ひとりごと 1年前

発見

ここ何週間かカウンセリングの話を何度かしていたと思うのですが、とりあえず5回ほど行ったので先週で一旦終わりました。また数ヶ月後に定期観察的な意味で相談に行くことはあるかもしれませんが。  とりあえず行って良かったなと思っています。  結構2月から3月前半あたりまでがメンタル的にかなりヤバい状態で、いろんな人に相談したりしていたのですが、  今回お世話になったカウンセラーの人が、優秀なのか相性が良かったのかわかりませんが、自分の根幹のところを完全に曲げなくて済む範囲で実践的なアドバイスをしてくれたし、  自分の方も思っていることとか納得できないことをその場でどんどん出して、それに対して否定することなく別の見方を提示してくれたりして、考え方を少しずつ修正していく作業を時間をかけてできたのかなと思っています。  自分が全く受け入れられない価値観をいきなり自分の中に入れて行動を完全に変えるということはなかなかできないので。  ここ2ヶ月くらい……他のカウンセラーも合わせると10回以上、たぶん13時間くらい話した気がするんですけど、それは必要な時間だったんだろうなと思っています。 --------------------  自分はたぶん自己分析とかそういうことが好きだと思っていて、だからこそこんなブログを10年以上やっているわけですけど、  その根本に、「人間の行動は一貫性のある何かに基づいていて、あらゆる行動は必然的である」と考えていた部分があります。  例えば誰かから何かを言われた時にそれに対してすごくキレてしまったとしたら、それは自分が必ずキレるポイントを刺激されたからであって、今後何回同じシチュエーションがあったとしても同じようにキレてしまうだろう、とか。それは他人に対してもそう思っていて、  だから、2ヶ月くらい前に、そういう形で他人とのコミュニケーションの中でトラブルになることが、複数人に対して同時にあって、ということは自分は誰に対しても必ず怒らせてしまう人間に違いない、それは一生治らないのではないかという絶望感がありました。  ここ数ヶ月くらいカウンセラーの人と話をしたりする中で、何となく違う捉え方ができるようになったなという部分が2つあって、  1つは、そういった根本の性格という変えられないものは確かにあるかもしれないけれど、それが原因の全てを占めていて解決できないというケースは意外と少なくて、それよりもその感情的な判断を補正する知識が足りていないケースの方が多いのではないかということ。  私は根本的に自分と異なる考え方を受け入れられない人間ではあると思うんですけど、それでも10年前とかよりそこのキャパシティが広がっているなと思うのは、そもそも他者の考え方のうち理解できる領域が広がったからだと思っていて、  例えば自分と異なる価値観の多くに対して、好き嫌いとは切り分けてそれを多様性の1つとして認められるようになったのは自分の知識がアップデートされたからだと思うし、  2ヶ月前は、「自分が少しでも理解できるものは受け入れられるけど、どれだけ考えても理解できないものはやっぱり嫌い」という考え方に固執していましたが、  カウンセリングなどを経て、「この世には自分が全く理解できない意見もあるけどそれも別に存在することは仕方ない」という考え方を知識として持てるようになって、それによって怒りを覚える対象がまた少し減ったように思っています。…そのくらい最初から知っておくべきと言われたらその通りなんですけど。笑  いろんなことを「そういう性格だから」という風に捉えるのは結局のところ言い訳でしかないし、たとえ実際にそういう側面があったとしても、そう考えたところで別に何も解決しないので、  性格だからといって乗り越えられないものは意外と少ない、という考え方をすることは大事なのかなと思いました。  実際にそういう考え方をすることで、ここ最近会社で嫌なことがいろいろあったんですけど、そこに対して強い反発を覚える前に、「自分の知識が足りなくて理解できないだけかもしれない」と思ってストップをかけたり、自分のポジショントークになりそうなところをもう少し下がったり、ということが、前よりも少し早めにできた感覚はあって、それを積み重ねていきたいです。  もう1つはそもそもそういう考え方に拘ることが自分の人生をすごく窮屈で苦しいものにしているのだから、少しずつ緩めていかなければならないという。  結局自分が好きなものと嫌いなものをはっきり区別しているのも、そういう「一つ許せないところがある相手のことを絶対に許さない」という部分にあって、  でもそれを言い出したら別に許せない部分や嫌いな部分が一つもない人間なんていないんですよね。まあ自分自身だけはそうではないかもしれないですけど、それくらいで。家族も友人も同僚も。  つい最近特に思うのは、会社の同じチームで働いている同僚の中で、どちらかと言えば良い人に分類していた人たちのダメな面とか好きになれない面が次々に見えてきて、  当たり前なんですけどある問題に対しては意見が合う人と全然意見が合わなかったりとか、でも人間ってそういうものだよなと思うし、私自身もたぶんそういう振る舞いをたくさんしているだろうし、  だったらできる限りそれまでのことを引きずらずに、全ての相手に対して極力フラットに接するべきだし、というかあらゆる人間に対して「嫌いだけどどうにか付き合っていくしかない相手」という目線で見ていくしかないんだろうなと。  ……これもまた書いてみると当たり前の話ですけど。  この記事ずっとたぶん当たり前にできている人にとっては「息を吸ったらちゃんと吐きましょう」とか書いてあるように見えてるのかもしれませんが、自分にとってはすごくハードルの高いことで、たぶんずっとこの程度のことに苦しめられる人生なんだろうなと思います。  実際こうやって書いていますけどやっぱりそう簡単には割り切れないですしね。それこそ父親のこととか、今までのことを許すかどうかとは別にして年1くらいで会ってあげるのが一番良いんだということはわかってますけど今は無理だなと思いますし、会社でもこの人はやっぱり苦手だなとかはありますし。  ただ、それも含めて諦めずにやっていくしかないなと思います。  今までの自分がどこかでそういう努力をしたくないなとどこかで思っていたのは、そういう自分の根幹の部分を譲ってまで得られる人間関係や地位に価値がない、それよりも自分が我慢することの方が耐えられないという考えがあったからなんですけど、  実際そこを我慢することで得られるものはたくさんあって、案外それも悪くないなと思えているからこそ、という部分もあります。だからそれがどうでもよくなったら、例えば自分のそういう頑張りが全く認めてもらえなくて会社でもプライベートでも居場所がなくなったら全然やらないと思いますけど。そうではないということは自分は人間関係にそこそこ恵まれている方だなとも思います。ありがたいですね。 ...

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