ひとりごと 7か月前

自覚性

3月になりました。気持ち少しだけ暖かくなってきて良いですね。確定申告を終えたのでひと段落しました。 --------------------  久々にヒトカラに行きました。  カラオケ館の0円キャンペーンを利用したのですが、ドリンクバー有料に加えてフード1品も必須になっていて、結局2時間で1000円くらい取られて???となりました。休日だったので普段よりは安いと思いますが。  『ソシアルクロック』『ハグレノカラー』『ウィンドミル』などの以前は入ってなかった曲を歌えて楽しかったです。いつも喉を痛めるのでもう少し良い感じに歌えればなーと思いつつ、音域の広い曲ばかりが好きなので仕方ないのかもしれない。 --------------------  ヒトリエ『REAMP』聴きました。 [amazon_link asins='B08PQ585W6' template='Original']  MV曲以外だと『bouquet』が割と好きです。とにかく聴いていて楽しい。『ハイゲイン』も鋭いリフにかつての面影を感じさせつつちゃんと新しい形になっていて好きです。  個人的に曲以上に歌詞の部分で引っかかりを覚えるのではないかと思っていたのですが、そこも意外と受け入れられて良かったです。何だかんだで7年一緒のバンドでやってここ2年はボーカルとして歌い続けていたら、そういう言語センスの影響も受けるのかもしれませんし、そもそもwowakaさんがそこまで特殊な言葉選びをせずに平易な単語を使う人だった、という点も良かったのかもしれません。  良くも悪くも自分がずっとヒトリエに対して無尽蔵にしていた、wowakaらしさというよりもワールズエンドダンスホールっぽさへの期待をせずに聴けるという意味で、良かったです。もう少し早くその呪いから解放できるように気持ちを切り替えられていればとも思いますが。  今回のアルバムリリースに際して各所で行われたインタビューも一通り読んで、

ゆーまお:うん。wowakaがひとりで組み立ててきた世界観というか、流れっていうものとは、はっきり言っちゃうと、分断された状態の新作を作るっていうことですから。僕はあんまりそこにとらわれないで、出てくるものに正直に作ろうって感じでしたね。 ヒトリエ | Skream! インタビュー 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト
イガラシ ゆーまおが話したことと同じで、wowakaのような曲を作るのは無理ですからね。模倣したくないというのもあるけど、それ以前の問題というのかな。ベストアルバムを改めて聴いたときも「こんな曲、自分に作れるわけない」と思ったんですよね。3人でやる以上、全然違うものになるのはわかりきってたし、今まで一緒に音楽をやってきた時間と体験を根拠にして、自然体で作るしかないと。できたものに対して何を言われるか、どう受け止められるかはわからないけど、とりあえず「wowakaにも聴かせたい」と思える作品に仕上げたくて。そういうアルバムをみんなの元に届けられたらそれでいいというか。 ──誰もwowakaさんのような曲は作れないですからね。 イガラシ はい。彼が作り上げた“らしさ”というか、フォーマットみたいなものを使うのは誠実じゃないし、それは一番彼自身が嫌がるだろうなと思って。 ヒトリエ「REAMP」インタビュー|3人体制初のアルバムで目指した“ヒトリエらしさ”の追求、そして脱却 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー (natalie.mu)
 「wowakaさんのような曲」というものが3人体制のヒトリエから生まれるわけではないということは別に最初からわかっていたし、それに期待もしていないし、それらは全然関係のないところで、wowakaさんの作る曲が今後一つも聴けないことは悲しいけれど変えようのないことで、そして3人体制のヒトリエの作る楽曲はそれとは関係なく良い曲でした。それだけです。  なんだろう、どういう風に書いても皮肉めいた書き方をしているような気がしてしまうのですが、全然そういうことではなくて、間違いなく良い曲ばかりで好きなアルバムだったし、だからといって空いた穴が埋まるものではなくて、でもそれは別に誰も埋められないものだから3人に対して期待するものでもないという……。  そんなことを書いていたら赤い公園の解散。何が正解なんてないしメンバーにしか決める権利もないし、どうなったらよかったとかもなく、ただただやるせない。 NEWS|赤い公園 Official Website (akaiko-en.com)
