映画・音楽・小説の感想 5年前

lyrical school『TAKE ME OUT』の感想

12/16(土)、lyrical schoolのワンマンライブを恵比寿LIQUID ROOMで観てきました。  5月に現体制始動してから約半年、そのこれまでの活動の集大成として位置付けるにふさわしい、最高のライブだったと思います。  セトリはTwitterからお借りして。

 ……最初はある程度客観的な書き方をしようと思いましたが、そういうのはもっとアイドルに詳しい方の記事が続々と上がってくると思うので、諦めます!笑  というわけでいつも通りに個人的な話になってしまいますが、ご了承ください。

LIQUIDROOMという最高の空間

 まず、ここ数ヶ月、リリスクの最近のパフォーマンスにいろいろネガティブなことを書いてしまっていたのですが撤回します。すみません。  そもそも9月以降、個人的にいろいろバタバタしててリリスクのライブイベントはほとんど行けてなかったのですが、  その中でブクガも観たくて唯一行った「MY DATE on SEP.」で、あんまりノりきれなかったんですよね。『夏休みのBABY』のリリイベの楽しすぎた記憶が美化されていたこともあって、「あれ?期待したほど楽しくなかったな、、、」みたいな。  あと時間見つけて一回だけ新宿マルイメンも行ったのですが、それも思ったほど楽しめなくて、  あとららぽーと新三郷のYouTubeでのライブ映像を観た時に、どこか「遠くに行ってしまった感」というか、自分の知らないところで知らない人たちが盛り上がっているのを観た時に近い感覚があって。  そこにインタビューで度々「TIF以降リリスクのパフォーマンスが変わった」というメンバーの発言もあって、ひょっとしたら「自分は変わってからのリリスクが好きじゃないのかも」と不安になりました。  そこで、ワンマンは一旦ネガティブな感情を払拭して新鮮な気持ちで観ようと思い、2ヶ月くらい距離を置いた上でワンマンライブに臨んだのですが、  実際には、そんな心配が杞憂に思えるほど楽しむことができました。  まず、今回のLIQUID ROOMという会場が良くて、柱が邪魔だった『NEW GAME』、会場内の空間が区切られていた『MY DATE on SEP』などと違って、  バンドのライブもできる、シンプルに会場の全てを見渡せる広い空間。だからこそ一体感を目いっぱい味わえる。  その上で、ミニライブではカットされがちな前体制曲によって会場を沸かせてくれるし、一方でアイドルではなくアーティストと呼ぶべき新体制曲たちはライブハウスで更に映える。  アンコール後のMCでも、楽しそうな掛け合いで魅了してくれました。  今回のワンマンライブは、格好良さと可愛さを両立した上でどっちも最高! という、アイドルとアーティストのいいとこ取りなパフォーマンスになっていたのではないでしょうか?  そのうえで新曲の『PIZZA』のようなさらに新しいテイストまで飛び出して、いろいろなモードを持ったアイドルとして、楽しませてくれました。  そういう多様な魅力の全てを、ミニライブという短い時間、かつYouTubeという物理的に断絶のある媒体で伝えるのは難しく、  特に新体制スタイルの確立を目指した最近のライブでは、どっちつかずにならないようにあえて「格好良さ」というファクターに絞ってきたのだと思いますが、  それは決してリリスクが完全にアイドルではなくヒップホップグループの方向に先鋭化していくことを意味しない。  上のららぽーとの映像観た時に、本当にもうリリスクは可愛い感じを一切出さない方向に行くんじゃないかと思っちゃったんですよねw でもそういうことではなさそうで良かったです。  それを知っているか知っていないかというのは私の中で大きくて、  例えば今後のミニライブやリリースイベントで、クールなモードだけを見せることがあっても、それは変化ではなく単なる集中だとわかるし、  可愛い部分はMCやその後の握手会で見られればいいし、こちらとしてもその時々のリリスクの姿を楽しめるようになりたいと思います。

可能性を広げる新体制曲と、安心感を与える前体制曲

 今回のライブのセットリストについて思うのは、「思ったより前体制曲の存在感があった」ということ。  前体制曲が安心感を与える、というのは、決して「古参ファンが多いから」とか「昔の曲の人気が高いから」みたいな話がしたいのではなくて、  単純に、前体制曲の方がJ-POP的で客受けがいい、というだけだと思うんですよね。コールも入れやすくてノリやすいし。  新体制曲、特に『夏休みのBABY』『Concrete Jungle』以外の(つまり新体制が始動してから制作された)新曲たちは、従来よりもヒップホップ色が色濃く、アイドルではなくガールズラッパーと呼ぶのが適切な、クールな曲たちです。  そういう曲が好きな人もたくさんいるし、もちろん私も好きです。  ただ……リリスクファンの中での割合がどの程度かわかりませんが、少なくとも私は、リリスク以外のヒップホップとかラップって普段ほとんど聞かないんですよね。欅坂とかアニソンとかのそれっぽいやつは除くとして。ライムベリーとかCreepy Nutsとかをたまに聴く程度。  もちろんヒップホップはリリスクの唯一無二の個性でアイデンティティだし、新体制の5人の魅力を最大限に発揮しているのはそこなのでどんどんやるべきだというのは前提として、  ヒップホップを全面に出しすぎないことが、旧体制から一貫してリリスクの、振り幅の大きさ、客層の幅広さに繋がっている部分があると思っていて。  私自身、リリスクを好きになったきっかけは『ワンダーグラウンド』ですが、これも最初に心を掴まれたのはラップ部分よりむしろサビのメロディーのエモさだったりします。  せっかくリリスクにはそういうJ-POP寄りな曲がたくさんレパートリーにあるのだから、  新曲も前体制のような曲にして! とまでは思わないんですが、ライブでそれを無理に減らさない方がいいんじゃないかと思うし、  今回のライブのように、ヒップホップ度がグッと高くなって、「パフォーマンスを魅せる」方向な新体制曲の中にところどころ、tofubeatsさんの手掛けた曲群であったり、『brand new day』『photograph』『サマーファンデーション(今回はなかったけど)』であったりのような、  コールによって観客と一体になって、サビではしっかり歌い上げて盛り上がるような、ある種ベタな曲も入ってくることで、シンプルに盛り上がるポイントが生まれるし、  前体制曲がほとんどなくなった普段のミニライブよりも、個人的には新旧入り混じる今回のライブの構成の方が緩急もあって楽しめました。

LIQUID ROOMという場所と、ヒトリエについて

 私がリリスクについて語ろうとすると、必ずヒトリエの話が例として登場するので、一度ここでしっかり説明しておきます。  「ヒトリエ」というのは2012年に結成された4人組のロックバンドです。  リーダーで作詞・作曲を行うギターボーカルのwowakaさんは、2009年頃からVOCALOIDシーンで活躍し、『裏表ラバーズ』『ワールズエンド・ダンスホール』などの曲で大ブームを起こした方で、  その後、2011年にVOCALOIDを引退、2012年に自身が中心となる4人組のバンド「ヒトリエ」としての活動をスタートさせました。  私はボカロ時代のwowakaさんの大ファンで、ヒトリエもそのままスライドするように追いかけ始めましたが、そのwowakaさんの作る楽曲は、ボカロ時代と比べて次第にそのテイストが変わっていき、  VOCALOIDならではの無機質な言葉選びや打ち込み主体のシンプルで繊細な曲から、有機的なバンドのライブを前提とした、より演奏技術で魅せる大胆な曲と人間的な歌詞が増えてくるようになっていきました。  そして私は、ボカロ時代の曲と歌詞が本当に大好きだったからこそ、そういう曲がどんどん減っていくこと、ライブでも演奏されなくなることに苛立ちやもどかしさを覚えずにはいられず、  wowakaさんが「自分たちはどんどん進化している」「今のライブの方が昔より絶対に良い」というような発言をするたびに深く傷つき、  ライブからVOCALOID時代の曲をゼロにすることを理想のように語る姿に失望し、それを賛美するファンとの温度差にも耐えられなくなって、1~2年前からライブにもほとんど行かなくなりました。  そして実は、そういうヒトリエの姿勢にズレを初めて覚えたのが、まさに恵比寿LIQUID ROOMで3年半前に行われたワンマンライブ「マネキン・イン・ザ・パーク」でした。  ボカロ時代のカバーがこれ以上増えることは見込めなくて、ただ減る一方であるし、ライブが洗練されていくにつれてパフォーマンスは予想の範疇に収まってしまい、ドキドキもない。   ...

