるわけで、そこに合理的な理由があるなら別に良いのだけど。 --------------------  話は変わって、父親の顔を見たのが約2年ぶりでした。2019年末の記事で精神的に縁を切ったと書いて、そのまま本当は最低でもあと5年は会わないつもりだったんですけど、残念ながら。  自分はいろんなことを分けて考えるのが本当に苦手だなと最近改めて思います。全部を割り切れずに同じテーブルの上に乗せているからこそ、この人は一生会わなくてもいい、というところまで一気に飛ばす思考になる。  他者や他の存在に対して、一つ許せないことがあるとその全てを許せないし、それを一旦置いておいてそれ以外の部分でコミュニケーションを取るという物わかりの良い態度を取る自分が気持ち悪い。  祖母が亡くなった直後できっとショックを受けているはずだという気持ちはありつつも、じゃあそれを理由にこの3年された様々な仕打ちを置いておいて接すべきなのかと言われると、それは凄く不快な気持ちになる。だから最低限以上の会話はせずに帰ってきたのですが。転職したことも一人暮らしを始めたことも言う必要がないと思ったので言っていないです。  なんというかこう……これもどうなんだろうと思うんですけど、顔を見ると少し可哀想だなとも思ってしまったんですよね。  こういう機会でしか会うことはないのだからもう少し歩み寄って話してあげた方が良かったのかなとか。  というのも一瞬思ったんですけど、そういう情の部分に向き合って答えを出す必要はないというのが自分の中での結論でもあります。  感情のゴールって目指したところで意味がないんですよね。別に父親のことだけではなくて、急に音信不通になった友人とかSNSブロックされた元カノとか、あと前の会社でお世話になった人たちとかもそうなんですけど、  自分が当時苦しんだその問題に対して、すっきりとした答えを出して完全に過去のものにできたかと言えば全然できていなくて、本当に自分はその人たちを失って良かったのかとか、自分が受けた恩に対して自分が今していることは本当に正しいのかとか、未だにわからないし、  じゃあその人たちが今急に目の前に現れたとして、過去の清算済みのものとして関われるかと言えば、絶対にそんなわけはなくて、心を乱されるだろうなとも思うんですけど、  そこを追求したところで何の意味もない。実際にはその人たちとの関係が修復されたり、過去に戻って何かをやり直せたりはしないので。  だから今思い出したら今でも暗い気持ちにはなれるんですけど、思い出さない、検討しない。物理的に遠ざけるという選択を取ることで感情ではなく理性のイシューに移し替えたので、もう感情として考える必要はないんですよね。  父親のことはもう父親だと思わない、そうする価値がないと2年前に結論が出ているので、考え直す必要がない。  365日ずっとヤバい人なんていないし、実際に会って話したら温厚な雰囲気にはなるからそりゃ良い面もあるなとか思いますよ。私自身だって他の人から見れば、直接会って話してるだけだったら大概は温厚に見えてると思いますし。でも人間の本質はそこではない。自分の本質はこの記事に書いているような部分だと思いますし、  それと同じように、そこではない部分で自分は父親のことは許せないと結論づけたので。 --------------------  そして自分は一人暮らしの家に帰ってきて、また父親の存在の一切が視界に入らない人生を再開します。関わりのない他者の1つでしかなく、そこへの向き合い方に頭を使うこともしません。それが一番合理的で正しいとわかっているので。  明日からはまた仕事です。仕事とプライベートの開発と料理とリングフィットアドベンチャーをしていきます。  実は結構アプリ開発が順調なんですよ。今月中くらいにはいろいろ片づけたいと思ったりしてます。この土日はバタバタしてしまったので、今週末こそ……。 ...