3人での活動、サポートメンバーを入れての活動など、今後の赤い公園にむけて様々な考えを巡らせてきましたが、 「津野米咲がいない“赤い公園”は、もはや違うものになってしまうのではないか」という想いが大きくなり、 その結果、メンバー3人が赤い公園での経験を糧に、それぞれの新たな道へ進んでいくこととなりました。
 ラストライブは……配信があれば観たいですが、現地には行かないと思います。そもそもチケットも取れないだろうし、自分よりもふさわしい人がたくさんいるだろうし。 --------------------  話題が変わるようで変わらないのですが『ミューコミプラス』が終わるそうです。  『ヨブンのこと』もそうですが、今年のニッポン放送はANN以外のところも大きく変えようとしているのかなという印象。後枠が気になる。  ヒトリエゲスト回を始めとして、生うどんとかPyxisとか月ノ美兎とか、地上波に出てくることのない人たちが次々に出てくる貴重な番組という意味で、ちょくちょく聴いていました。そういうラジオの間口を広げる役割は確実にあったと思います。  とはいえ、別に終わることに対して寂しさとか残念さとかは、あると言ってしまうと嘘になると思います。wowakaさんの作ったジングルが使い続けられる番組がなくなってしまう残念さはありますが。
 ゲストの中には、私より年若くして亡くなってしまう方もいらっしゃいました。wowakaくん、津野米咲ちゃん、やすらかに。本当は、関わってくれた人、全員長生きして欲しい。  ミューコミプラスが終わります。|よしだひさのり|note
 こういう風に特別な文字の並びとして出てくると胸を締め付けられるし、それと同時に、このことのショックを共有して引きずり続けている人がいることに安心もする。  オールナイトニッポンは三四郎が降格、霜降り明星が昇格。同曜日で入れ替えは露骨すぎて凄い……けどとにかく霜降りのラジオが継続すること、そして1部に上がった以上は1年ごとに終了するかどうかを心配せずに聴き続けられそうなのが嬉しい限り。来週や4月以降の2組の絡みも楽しみです。 --------------------  前回の記事を書いてから、ちょっとあまりにもどうしようもない感じがあって、カウンセリングを3回受けました。今日このあと4回目です。  言われたことを実際に咀嚼して自分の中で呑み込むまでにちょっとかかってしまうので、そのへんを壁打ちさせてもらえるのがありがたかったですね。  なんだろう、家族とか友人とかに対して「こういうことを言われたとき自分はこういうことを考えてるんだけどどうしよう」とか「言ってることはわかるけどじゃあこういう時はどうすればいいんですか」みたいな悩みとか疑問を言うと、それがその関係にダイレクトに響いちゃったり、反論になってしまうから言えなかったりするんですよね。その人がまさにそれをやってる時とかあるので攻撃になってしまうなあとか。  でも、それを言わないと結局自分の中で答えの出ない問い、というか、誰にも聞かずに自分一人でどれだけ考え込んでも結局自分の価値観の中から生まれる拗らせた答えにしかたどり着けないので、そこの材料が欲しい時にとりあえずぶつけて、それによってどれだけ相手を不快にさせても大丈夫というか、相手は専門家だし仕事でやってることだから、それでめちゃくちゃ怒らせてしまうということもないし。みたいな考えもあんまり良くないのかもしれませんが……。  45分で5000円って結構高いなと思ったけど、アイドルの握手会が1000円で30秒であることを考えたらお得かもしれない。  自分が自分の考え方の正しさを強く主張してしまって、それによって他人を傷つけてしまうことがあって、それが良くない、というのが、客観的な視点としてはわかるけれど、それを自分の中に落とし込んで今後の指針とできる形で落とし込まないとどう変わっていけば良いかわからない、みたいなことに対して、  まあ、いろいろ聞いて、その言われた通りのことは別にここに書いても仕方ないというか、それをしようとしても自分の解釈が入ってしまうのでそうではないんですけど、