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映画・音楽・小説の感想 5年前

ヒトリエ『ai/SOlate』の感想

ヒトリエ『ai/SOlate』をiTunesで購入しました。  まず中身の感想に入る前に、iTunesでの配信形態についてひとしきり文句を言わせてください。  iTunesには「コンプリート・マイ・アルバム」という、CDの曲を単体で1曲買った後で残りも欲しくなった場合、CDをまとめ買いした時の価格から1曲分の価格が引かれて請求される機能があります。  また、アルバムを買う際、シングルで既に発売されていた曲が収録されていたら、その曲はアルバムをまとめて購入する際に値引きされることも多くあります。  6曲入りのミニアルバムは大体の場合、まとめ買いすると1400円程度になります。  で、今回の『ai/SOlate』。発売日となる水曜0時を何だかんだワクワクしながら待っていたのですが、 20171205_152247000_iOS  1、なぜ先行配信された『アンノウン・マザーグース』が購入済み扱いになっていないのか?  2、なぜアルバムまとめ買いがライブ音源とセット?(もちろんSpecial Edition以外のバージョンは配信されていません)  3、ライブ音源を配信するのはいいとして、なぜ3曲だけ?  4.『イヴステッパー』はいいとして、なぜ「one-Me Tour “DEEP/SEEK”」で配信済みの『インパーフェクション』『シャッタードール』なのか?知名度を考慮しても『るらるら』『リトルクライベイビー』などを入れるわけにはいかなかったのか?  1と2に関しては、商業的な計算以外にその理由があるとは思えないし、  特に1、アンノウン・マザーグースという同じ曲を2度買わせるトラップをファンに対して仕掛けておくことは、それで得られるたった250円のメリットより、悪印象を与えるデメリットの方が遥かに大きいと思います。  今はまだいいですよ、例えば1ヶ月後にiTunesで検索した時に、『アンノウン・マザーグース』が別の曲として2種類表示されたら、単体配信の方は初音ミクバージョンだと勘違いする人が出ると思いませんか? 両方をきっちり試聴する人ばかりでもないでしょうから。  むしろそれを狙ってるんじゃないかとすら思ってしまいます。  もうこの時点でだいぶガッカリしてしまったのですが、それでもアンノウンマザーグース以外を単曲で買って聴き込みました。以下がその感想です。 --------------------  アルバムを購入して最初に1周した時の感想ははっきり覚えています。  YouTubeで公開された『絶対的』、iTunesで先行配信された『アンノウン・マザーグース』は既に聴いていたし、『Loveless』もワンマンライブで2回聴いていて、  『アンノウン』以外の2曲がおそらく自分の好みでないことは大体わかっていました。  既存2曲を経て聴いた3曲目『Namid[A]me』もあまりしっくり来なかったけど、タイトル的に本命は『ソシアルクロック』だったのでそれを信じるのみ……。  4曲目『Loveless』の、ライブ版との印象の変化に驚きながらも、そもそもこの手のスローな曲はどちらにしても苦手(これは最近だけではなく、『泡色の街』『Inaikara』の頃からです)。  そして本命の『ソシアルクロック』…………。電子音らしきリフ、2番のチップチューン、アップテンポと高速歌詞。期待していたところにちょうど落ちる感覚……だけどこの歌詞は?なんか合点承知系ワード入ってない?  その衝撃を引きずりつつ、6曲目『NAI.』もまた微妙に『モノクロノ・エントランス』を想起させるかと思いつつ、通して聴くと印象として近いのはどちらかというと『終着点』だったので、大好きのど真ん中ではなく……。  と、このような感じで、初見ではまた期待を超えてこない感覚はあったのですが、  それは『IKI』を初めて聴いた際も同じだった(何度も聴いていくうちに魅力に気づいた)ので、この時点での感想をブログに書くのは止めておこうと思い、それから数日かけて何度も聴き直し、  その結果、改めて『ソシアルクロック』は自分の好きな曲だという結論に至りました。  サビ前の気持ちの良いドラム連打と印象的なフレーズの繰り返し、捻ったメロディーライン。歌詞もところどころ書き言葉ではなく話し言葉になっている点は多少引っ掛かりを覚えるものの、直接的にダサいワードが入っているわけではなく、普通に聴いている分には気にならない範囲です。  一方『絶対的』『Namid[A]me』『Loveless』といった曲は、何度聴いても好きにはなれないのですが、ただじゃあ『ソシアルクロック』みたいな曲ばっかりのアルバムが聴きたかったのかと言われると微妙なところでもあり……いややっぱりそういうアルバムが聴きたかったですけど、  というより、そもそもwowaka時代の曲、『積み木の人形』とか『ラインアート』とかだって全曲大好きというわけではなかったので、こういうものだと受け止めるのが自然なのではないかと思い直しました。  ということで、大好きなアルバムではないけど好きなアルバムです。 --------------------  今年のヒトリエを象徴するトピックとして、今年8月に、6年ぶりのボカロ曲『アンノウン・マザーグース』が発表されました。  発表直後はかなりネガティブな印象も持ちましたが、冷静に聴き直してみれば、かなり好きな曲です。  ただ、6年ぶりの復活、つまり『ワールズエンド・ダンスホール』『アンハッピーリフレイン』の次の曲として受け取るには、あまりにも期待していたものとの断絶がありました。  それでも、私が、おそらく予定されているであろう次のアルバムに期待をかけたとすれば、  それは『WONDER & WONDER』から『モノクロノ・エントランス』への一瞬だけ起きたような、wowaka色への揺り戻しでした。  『IKI』発売後の記事(ヒトリエ『IKI』感想、不完全ながらも希望を感じる新境地)で書いたように、IKIに収録されている曲のいくつかは、W&WやDEEPERを大きく上回って自分の好みに近く、「この路線の先」にある曲を期待したくなったし、  ボカロ時代のネガティブなイメージ、インタビューで語られたような「wowakaっぽさの表面をなぞった曲の乱造」への反発という感情が払拭され、ボカロ時代の感覚を取り戻すような曲が生まれてもおかしくないと思ったし、  YouTubeチャンネルに過去のwowaka曲をアップするという行動は、「wowakaとヒトリエは違うものだと証明しなければならない」という呪縛から解き放たれたように見えました。  次のアルバムの中で、『アンノウン・マザーグース』が、その話題性から、wowakaとヒトリエの間を取るような曲だったとしても、それを中心軸と見た時に、1曲くらいは、さらにwowaka側に振れるような曲があってもおかしくないのではないかと。  その期待が少し揺らいだのは、11月頭に開催されたワンマンライブ「HITORI-ESCAPE」で『Loveless』が披露された時。  音源で初めて聴いた方と違い、バンドスタイルであれを初めて聴いた時、私は「……演歌?」という印象を受けました。そのくらい遅かったし、そのくらい印象がバンドっぽくなかったし、メロディーも……うん。  加えて「どうにかなってしまいそうな夜に」という歌詞が、『トーキーダンス』と似ているのにテンポがおそらく半分以下であることも、そのスローすぎる印象に拍車をかけています。  ヒトリエの曲調の変化の軌跡は、「shinodaのダサカッコいいフレーズの採用率が上がっていく過程」とほぼ同義だと思っています。ボカロ時代のwowaka曲やインディーズ時代のヒトリエ曲には全くなかったものです。(もちろん、そういう変化を経た今のヒトリエの方が好みだという人もいると思うので、それを否定はしません。ただ、『イマジナリー・モノフィクション』あたりまで、シノダさんの提案したフレーズがダサいからと没にされていたのは語られている事実です)  そして、『Loveless』は明らかに「ヒトリエ曲」でした。音源で聴いた今なら、「近年のヒトリエ曲をベースにエレクトロなエッセンスを加えて進化させたもの」だとわかりますが。  それでもまだ、『Loveless』がヒトリエ側で、wowaka側に属する曲もあるのではないか、と、そこに望みをかけていました。  そして実際に『ソシアルクロック』が出てきて、本来なら両手を上げて喜ぶべきところだったのですが、  今思い返せば自分でも引くくらい圧倒的なナンバーを求めてしまっていた。そこを超えてきたわけではないので、初見ではどうしても「ここが足りない」「ここが惜しい」という部分ばかりが先行してしまっただけで、実際は十分に好きな曲でした。  それに初見で気づけないくらいに内心でハードルを上げまくっている、下げよう下げようと思っていたのにどうしても聴くときはそれを忘れてしまうことに改めて気づかされました。 --------------------  もう何年も、ヒトリエの新曲を初めて聴いた時に大体ガッカリしてしまうのは、  やっぱり期待値が異常に高すぎることの裏返しだと思うし、  都合よく記憶を改ざんしそうになっているけど『モノクロノ・エントランス』も初めて聴いた時は微妙だと思ったんですよね。  それはやっぱり『ワールズエンド・ダンスホール』という、初めて聴いた瞬間から興奮が止まらなくて、その興奮が7年経った今でも衰えていない、自分の音楽観を形成した、少なく見積もっても1500回以上聴いた曲、  それを作った人の新曲であるという点で全て説明がついて。  そのレベルで自分の好みど真ん中をぶち抜く曲を待ってしまうのです。そんなのあまりにも身勝手で傲慢で意味不明な話だし、たぶんそんな曲は二度と出てこないんでしょうから、この記事を書いている自分がそれを正当化するつもりはないんですが、一リスナーとしての感情はそういう状態です。  同じように好きなアーティスト、米津玄師さんはもちろん、パスピエとかMaison book girlとか、好きなアーティストの新曲を聴いた時にそれが自分の期待と違ってガッカリすることはたびたびあるけれど、それでも「そういうものか」と諦めがつくので、  それでもwowakaさんは私の中で圧倒的に神格化されているんだなあと、最近改めて思います。  それはやっぱりピークがあまりにも高すぎることと、そのピークがあまりに昔すぎることが影響してるんだろうなと。パスピエとかブクガを知ったのはここ2~3年のことだし、米津さんに関してはそもそもハチ時代の曲はそこまで好きではなくて、それよりも『ドーナツホール』とか『シンデレラグレイ』『LOSER』の方が好きなので。  で、たぶん今後ヒトリエがどんな曲を出してもそんな感じになるんだろうな、と。  例えば今『アンチテーゼ・ジャンクガール』や『カラノワレモノ』『SisterJudy』の曲が新曲として発表されたとしても、それを手放しに褒めることができないだろうと自分でも思うくらいに面倒なファンになってしまっていて、それは<ワールズエンドダンスホールみたいな曲、かつワールズエンドダンスホールを超える曲>がリリースされるという、あり得ないことが起きない限りは覆らなくて。『トーキーダンス』はWEDHみたいな曲だけど超えてはいなかったし。  何が言いたいかというと、もう私にヒトリエの感想をまともに書く期待しないでほしいなと思いました。無理です。ごめんなさい。  『DEEPER』の時、「DEEPER」は悪くないけど、最近のヒトリエはなんか違うと思うの記事が軽く拡散された時と違って今の私はたぶん一部のヒトリエファンの感覚を代弁することもできていないという自覚もあります。  何ならルームシックやイマジナリーのどの曲よりも『ハグレノカラー』の方が好きで、ってことは最近のヒトリエの方が好きじゃんっていう話になるのですが、だからむしろ「昔のヒトリエ」なんて実は存在しなかったんじゃないか……と最近は思っています。 --------------------  レビューっぽくないタイトルになっているのはこのようにレビューではないからです。読んでくださった方はお疲れ様でした。 [amazon_link asins='B076ZL27DR' template='Original']   ...