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ひとりごと 8か月前

初めから終わりを

あけましておめでとうございます。  もう1月も中旬ですが、今年もよろしくお願いします。 --------------------  Microsoft、第11世代Core搭載でLTE対応となった「Surface Pro 7+」 - PC Watch (impress.co.jp)  新年早々、急に発表されました。  Surface Pro 8でなく7の理由は、中身のアップデートにとどまるから……だと思うのですが、Pro 6→7の時も、というかPro 4あたりから基本的に外観はアップデートされていないので8でも良かったような?  と思いつつ、ただ、この手のナンバリング、7とか8あたりまでは進化した感があってワクワクさせられますが、「Surface Pro 13」とか言われるとさすがに製品名っぽいさが薄れてしまうので、このあたりで刻みつつ完全なモデルチェンジを狙っているのかもしれません。  個人的に買うかどうかと言われればさすがに買わない……つもりです。公式ページに書いてある「2.1倍高速化」が現行Pro 7比なのだとしたらちょっとそそられるものはありますが……。プロセッサ1世代で2倍ってなかなかでは?という。  今年からボーナスが出る給与体系に移行する予定なので、その金額によっては勢いで買ってしまうかもしれません。  札束で殴る前提だとすると、今度はRAM 32GBとLTEを両立できないのが若干気になるところ。どちらが優先度高いかというとやっぱりメモリかなあ……。  まあ今は法人向けのみなので、一般消費者向けに発売されて、16/32/LTEの価格差が出てからですね。  個人的に今欲しいPCの優先度としては先にMac mini (M1) だったりもします。Mac mini、安いしコスパは抜群なのだけど、ポチっと買うにはちょっとだけ高いんですよね。何だかんだ16GB積むと10万超えちゃうし……。 --------------------  auの新料金プラン、1月13日に発表へ - ITmedia Mobile  昨年の炎上を受けてついに。リークされている月20GBで2480円というのが本当であれば、家族割などとのバランスを見つつですが、乗り換えるかもしれません。  以前は20~30GBでも足りなくて無制限に乗り換えたという経緯があるのですが、さすがに在宅勤務で家にWi-Fiあるなら20GBで十分ですよね、という。主に行き帰りの電車の中で動画を観たり、あとは実家だと電話する場所がなくて外でLINE電話をしていたりというのが容量消費の原因だったので。  個人的には携帯料金に対してはそんなに不満はなくて、家族割やau ひかりなどの割引がガンガン効いていたのもありますが、格安SIMも検討した上で、本体割引・通信品質・スマホが壊れた場合の格安での本体交換サポート・au Pay カードとの連携特典……などで納得してauを選んでいますし、  利益を出すことが目的であるはずの会社に対して政府が大幅な値下げを要求するのはどうなんだろうというもやもやもありました、が、  実際月3000円で20GBというプランを出されると、じゃあ結果的に今まではマジでぼったくってたんだなという怒りが湧いてきますね。その料金設定で赤字にならないんだとしたら今までが高利益すぎる。  まあそれが携帯ショップの閉店などに将来的には繋がっていくのかもしれませんが……。 --------------------