 自分は、自分と違う他者を理解したいのであって、受け入れたいわけではないんだなと思いました。  自分と違う考えに出会った時に、それが本当に自分にとって理解できない考え方なのか、というのを解きほぐし、突き詰めて、自分の中にある感覚との共通項を探りに行く形での共感。 (中略)  という形で歩み寄ってはいるんですけど、これって結局、  どれだけ考えても自分が1ミリも理解も共感もできないものはやっぱり良くないものと断ずることになってしまうんですよね。
 前回の記事でこういう風に書きましたけど、結局これって、今の自分のする判断を信用しすぎているのかなあと。  自分が間違っているなら間違っている理由、自分と違う考え方であればそれを教えてほしい、という言い方って、それを聞いた後の自分はその内容が正しいかどうかを判断できる、教えてもらえれば理解できる、と思い込んでいるわけで、それは態度として傲慢だし、もう少しそこの判断を保留できるようにならなければならない。  と言いつつ、それについて保留するというのも自分の頭から出てくる何らかの判断であるのでそれを含めてできるのかと言われると難しかったり、  そもそもその視点で言うと、別にそう言われたことを受けて自分が今考えていることも全然間違っているかもしれないので、考えないようにすることを考えて決めている時点で考えないことを実践できていないのではないか……と考え始めるとキリがないのですが。  いろいろなものに対して自覚的であろうとする、物事をそのまま受け止めずに批判的に向き合う、みたいなことって自分が大学で4年間やってきたことでもあったし、もっと言えばそれ以前からブログでやっていたことをより論理的な形で強化されてしまったのでそう簡単にそういう分析グセみたいなのって抜けるものかなあと思うと、暗澹たる気持ちにもなりますが。  何かを見過ごすことがそれを黙認し肯定することに加担してしまうということへの罪悪感、後ろめたさだったり、そういうのも全部要らないし、ない方が楽しく生きられるのに。  前回の記事のタイトルからしてそうですけど、何に対しても自分の中で結論を出さないと前に進めない、というのは、まさにそうで、カウンセラーの人からも、正しいか正しくないか、白か黒か、という観点ではっきりさせようとしすぎている、と言われて、そこに捉われすぎているというか、いろんな見方の前提にそれが立ちすぎていたなと。  別に他人のことを理解しようとする必要も本来なくて、他人が好きなもの・他人が嫌いなものに対してそれはそういうものとして置いておけないことが自分の本当に良くない点で、  それは他人に対して迷惑をかけるというのもそうだけど根本的に自分自身が生きづらすぎるのでもうちょっと心穏やかに生きていきたいです。本当に。 --------------------  いろいろ考えていく中で、ここ数年……大学入ったあたりからのトータルとして、一番楽しくて安定してたのが2019年だなと思っていて、まあwowakaさんのこととか外的要因で苦しかったことはいろいろあるんですけど。
 でも、それは間違っている、つまり、自分とは全く違う行動原理で動いていて、本当に言葉の通じない、同じ日本語を喋っているはずなのに何も通じ合えない人間がいる、むしろそういう人がほとんどである、なぜなら自分の方が普通ではないから。  そういうことを、遅すぎるんですけどやっと頭で理解し始めたというか。  で、それは結局他人に対して期待しない、信頼しない、ということの裏返しでもあって、だから他人に対して過剰な肩入れをしない。  「この人に好かれなくてもいい代わりに、この人が不幸になっても二度と会えなくてもいいし明日死んでもどうでもいい」というラインを明確に引いていかないと結局自分が不幸になるだけだなと。 振り返り | Our Story's Diary