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映画・音楽・小説の感想 6年前

「nexUs vol.3」が良かったので、今のヒトリエは過去最高だと思う

9/11、恵比寿LIQUIDROOMで開催されたパスピエとのツーマンライブ『nexUs vol.3』。  それがあまりにも良すぎたので、ひょっとしたら、ついにヒトリエの時代が来るんじゃないか、と思いました。  結成から今までで、内部的にも外部的にも今が過去最高の状態ではないでしょうか? どうでしょう?  という記事を書いていきます。    ちなみにヒトリエはいつだって最新が最高だって思ってる方もいるかもしれませんが、  私は以前『DEEPER』の頃のヒトリエを全否定した人ですから、全くそうは思いませんし、  基本的に2015-16頃のヒトリエが微妙だったことを前提に書いていくので、それが許せない方はこのへんで読むのを止めて左上の「完了」をタップしてください。 --------------------

『nexUs vol.3』でヒトリエの反撃が始まった

 もう1週間経ってしまいましたが、『nexUs vol.3』。  行った人はわかると思いますが、セットリストが最強でした。  前半戦でパスピエが本気のセトリで十二分に温めた場を、25分の休憩でしっかり冷やして登場したヒトリエ。……いやあの交代さすがにちょっと長すぎませんでした? ここだけ今回のライブ唯一の不満です。その代わり、ヒトリエファン名物のグダグダアンコールの途中で強引にメンバーが出てきたのは素晴らしかった。  そこから一瞬で場を沸騰させ、終始ハイペースで飛ばしていきました。終わった頃にはヘトヘトだった。 1. 終着点 2. インパーフェクション 3. ワールズエンド・ダンスホール 4. イヴステッパー 5. るらるら 6. MIRROR 7. サークル サークル 8. アンノウン・マザーグース 9. シャッタードール 10. 踊るマネキン、唄う阿呆 11. ワンミーツハー 12. センスレス・ワンダー 13. SisterJudy 14. モンタージュガール 15. カラノワレモノ  過去に出した全CDから1曲以上が入っていて、ボカロ時代の『ワールズエンド・ダンスホール』や「ルームシック・ガールズエスケープ」の初期の名曲をしっかり押し出しながら、『ワンミーツハー』『イヴステッパー』などもちゃんとライブ映えする形で収まっている。もはや息つく暇も与えないほどに、確実に攻撃力を増していることがわかるセットリスト。  攻撃力が高すぎるあまり、久々のライブだったらしいwowakaさんが後半若干声やばくなってましたが、それを補って余りある圧巻のパフォーマンスと会場の熱気。控えめに言って最高のライブでした。  このライブで私は、ヒトリエがとうとう反撃に転じたのだと確信しました。  メジャーデビュー以降、なかなか次のステージに進む機会を掴めなかったヒトリエの、反撃です。  