 あまりにもショック……。当たり前のように続いていたので、完全に油断してました。  深夜ラジオを聞くようになってそろそろ5年くらいになるのですが、幸運なことに今まで自分が毎週聴いている番組が終了したことなかったんですよね。朝井加藤ANN0、アルピーANN0、どれも知った時には終わっていたので、何で続いていないのかとは思ったものですが。Creepy Nutsも佐久間Pも霜降りも無事に乗り越えてきていたので。 “余聞”から小説家の思考をトレースできる稀有なラジオ番組『高橋みなみと朝井リョウ ヨブンのこと』 - QJWeb クイックジャパンウェブ  面白い番組という意味ではもちろん他にもたくさんあるんですけど、面白いだけでなく考えさせられるところがある、思考のアップデートに繋がる、interestingという意味での面白さは本当に唯一無二だったので、ただただ残念。  この2人の組み合わせもずっと聴き続けたいけれど、それ以上に、朝井リョウさんという、タレントではないにも関わらずずば抜けた喋りの才能を持つはずの人が、毎週人前で喋ることがなくなってしまうというのがあまりにも惜しい。  惜しいけれど、かとちえさんがそうであるように、年に1~2回程度ゲストでラジオ出演するだけの人になってしまう未来が容易に想像つくのでさらに悲しい。  YouTubeとかやってほしいけど性格的に絶対やらないだろうしなあ……。  ラジオの改編で言えば、自分が他に聴いている番組だとやっぱり心配なのは霜降りANN0。スケジュール的にだいぶ大変そうではあるものの、どうにか続いてほしい。Creepy Nutsと佐久間Pも続いてほしいけれど別に毎週は聴いていないので終わってしまってもダメージという意味では少なめ。Creepy Nutsは今の勢いと番組の長さを考えたら1部昇格で良い気もしますけどねー……空いた火曜日にYOASOBI、木曜日にマヂラブ、他継続が一番しっくりきそう。ファーストサマーウイカさんはよくわからない。  あとはまあJUNK……アルピーDCGが生放送になったら毎週聴きます、とだけ一応言っておきます。 --------------------  2021年になりました。  年末年始は何だかんだで普通に実家で過ごしました。長距離移動というほど離れてもいないので、まあ。自粛という感じは特にない動きをしていましたが、何とか感染することはなく現在に至ります。  ただ新年1週目は寒暖差で完全に体調をやられて一瞬熱を出したりしてました。今この時期に熱が出ると「もし感染していたらどうしよう」という気持ちになって精神的に辛いですね。自宅待機になるのもいろいろと困るし、何よりここ最近会った人に迷惑かけるし、という……。  そういうこともあってしばらくは出社しないことにしました。今までも週1くらいだったんですが。  年末年始の特番だと『クイズ!正解は一年後』『笑う!ラストフレーズ』『久保みねヒャダ こじらせナイト』が良かったです。久保みねヒャダのハワイ旅行、何か凄いことが起きるわけではないんですけど、なんか普通に楽しそうで良かったな。いろいろ落ち着いたらハワイにまた行きたい、という気持ちがさらに高まりました。できれば今度は誰かと……。 --------------------  2021年の目標、の前に、去年どんな目標を立てていたかな……と振り返ると、
    大きな買い物を減らす 友人を減らさない 会社に貢献する Nuxt/Firestore移行(目標2月) React Hooksやってみる(目標3月) ポケモン剣盾を英語でやる 英語の勉強をする Twitterへの依存度を減らす
 上4つはまあできたと言って良いと思います。いや、大きな買い物は一人暮らし全般で浪費したからどうなんだろう……? ただまあ一昨年のSurface3台買うみたいな状態から考えると改善したはず。5万円以下のものを大きな買い物と認識しなくなっただけという説はありますが…。  あ、それで言うと友人もそういえば大学時代にできた唯一の友人を失ったのでダメでした。家族とも実質的に離れてしまったし失敗では……? ただまあ、最低限この人たちがいなくなるとちょっとどうしようもなくなるなという人、2人くらいしかいませんが、そことの繋がりはギリギリ保てたので良かったです。  Nuxt/Firestore移行は無事2月に達成しました。それ以降はメンタル崩したりして個人開発という意味では停滞しきっていたので総合的にはもうちょっとどうにかならなかったのかとは思いますが……。  React Hooksは「やってみる」レベルで言えばちょっとやりました。やった上で、どちらかと言えばやっぱりVueの方が好きだなーと思って今はVue 3.0に傾倒気味。そもそもVue Composition APIを割と理解した時点で実質それと同じみたいな気持ちもある。そう考えるとこの1年でTypeScript力とVue力は本当に上がった。  英語の勉強は全然でした。というか、別に海外旅行したいとかそういうモチベーションは特にないので、TOEIC受けると決めてその2か月前くらいからスタディサプリに登録しようと思ってたのですが、COVID-19でTOEIC受験を積極的にしづらくなったのでまあ一旦お預けかなあ……という気持ちです。そういうゴールがないとさすがに難しいなあと。  Twitterの依存度は減りました! 3月あたりの鬱になってた時期にもうTwitter見てると精神が終わるなと思ってアプリをアンインストールしたので。ブラウザ版でちょくちょく見てはいますが、通知も来なくなったし、見る時間は減ったと思います。スマホを観る時間があんまり減ってないのが問題ですが……。 --------------------  そして2021年の目標。
    時間を有効に使う 個人アプリを作る/Webサービスを作る リングフィットアドベンチャーを続ける
...

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