 2019年末のこの記事自体は、自分的に結構気に入っていて、自分の精神的な方針が一つ固まったというか。  なんというか、「この方法で行けばストレスも少なく他人との関係性も適度に安定させられる」というやり方を掴めた、ずっと悩んでいた人間関係の部分をひとつ乗り越えられた気がしていたんですけど、  それによって人間関係が多少なりとも広がる、深まっていくと、そこに対しては今までのやり方だけでは立ち行かないというか、何もできなかったものが多少できるようになると今度はそれを前提にした別の問題が出てくるのかもしれないなと。  自分の中ではコミュニケーション能力というものが10から20になったことですっかり満足していたけれど、普通の人は何事もなく500くらいあるのでまだまだ全然足りないのだと思うし、  それこそオードリー若林さんが30歳ごろにテレビに出るようになってから、人見知りを克服するような領域に入っていったのっておそらく7~8年経ってからだし、noteの連載なんか見ているとそれもまだまだ悩みが尽きていないことがわかるし、なんかもう仕方ないんだろうなって気がします。  結局コミュニケーションをできるだけ減らすというのでは立ち行かないし、それこそTwitterもどこかのタイミングでちゃんとやらなきゃいけないだろうなとか、そういうことを考えています。今すぐかどうかはわからないですが。  一つ一つやっていくしかない、苦手なことを1つずつ減らしていくしかないし、だからといって無理なものを無理に変える理由もないので、必要に迫られた時に必要なものに対処していく、その中で、今までは必要ではなかったものが必要になったタイミングではあるんだろうなとか。  ずっとこのままでは行かないんですよね。それこそ父親のことも、本当はもう10年くらい会うことはないだろうなと思っていて、それで完全に自分とは縁の切れた相手として割り切ってここ1年以上は心穏やかに過ごせていたわけで、祖母が亡くなるということがなければこのタイミングでわざわざ悩まされることがなかったし、  でも現実的にそういうことが自分の判断とは関係ないところで起こってしまって図らずも会うことになってしまった。そういうことは今後も、それ以外のことでも起きるだろうし、そうなった時にどう戦うか、というのは、それまでやってきたやり方で通用しないということなので、こうやってまた苦しくなって自分の存在について無限に悩み続けて死にたくなってどうにかなっていくのでしょう。  そんなことが永遠に続いていくくらいだったら別に今すぐ死んでも同じじゃないかとも思いますけど笑、残念ながらそういうわけにもいかないので、どうにかやっていきます。 --------------------  という感じで終わらせられればいいんですけど、無理なんじゃないかなとも思っています。いい加減こんなことで何回荒れたら気が済むのかと。いろんな家族だったり友人だったりブログを読んでいる人なんかも含めて、こうやってそれらを一人残らずいずれ何らかの形で傷つけて遠ざけてしまうのだろうとも思うし、  正直今日のこの記事の前半に書いたことにしたって、これがヒトリエ好きな人を怒らせる文章になってしまっているかどうか正直わからないです。自分の中では脳ミソの全く同じところを使って同じような気持ちで書いている文章なので。いつも。これなら傷つけてもいい、これは傷つけてはいけない、とか。  それで気を遣って自分の言いたいことを言わない、言わなくても問題ないと思える相手とだけ関係が持続するとして、もしくは、常に自分が何か間違ったことを言ってしまうのではないか、自分の一挙手一投足、何かを言うたびにいちいち何らかの地雷を踏み抜いてしまうかもしれないと心配しながらでないとコミュニケーションが取れない人生を送るとして、そんなことに何か意味があるのかなあとか、思いますけど、結局自分に取れる選択肢はそれしかないのだからそうしていくしかない。そうやって割り切ってその中に何らかの楽しみを見つけていければいいんですけど。  そういう意味でこのブログももう続けてる意味あるのかなあ、辞めて自分を発信する場所なんか全部なくしてしまった方が良いんじゃないかと思うんですけど、  その一方でそういう発信を波風立てずにできるラインを探ることも必要なんだろうと思いつつ、  どうせそうやってるうちにだんだん慣れてきて痛みを忘れてまた暴言を吐いたりするんで意味ないんですよね。そういう治外法権的な場所を持つこと自体が良くないとか。相手によって言って良いことと良くないことを使い分けようとしてもうまくいかないんだったら結局誰にも言わないしか選択肢はないんじゃないかとか。  なんかもう考えれば考えるだけ無駄な気がしてきましたね。そういうところに落とし込むしかない気がしてます。 ...

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