ついにwowaka=ヒトリエが世間に見つかり始めた

 そもそも、結成されてからのヒトリエというのは、その期待値や評価の割に「ブレイクしそうでなぜかブレイクしきれない」という状態でした。    例えば、2012年冬に『ルームシック・ガールズエスケープ』を出した時点で、もう少し話題になっても良さそうなのに、自主製作で冬コミということもあってか一部にしか気づかれず。  2013年秋に『SisterJudy』のMVが公開、ついにwowakaさんの楽曲がインターネットに帰ってきたものの、  『アンハッピーリフレイン』から2年半という期間が微妙に空きすぎたのか、同時期のカゲプロやkemu VOXX人気が凄すぎたからなのか、ともかく動画は全く伸びず、ニコニコ動画ではいつの間にかMVが非公開化。  その後、数回のワンマンライブを成功させて2014年にSMEからメジャーデビュー。『センスレス・ワンダー』『イマジナリー・モノフィクション』を連続リリースするも、セールスはあまり奮わず。    2015年にはミニアルバム『モノクロノ・エントランス』を出し、ワールズエンド・ダンスホールを彷彿とさせるwowaka濃度の高い楽曲『トーキーダンス』でニコニコ動画に再上陸。  過去の『5カウントハロー』なども一緒に投稿するも、やはり伸び悩み、この時の動画もいつの間にか非公開化。  次の『シャッタードール』では早くもニコニコへの投稿を止め、実質カップリングなしでありながらフォトブック付で2700円という挑戦的な商売に手を出してAmazonレビューでも賛否両論。  3rdシングル『ワンミーツハー』は初の深夜アニメタイアップ。ボカロファンと親和性の高いアニメ主題歌ということで、いよいよ話題になるかと思ったのですが、  そもそもディバインゲートのアニメ自体が全然話題にならない、「ガンホーなら先にパズドラアニメ化しろよ」ってみんな言ってた、その少し前に話題になった『東京喰種』に引っ張られて「腹から声出てない」とか言われる、リリース時のインタビューでwowakaさんがディバゲに一切触れずに曲のテーマや世界観を語るので後付けタイアップの疑いが強まる、  など、いろんな理由が相まって、全然見つかりませんでした。  あと、せっかくアニメファンが買ってくれるはずの『ワンミーツハー』が、カップリングなしの代わりに各パートを抜いた音源とかいう既存ファンしか喜ばない特典だったのも謎でした。  続く『DEEPER』では『フユノ』のMVをフル尺で投稿しないという時代錯誤な手を試してYouTubeキッズの反感を買ったり。  ……こうして改めて並べてみると、2015年のヒトリエのマーケティング戦略ほんと地獄ですね。  せめて『ワンミーツハー』のPVも継続してwowakaさんのアカウントでニコニコに上げていればもう少し話題になっただろうし、「ディバゲOPに中毒になる動画」なんかが伸びることもなかったと思います。    wowakaさんの最盛期の人気を考えても、順風満帆に進めばヒトリエが今の米津さんくらいの位置にいる可能性もあったはずだし、  その演奏技術も曲の完成度もデビュー当初から一貫して高く、一個何かが違っていたら爆発的にブレイクするポテンシャルがあったのに、何かが噛み合わなくてそうはならなかった。 ...

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映画・音楽・小説の感想 6年前

リリスク『夏休みのBABY』リリイベ週と『Splatoon2』の発売を終えて

私にとって、おそらく2017年で最も充実していたと思われる1週間が終わりました。  リリスクの『夏休みのBABY』が発売され、それを記念したリリースイベントが連日開催され、  そして『Splatoon2』が発売されました。  基本的に今の私が生きている意味はこの2つで8割占めてるので、それが同時に訪れたのだからもう人生のピークと言って良いはず! --------------------  先週土曜日に幕張、月曜日に柏の葉、火曜日に新宿のリリイベを観に行きました。  火曜日はたまたまちょうど間に合いそうな時間にバイトが終わったからで、本当はタイミングが合えば池袋の方も行きたかったのですが微妙にライブの時間が早かったので断念。  そしてリリイベ最終日となる日曜日には、新宿での1日3回のライブがありました。  ……と言いつつ、前日28時までスプラトゥーンやってて起きれなかったから12時の回は普通に間に合わなかったんですけど、15時と18時はなんとか観られました。新宿広すぎてクタクタになった。  15時の回はスペシャルメドレー、時間の限られたインストアの中でいろいろな曲が聴けて良かったです。  そして18時の回はステージを中央に設置した盆踊りスタイル。たくさんの人が近い距離で見れて嬉しい一方、どうしても正面から見えないパートも多かったので一長一短だなーと思いつつ、  曲に合わせてみんなで回ったりとかできて楽しかったです。    既に何回か並んだとはいえ、せっかくのリリイベ最終日ということで握手会ももう一回参加しました。  結果的にCD4枚。  『サマーファンデーション』の予約券を紛失して発売後にもう1枚買い直したことはありましたが、4枚も同じCDを買うのはさすがに初めてです。ここ何ヶ月かバイト入りまくってて良かった。  UTのスプラトゥーンTシャツを前回の握手会から2連続で着ていったので、そっちで覚えてもらってました。とりあえず肌寒くなるまではこの服でいいかなーみたいに思ってます。  私自身が他人を顔で覚えるの凄い苦手で、洋服毎回同じの着てきてくれれば覚えやすいのに!ってよく思うので、そういう気遣いをさせたくないなーという。まあ他人の顔を覚えるの苦手な人はそもそもアイドルになってないと思いますが……。    新メンバーのキャラクターもだいぶ確立されてきた感じがあります、客観的にもそうだし私の中でも。  最初天然系かと思ってたyuuさんが実はしっかりしてて、逆にしっかりしてそうだったhinakoさんがおバカな感じだったり?  hinakoさんほんとライブ中にファンと目を合わせたりとかの頻度が圧倒的に高くて、あのへんの仕草を狙ってやってるにせよ狙ってないにせよ天性のアイドルだなーと思います。握手でも伝えたけど、夏休みのBABYのminanさんソロパートの時のhinakoさんの仕草の殺意高い。  risanoさんのアメリカ仕込みのパワーも、良い意味で新鮮だし、yuuさんの頑張ってる感じも好感度上がりまくるし、もちろんminanさんとhimeさんも話してて楽しいし凄く良くしてくれる。本当にありがたいし楽しいです。 --------------------  なんでリリスクのライブにここまでハマってるかっていうと、凄く気軽に行けるっていうところなんですよね。  もうこの話も何度もしていますけど、リリスクの曲ってそんなにコール難しくないし、まあコールに慣れてる人が入れてくれてるだけでもあるんですが、  とにかく居心地が良いんですよね。他のアイドル現場そんなに行ってないのでよくわかりませんが、小さい子が観に来てその子にアイドルが手を振ったりしてることってあんまりないと思うので、そういうアットホームさというか。  盆踊りでファンも一緒にみんなで踊るのとかもシュールな感じがしますし、そんな現場にソロ参戦して楽しめるのかって感じですが、でも楽しいです。    あと、リリスク現場に知り合いが一人もいないっていうのも結構気楽で、盆踊りもそうですけど割とハメを外しても誰かに見られるわけじゃないし、  もちろん仲間と終わったあと飲みに行ったりとかできるのも楽しいんだろうなーっていうのも凄く思うんですけど、  誰かと連絡とったりせずに一人でフラッと行けるし、後ろの方でこっそり見ててもバレないし、それで予算的に厳しくて握手会並ばない日があっても誰かに指摘されたりしないし。    他人と繋がっちゃうと義務になっちゃうんですよね、良くも悪くも。  それで無理に通い詰めて毎回握手並ぶ、ってするとどこかのタイミングで一気に冷めてしまいそうで、  それよりは、行きたい時に行って、疲れてたらスルーして、の方が私には合ってるし、結果的に1年以上ハマったまま熱量が持続している理由じゃないかなと思ってます。  私は、「楽しさ100辛さ50」と、「楽しさ10辛さ0」の二択だったら後者の方がいいなと思うタイプなので、本当に面倒なこととかが全然なくて楽しいだけの時間を過ごさせてもらえるリリスクのライブが大好きです。あ、もちろんリリスクは楽しさ100辛さ0ですが!    しかし冷静に考えると今後スプラTシャツ着ていった時点でメンバー以外にも特定されるよなっていうアレはあるのですが……まあこのブログ読んでる人がいないから大丈夫でしょう。    さらに言えばリリスク新体制になったことで、前体制の握手会での「まだ新参だし…」みたいな気後れ感が取り除かれたことも結構プラスで、  それは完全にこちらの精神的な問題なので前体制より新体制の方が良いっていう話とは別物なのですが、でも個人的に以前よりも楽しめています。昔からのファンの方にとってはどうなのかわかりませんが……。  たぶん握手会並んだ回数で言えば前体制と同じくらいな気がします。メジャー後のRaRで1回、サマファンで2回、マジックアワーで1回だし。それはやっぱり握手会で何話せばいいのかな感が軽減されたからかなと思うんですよね。メンバーとか関係なく単に握手会に慣れてきただけかもしれませんが…w --------------------  『Splatoon』を私が好きな理由も結局上に書いたリリスクと同じで、楽しさ100で辛さ0だからなんですよ。  前作からそうでしたが、負けた時のストレスもないし、マッチング早くて一試合が短いからストレスも溜まらない、それでいてゲーム自体は超楽しいっていうことで。  Splatoon2は、正直に言うと前作の発売直後のような「無限に遊んでいたい」と思うほどには至ってなくて、というかそのレベルだったら先週の土日もたぶんリリイベ行かずに家でずっとスプラやってたと思うんですが…w  でも、気づけば毎晩1~2時間くらいやってる中毒性があります。というより、個人的に人生で一番ハマったゲームであった前作を踏襲して一切劣化していないし、前作を止めた理由もガチマッチでS+に上がって目標なくなったからなので、またしばらくは毎晩続けて遊べそうです。  あと、1で愛用していた「Rブラスターエリート」がまだ使えないという最大の問題があるので、これが解禁されたら無限に遊びたくなりそうです。今はだいたいラピブラかカーボンで潜ってます。 --------------------  『Splatoon』前作の発売から2年、と言いつつ去年7月くらいまでは毎日のように触ってたのですが、  約1年ぶりに遊んでいて思うのは、スプラトゥーンがあると1日のリズムが作れるんですよね。夜帰ってから楽しいことが待ってるから、そこまで頑張ろう、と思えるし、何時くらいに帰ればSplatoonを1時間遊べる、みたいな。    で、それと同じように、リリスクのリリイベがあると1週間・1ヶ月のリズムが作れるんですよ。  日曜に新宿でイベントあるから、土曜は作業に集中する日にしよう、とか、平日はバイト頑張ろう、とか。来週は家の近くでイベントあるから今週の横浜は我慢しよう、とかもだけど。    そういうメリハリで、私の大して面白くもない日々の暮らしの中に楽しみができた、っていうことが、一番Splatoonとリリスクに感謝している部分で、  これも何度も書いてることですけど、去年なんて今思うと本当に嫌なことばっかりで生きてる動機も大してなかったはずなのに、それをあまり辛い日々だと思わずに乗り越えられたのはやっぱりリリスクのリリイベが土日に挟まってたからだと思っていて。  今年の5~6月だって、リリスクなければこの週はES提出締切で、次の週は面接で、その次の週は期末試験で、みたいな感じで楽しいことなんか一つもない暗澹たる日々になるはずだったわけで、  でも土日にインストアライブがあれば自然と1週間の目標をそこに持って行けて、時間が経過することにメリットが生まれる。それがありがたかったです。 --------------------  任天堂がWii Uでコケて暗黒期だったところをSwitchで復活した、というエピソードは凄く綺麗で、そのストーリー自体が加味されてるんじゃないかと思うほど今は絶好調です。  で、リリスクもメジャーデビューから1年足らずで活動休止になった時に、結構多くの人がヤバいんじゃないかと感じたと思うんですよね。こっから上がるのは厳しいんじゃないか、という。  でも蓋を開けてみたら新メンバーも全員魅力的でパワフルで、前体制とは違った魅力のグループになった。そういう姿そのものがアイドルとして凄く魅力的だと思うし、特にhimeさんのこれまでの紆余曲折なんて、たぶん私の200倍くらい密度の濃い人生送ってきたんだろうなあ……、という、  それらのストーリーも込みでやっぱリリスク最高って言って応援していたいんだと思うんです、これからも。    1stのリリイベが一旦終わって、おそらく秋~冬くらいに2ndシングルかアルバムかわからないけど何らかの新譜が出る頃には、また新しい曲の新しいパフォーマンスもリリースイベントで観られるだろうし、  Splatoon2もここから継続的なアップデートで熱を失うことなくますます面白くなっていって延々遊び続けていられるでしょう。  そうやってどんどんパワーアップしていくリリスクを観て、Splatoon2を遊んで、  そうしているだけで時間が過ぎていくというのは、実はとてつもなく贅沢なことだと思います。大学4年のこの時期で、この先に待っていることなんて基本的には嫌なことばっかりなのでw    あ。あと、8/15のnegiccoとのツーマンライブ、母親の実家に帰省するから行けなさそうだったのですが、14日に会社に行かないといけなくなったので行けそうです。そちらも楽しみです! ...

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映画・音楽・小説の感想 6年前

リリスク新体制の現場が大好きです

日曜日、lyrical schoolの新宿マルイメンでのリリース記念のミニライブ&握手会に参加してきました。 --------------------  そもそも先週の土日も、新体制お披露目ライブ『NEWGAME』に参加して、そこから新宿マルイメンでのフリーライブに移動したのですが、  まずリリスクの有料ライブ自体が初めてで、しかもその前後の就活とか大学とかでかなり消耗してたこともあり、もうライブ回っただけで割と疲れてしまって、握手会スルーしたんですよ。    で、帰ってから「せっかくのお披露目ライブなのに何で握手会行かなかったんだろう」って凄い後悔しまして、  なのでそのリベンジも兼ねて2週連続のフリーライブ。    基本的にリリスクの曲の中では『ワンダーグラウンド』『サマーファンデーション』が大好きで、もちろん他の曲も好きですが、  要するにワンダーグラウンドかサマーファンデーション聴ければもうそれで満足みたいなところがあって、  『ワンダーグラウンド』こそ新体制では聴けてませんが、『サマーファンデーション』は毎回聴けてるので満足。とても嬉しいです。  ワンダーグラウンドはちょっと切ない雰囲気なので、新体制お披露目ライブのセトリに入れる曲じゃないという判断には納得できるし、今後の追加に期待。まぁただあのダンスは6人いないとちょっと寂しくなるという難点はあるけど……。    新曲『夏休みのBaby』も凄く好きです。癖になるメロディーが頭から離れなくて何回も聴きたくなる。早く音源で聴きたいー。  今週は2部しか行かなかったこともあってか、出囃子聴けなかったのだけが残念。  あの始まり方最高にカッコいいので、音源をどこかに収録してほしいです。たぶん叶わないと思うけど……。  (ちなみに1部行けなかったのは前日夜にARMS体験会やってて起きられなかったからです)    そして握手会!  コミュ障すぎて毎回緊張しちゃうので、ライブ終了後の土壇場で並ぶかどうか迷ったのですが、やっぱり一度新メンバーと話してみたかったので並びました。  ほんと1人1人と話す時間が短すぎるので、何なら就活の面接くらい緊張する。握手券2枚で(2周ではなく)2倍の時間握手できるシステム欲しい……。  まあそれはそれで結局時間足りなくなるんでしょうけど。    最初がminanさんだったんですが、「何回か来てくれたことあるよね」って言ってもらってびっくりしました。認知ってほどではないと思うけど、嬉しかったというよりも単にありがたいなって感じです。  新メンバー3人とは初めまして。はじめましてか2回目か探りながら挨拶してくれる感じがちょっと新鮮。もちろんこちらからなるべく早めにはじめまして言ったんですけど。  risanoさんとは私が一昨年留学行ったからその話をしようと思ったんですけど、予想以上に時間足りなくて全然話せなかった……。「また今度聞かせてねー」と終了間際に言われたのでまた並ばなきゃなーってなってる。ちょろい。  hinakoさんとはサマーファンデーション好きって話ができたし、yuuさんのふわふわした感じも独特だし、新メンバー全員キャラ立ってて凄かった……。 最後のhimeさんは、昨年ちょうど誕生日がインストアライブだったので祝ってもらったから5月の誕生日祝いたかった、っていう話を準備していったら、  昨年の誕生日のくだりに喰いつかれて、結果5月に去年9月の誕生日の話をする変な人になってしまった。今度からは結論先行型で話そう……。  一周した結論として、また行きたいなという感じが強くしました。  全員話してて楽しいし全員雰囲気違うし、正直言ってリリスク前体制よりもハマりそうです……!! --------------------  と、そんな感じで、最高に楽しいライブだったんですけど、  その後のツイッターのメンバーのツイートとか見てたら、ぶら下がってるリプとかハッシュタグとかで

 なんかこの他にも日曜のフリーライブが全然盛り上がってなかったとか新体制の先行き不安とかそんな感じのネガティブな反応が結構多かったっぽくて。  別に晒し上げとかしたいわけじゃなくて、(って言っても実際やってることは晒し上げだからそう思われても仕方ないけれど)  それは個々の感想だから別にいいと思うんですけど、  ただ、こういう感想が全てじゃないよっていうのを、一応パブリックに記しておきたいなと思って、こういうタイトルの記事を書くことにしました。  (なら直接メンバーに送れって話だと思うけど私はTwitterやってないので、別に誰にも読まれなくてもそれはそれでいいです) --------------------  私は去年、ゴッドタンの「この次世代アイドル知ってんのか2016」企画でリリスクの存在を知って、  初めてリリスクのインストアライブ行った時に、「凄く入りやすい現場だなあ」って思ったんですよ。  もちろんヨドバシの屋内イベントスペースで声出ししにくいっていう環境もあったのでしょうが、初めてでも気後れすることが全然なくて、複雑なコールとかもあんまりなかったから。  もし、あの現場で、コール完全暗記な訓練されたオタしかいなくて一見さんお断り、みたいな雰囲気があったら、たぶんリリスクハマってないと思うし、  新体制のライブもそれに近い雰囲気があって、そのおかげで過度に気負わずに行くことができるし、ついでに握手会も参加するかっていうところまで含めて、  毎週行きたくなる居心地の良さはやっぱりリリスクのライブが洗練されすぎてないからこそじゃないかって思ってるんですよ。  それこそアイマスのライブに一度ライブビューイングで参加した時は、周りのファンのあまりの熱量の高さに気圧されて楽しむ前に疲れ切ってしまったし。    それは一般的に見れば、他のアイドルと比べて盛り上がりに欠けてるとかファンの熱量が足りてないという評価を下されるのかもしれないけれど、  そういうアイドルライブの在り方って、他と比べて絶対的に劣っていると言えるものなんでしょうか?  少なくとも私は、声優ライブとかいろいろ含めて今まで観たライブの中でリリスクのライブや現場の雰囲気が一番好きだし、  だからこそ三次アイドルなんて絶対ハマらないと思ってたのに気づけばリリスク1年以上追いかけてるし、  ワンダーグラウンドをiPodで1100回聴くくらいの完全な楽曲派なのにライブに何回も通ってるわけです。    もちろん、その方向でビジネス的に行けるのかっていうのは、また別問題だと思いますけど、私はアイドルビジネスに詳しいわけでもないし、  だからとりあえず私は今のリリスク現場好きなので応援してますっていうそれだけ言いたいのです。 --------------------  さらに言えば、himeさんという、あの時期に割と加入したてだったメンバーがいなかったら握手会馴染めなかったとも思うんですよ。  私の主観ですけど、やっぱり2年3年追ってるであろうファンが多い中で初めてっていうのは、どうしても気後れしちゃう部分だったので。  誤解してほしくないのは、前体制が好きではなかったとかではなくて、もちろんayakaさんもmeiさんもamiさんもyumiさんも話してて凄く良くしてもらったし、他の現場に来てたこと覚えてもらってたりとか、いいねしてもらったりとかもあったし、別にメンバーの方が対応を変えたとかそういうことはもちろん一切なくて、  ただ単にこちらの気分の問題でしかないんですよ。  例えば、並んでる一個前の人が「Twitterでこういうこと言ってたけどー」とか「この前○○(他のアイドル)のライブでー」とか、もう関係性出来上がった状態のトークをしている中で、  私の番になった途端に「ライブ凄く良かったです」「新曲好きです」っていう1ミリも面白くないトークになっちゃうのがほんと申し訳なくて。いや、向こうは別にそんなの全然何とも思ってないんでしょうけど。  その点、新メンバーの3人は、向こうも確実に初めましてだから、初歩的な質問しても変じゃないし、  過去にあった何かを知らないってこともないから、そのメンバーのバックグラウンドとかコンテクストを、少なくとも他のファンと全く同じ地点まで知った状態で観れることで、  そういう(こちらが一方的に感じてるだけの)変な不安を感じずに済むのが地味にありがたくて、ますますライブを楽しめるようになった気がします。 --------------------  ブログで以前書きましたが、  私は昨年の1月~2月にかけてプライベートでいろいろあって、精神的にかなり追い詰められていました。    そういう状況で出会ったのが、lyrical schoolというアイドルで、上に書いたようにゴッドタンきっかけだから偶然でしかないんですが。  リリスクのライブの楽しさを知ってからは、毎週末のミニライブに行くことで、それまでスプラトゥーンしかやることのなかった休日に出かける理由ができて、  今日は何の曲やるんだろうってドキドキしながら観て、ワンダーグラウンド初めてかかった時にテンション上がって初めてステージ前のファンの集団に混ざっちゃったりして、  とにかく毎週の楽しみが一つ増えて、落ち込むことも多少は少なくなって、  あとついでにYouTubeの関連動画とか大部さんのツイート経由で他のアイドルソングも聴くようになって、ブクガとか夢アドとかぜん君とか好きなアイドル楽曲がどんどん増えていって。 ...

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映画・音楽・小説の感想 6年前

ヒトリエ『IKI』感想、不完全ながらも希望を感じる新境地

ヒトリエの新譜『IKI』を買って聴きました。  前提として、私の現在のヒトリエに対するスタンスは  「wowaka時代からの熱狂的なファンだったけど最近は方向性変わってる感があって嫌いになりつつある」というものです。詳しくは下の記事を。  「DEEPER」は悪くないけど、最近のヒトリエはなんか違うと思う  あと、最初にはっきりさせておきますが、私は音楽を聴くときに演奏技術の優劣について一切何とも思わないタイプなので、ベースの安定感がどうこうリフの難度がどうこうみたいな話は特に語ることもできないので、そのへんはご承知ください。バンドとかやってなくてずっとDTMなので「楽譜では表せない魅力」みたいなものが少しもわからないのです。    と、まあ、こういう感じなので、正直なところ今回のアルバムも全然期待してなくて、というか発売日を忘れててAmazon MusicでDL購入したレベルなのですが。  ええと……まず最初に断っておくと、ヒトリエもIKIも嫌いなわけではないです。  このへん難しいのですけど、好きな曲とかバンドって普通べた褒めがスタートラインなので、「好きな部分と嫌いな部分が同居している」っていう言い方をすると、その時点で嫌い寄りに見えちゃうじゃないですか。そういうことではなくて、「好きが強いけど好きが100点ではない」ということです。  

好きな曲揃いではないけど、楽曲の幅は広がった

 個人的な話になりますが、ヒトリエに限らずどんなアーティストでも、「嫌いな曲」ってほとんどありません。  例えばBUMPもRADもミセスもセカオワもAKBもでんぱ組も、別にファンというわけではないけど、たまたまYouTubeとかテレビで新曲見つけて聴いたら割と気に入ることが多いし、  その好きのレベルには差があるけど、「これ嫌い」とか「これ良くない」って思うことはほぼありません。  ただ、「嫌いじゃない」と「好き」って、結構違うもので。  それらの、私にとって「嫌いじゃない曲揃いである」バンド・アーティストのファンになるかと言ったら、そうではなくて、わざわざ積極的に新曲を追いかけたりするモチベーションにはならない。  と、前置きが長くなりましたが、  今回のアルバム、レーベルによるアルバムの説明文にはこう書かれています。
2016年2月にリリースしたセカンド・フル・アルバム『DEEPER』からわずか10カ月。全曲新曲で届けられるアルバムは、ライヴやイベントと並行して制作されたヒトリエ史上最も幅広い楽曲群が収録された意欲作。
 「幅広い楽曲群」というのは確かにその通りで、穿った見方をすればBUMPっぽかったりRADっぽかったりボカロっぽかったりするものも若干ありますが、とにかくヒトリエの新たな面を見せている曲は多いと思います。  『リトルクライベイビー』はありそうでなかった開放的なテイストだし、『Daydreamer(s)』はアニメEDのタイアップ取れそうな爽やかさがあるし。『極夜灯』『さいはて』はそれぞれ『イマジナリー・モノフィクション』のあの2曲に似てて懐かしかったりもします。  で、その中には「『DEEPER』『WONDER&WONDER』っぽいかな」と思う曲もあって、それが『心呼吸』『イヴステッパー』あたりなのですが、  今回のアルバムが、この系統の曲だけで作られてたらもうそろそろヒトリエのファン辞めてたんじゃないかと思っていて。  ここで勘違いしてほしくないのは、別にこの2曲が嫌いなわけでは全然ないんですよ。このアルバムにこの曲が要らなかったとかも全く思ってません。  「嫌いじゃない」曲です。  でも、私にとって「嫌いじゃない」「そこそこ好き」レベルで止まる曲しか出てこなくて、そういう曲しか今後も出てこなさそうなら、そういうアーティストを追いかける理由は最早ないので。  で、私にとっての前作『DEEPER』は、こういった意味での「嫌いじゃない曲」が並んでいたアルバムでした。  ヒトリエだから優先して聴くし、聴けばもちろん良い曲なのだけど、そこに「ヒトリエ」というフックがなかったら、気に留めずにスルーしてしまいそうな楽曲。  でも、『IKI』のように幅広く曲が並んでいる中でこういう曲が少しある分には、「まあ、こういうのもあるか」って思えるんですよね。  全曲が自分の大好きド真ん中に来るようなアルバムがあれば、もちろんそれは最高なのだけど、そんなものはそうそうないってわかってるので。  その点、今作のアルバムは最初に聴いた時点ではあんまりピンと来るものがなかったのですが、『ハグレノカラー』『Daydreamer(s)』『リトルクライベイビー』がかなり好きなので、もうそれで十分満足だし、今後もこういう曲が時々出てくるなら追いかけられるような気がします。  

サビが盛り上がりきってない曲が多い

 これは別に『IKI』に限った話ではないのですが、最近のヒトリエはサビが気持ちよく歌えなくなっている曲が多いと思っています。  というか……そもそもwowakaさんが歌いやすい音域に制限してる感じがあるんですよね。おそらくライブ前提で作られてるからだと思うのですが。  つまり、「本当はメロディーを上げたいけど音域的にきついから下げる動きにしよう」みたいなセーブが働いてるんじゃないかと。    その傾向を表す一つの例として、『DEEP/SEEK』(ワンマンライブ)の時に気づいたんですけど、『トーキーダンス』のサビのメロディーをライブでは変えてるんですよね。「踊っていいよ、踊っていいよ↓」と最後の「いいよ」でメロディーを下げるやつ。  ライブアレンジが良い悪いという話がしたいのではなくて、どう考えてもあの曲は最後にメロディーを上げて終わった方が良い(だからこそCD音源ではそうなっている)のに、それをしない。  このような「歌いやすいメロディー志向」が、ライブアレンジではなく音源の時点で起こり始めている気がするんですよね。  まあこのへんはどこまでいっても好みだと思いますけど、それが一番出てるのが『イヴステッパー』で、  賛否両論あると思うけど、あの曲のサビ、個人的には絶対後半でメロディー上げた方が気持ち良いと感じました。「東京、雑踏、刹那の夢」の「刹那の夢」のところです。  少なくともボーカルがボカロだったら、『アンハッピーリフレイン』のサビみたいに思いっきり上げてたんじゃないでしょうか。  別に全曲でテンションぶち上げるようなサビの動きをしなくてもいいと思うんですけど、しかし、サビまで順調に盛り上がっていっているのに肝心のサビが微妙に守りに入ってる感があってもやもやするというか……。  『心呼吸』も似たような感想です。  ただ、その代わり? と言っていいのかわかりませんが、サビ前まで文句なしにカッコいい曲が多いです。『イヴステッパー』のサビまでとかかなり好みです。  ライブ(「DEEP/SEEK」)で聴いた時から『ハグレノカラー』のサビ前の動詞連打は最高だと確信していたのですが、音源化されてもやっぱり最高でした。いやサビも好きなんですけど。    今回のアルバムでは『リトルクライベイビー』『Daydreamer(s)』『ハグレノカラー』『目眩』が、サビが気持ちよく上がっててかなり好きな曲です。『doppel』も最初は突然の転調でびっくりしましたが、慣れてくると結構好きです。  『リトルクライベイビー』なんかは音域の広さをカバーするために思いっきり裏声入ってますが、以前に比べると裏声使う曲が減ってる気がします。  個人的には(少なくとも音源では)ライブ映えとか声量とか気にせずにメロディーラインの美しさを追求してほしいのですが、下室TIMESでサビの裏声批判されたから減らしてるのでしょうか。  

歌詞がどの曲も凄く良い

 最後に取り繕うわけではないですけど、歌詞は明らかに良くなってると思います。なんで上から目線なんだよって話ですが。  『WONDER&WONDER』『DEEPER』の時に感じた、歌詞のそこはかとなくダサいワードチョイスはほぼ完全に鳴りを潜め、ボカロやルームシックの頃の歌詞が戻ってきた! と思いました。あの頃と一緒というわけではない(もちろん進化した部分もある)ので、戻ってきた、という言い方も違うと思うのですが、以前の迷走してる感はなくなってきたなと。  歌詞が特に好きなのは『daydreamer(s)』。「あたしを全部見せたい 君を全部知りたい」っていうフレーズに心を掴まれました。  『ハグレノカラー』のサビ前の動詞、特に最後の「想像して、想像して、想像して」のところは語感が綺麗すぎるし、『doppel』の「機械仕掛け」「決壊しかけ」の韻の踏み方も素晴らしいし。  また、「ホップ・ステップで踊ろうか」に代表されるような、「この一文だけで勝てる」と言えるようなキラーフレーズも、最近のヒトリエには少なかったと感じていたのですが、今回の「第六感の向こう側」(リトルクライベイビー)はいわゆるパンチラインだなと思いました。  何よりも、「この歌詞は苦手だな」と思うような曲、フレーズが1つもない。それが本当に嬉しい。  個人的には音楽を聴くときに、そこまで歌詞に集中することは少ないのですが、だからこそ、自然な言葉ですっと流れていくwowakaさんの歌詞が好きです。真ん丸な言葉がストレートに心地よく耳を通り抜けていく感覚、というか。だから、そういう姿勢で聴いているところに「合点承知ベイベー」とかいうゴツゴツした言葉が来ると耳の奥でつっかえるのです。    あと、ヒトリエになってから、曲名と歌詞の対応がわかりにくい曲、曲ごとのテーマがはっきりしない曲が増えたなあという感じがあったのですが、それも『IKI』ではだいぶわかりやすい曲が増えている気がします。  テーマがはっきりしない、というのは、例えば『N/A』『NONSENSE』『癖』『MIRROR』とかの、曲名を言われてもどういう歌詞だったかを思い出す手掛かりに全然ならない曲のことです。まあ「癖」は歌い出しにワードが入ってるから思い出せるかもしれませんが。  今作にもそういうタイトルの曲もありますが、『リトルクライベイビー』『ハグレノカラー』のような、印象的な曲名のものが増えていて、何となく嬉しいです。  ボカロ時代(特にしりとり終了以降)とかWONDER&WONDER以前のヒトリエでは、『積み木の人形』とか例外はあるものの、『ローリンガール』『リバシブルドール』『プリズムキューブ』『カラノワレモノ』『アンチテーゼ・ジャンクガール』などなど、造語であったり独特な単語の組み合わせによる曲名が多かったはずなので。  タイトルの時点で既にカッコいいと思えるかどうかって凄く大事な要素だと思っていて、そもそもアルバムのタイトルも『ルームシック・ガールズエスケープ』『イマジナリー・モノフィクション』『モノクロノ・エントランス』とかめっちゃカッコ良かったじゃないですか。なので、今作『IKI』は正直嫌な予感があったんですけど、中身はちゃんとカッコよかったので良かったです。  やっぱりミニアルバムと違ってフルアルバムだとコンセプチュアルにしづらいからタイトルはどうしてもシンプルになるんでしょうか。  

過去最高のフルアルバム

 この記事では『W&W』と『DEEPER』をひとまとめにして「苦手」という風に書いていますが、この2枚が苦手な理由は実はちょっと違っていて。……というのも、この記事を書きながら気づいたことなのですが。  『W&W』は「好きな曲もいくつかある(『5カウントハロー』)けど、苦手な曲が凄く多い(『ピューパ・シネマ』、『癖』etc…)」で、  『DEEPER』は「苦手な曲はそんなにないけど、凄く好きな曲もあんまりない」でした。  強いて言えば『フユノ』『GO BACK TO VENUSFORT』は好きだけど、めちゃくちゃ好きというわけではない。今年のトップ10に入らないくらいの「好き」。  だから、『W&W』の時は「次も楽しみに待とう」という感覚がギリギリ残ったけど、『DEEPER』はあまりにも心に残らなさすぎて、これはファンとしてどうなんだろうという自問自答からああいう記事を書くところに至ったわけです。先程も書いたように、「そこそこ好きレベルを常に出すアーティスト」ならヒトリエじゃなくてもいいし。   ...

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映画・音楽・小説の感想 7年前

『何者』感想(というよりも単なる自分自身の話)

映画『何者』観てきました。何気に公開初日。  米津さん主題歌に釣られたのと、夏あたりから何度も予告編観て気になってたのと、就活というタイムリーなネタだったのと、あと『ご本、出しときますね?』で朝井リョウさんのことを知っていたのと、いろいろ。    予告編くらいしか観ていないので、6人の男女が就活対策本部を設置してどうのこうの、みたいなことしか知りませんでしたが、めちゃ面白かったです。中高生とか30代以降とかが観て面白いかはわかりませんが、少なくとも大学3年の今の時期に観るとものすごく刺さります。  それにしても、公開時期が本当に絶妙。現4年はたぶんだいたい就活終わってて、現3年はまだ本格的には始まっていない、というこの時期じゃないとメイン客層の半分を取り逃がすのだろうなという感じ。  とりあえず大学生はマストで観に行くべき映画だと思います。就活対策としても3%くらいは役に立つ。合同会社説明会ちゃんと行かなきゃなって思いました。  あと、「就活をめぐる恋愛・友情・裏切り」と言われても、裏切る相手も恋をする相手も全くいない現実があって辛い。    そもそも就活ネタという時点で心を抉られるであろうことは想像していたので、その覚悟はできていたのですが、  それに加えてツイッターネタでさらに深く心を抉られる準備はしていなかったので、結果ボロボロになりました。  映画を観た人、もしくは原作を読んでいた人ならわかってもらえると思うのですが、ツイッターで偉そうに他人の批判をしている私みたいな人間が観ると精神を壊される映画です。もちろんそれ以外の人も。  とりあえず小説は買おうと思います。Kindle版。  ここからネタバレありの話をしますが、正直なところこの記事は何者の話というよりそれを見て考えた自分の話、みたいなところあるので、あんまり映画のレビューとかは期待しないでください。逆にそういう話目当てにこのブログを読んでくれてる方がいるなら今すぐ何者を観に行ってそれから読んでください。  (※この先ネタバレあり)  『何者』についての感想を書こうと思っても、あまりにも主人公と自分の感覚が一致しすぎていて、自然と自己分析めいたことになってしまうことを避けられません。  というのも、このブログを前から読んでくださっている方ならご存知の通り、  私は先月、他人のことを偉そうに分析していたら本人から凸られていろんな人からdisられて精神的にボコボコにされるという自業自得な一件がありまして、それをきっかけにTwitterで他者の目に晒されることに耐えられなくなってTwitterを止めてブログに引きこもっているのですが、  まあ、そういうわけで、ラストのリカの発言がもう私自身のことを刺しているとしか思えなくて悶絶しました。  特に「自分大好きだからツイート非公開にしてないんでしょ」とか「どうせ時々自分のツイート読み返してるんでしょ」みたいな台詞の攻撃力が高すぎて。その通り私も自分大好きなので自分のツイートやブログ記事よく読み返してます。  安全なところで他者を分析したい、自分を棚上げして他者を値踏みしたい、という欲求はおそらく多くの人が持っているのではないかと思うし、その主な舞台としてかつては2ちゃんねるやブログであったものがTwitterだったりしているのでしょうけど、  その先に「誰か言っているかではなく何を言っているかだけを見てほしい」「リアルな人格とは切り離したネット上の人格として扱ってほしい」というのもあって、つまり「自分の一部分だけを切り取って別の自分にしたい」というか。  「他者や事象を的確に分析する人」として扱ってほしいのであって、「分析するような立場にないダサい現実の自分」は切り離したい。  なのだけど、自分に都合の良い要素だけを集めてもう1人の自分を構成することができるなら、同様に自分に都合の悪い要素だけ集めて構成されたものもやっぱり自分で、それを突きつけられるのが最後のシーンなのかなと。  私だってこのブログのことを、高校までの友人には知られているけど、大学の友人にはあんまり見せたくないなあと思いますし、当然企業の人事担当者なんかにはなおさら知られたくないし。    まあただ、先月Twitterやめて結構経ったから一周してぎりぎり致命傷にならずに済んだというか、リアルタイムにTwitterやってる頃とか、あの炎上でdisられた直後に観てたら死んでたと思います。  あれを観て改めてTwitterなんかやらない方がいいよなとも思いました。  とはいえ、Twitterでああいうことをしてしまう人格の悪さそれ自体が変わったわけでは全くないという意味で、主人公の行動原理が痛いほどわかって、やっぱり凄くきつかったのですが……。 --------------------  そもそも他人に対して何かを言うときってどうしても自分のことは棚上げせざるを得ないというか、その行為を「○○してるあなたに言われたくない」みたいな言い方で否定してしまうことはあらゆる話し合いを拒絶することだと思うのだけど、  不思議なことに、その言葉によって否定される人と否定されない人がいるように感じます。  例えば、そうですね……ワイドショーで芸能人が政治の話題にコメントすることに対して「ただのタレントが口を出すな」という批判があったら、「素人が意見して何が悪いのか?」と反論するだろうし、その反論は筋が通っていると思うのだけど、  私が政治の話題についてコメントして、それに対して「無知な大学生は黙ってろ」という批判があったら、それはとても的を射ている発言のように思えます。そして、前述の騒動で石左氏が私に対してしたことはまさしくそれなのですが。  両者のどこに違いがあるのかを考えた時に、実はそれは客観的な何かではなくて、「自分自身に対して開き直れているかどうか」という主観的な問題なのかなと。  つまり、私自身が現実の自分とネット上の自分の乖離について批判された時に、どこかで「確かにそうだな」と納得してしまう部分がある。自分がそういうことを言う立場にないという自覚がある。  そういうことに目を瞑って開き直り続けられている人もいます。  ただ、そもそも、他者の分析力が高い人間は、同時に自分自身の自己分析力も高いと思う。  だからこそ、客観的に自分を見た時に、自分が、卑しくて、ダサくて、何かを言う権利のない人間であることについて自覚があり、そこを突かれたくないと思っている。 --------------------  私は「意識高い系を見下す意識低い系」が嫌いなのですが、  そうやって周りのいろんなものを見下している私は一体何なのだろうと考えることがよくあって、  そういう意味ではまさに「全員のことを笑っている」主人公と完全に一致していて。    映画だけで主人公のキャラクターを完全に把握することはできないので、これは私自身の話ですけど、  何かに無謀に打ち込んでいる人のことを馬鹿にしていると同時に羨ましくも思っていて、すごく上から目線な言い方をあえてすれば、  「自分のダサさに自覚的にならずにいられる」ことが羨ましいなと。  それは、そういう人たちを馬鹿にしている人についても同様で、  他者のことが気になって仕方ないからこそ他者のことを分析したり批評したりするし、  他者の目をいつも気にしているからこそ、そういう目を気にせずに生きている人のこと全員が嫌いで、見ているだけで苛々して、それから逃れるために「あいつらは馬鹿だから周りの目が気にならないんだ」というポジションを取ろうとする、  でもそうやって逃げている自分自身のことももちろんちゃんと見えている。  もちろん、この分析にしたって私自身が他者のことを想像しているだけであって、実際には他の人もみんな自分自身のダサさに自覚を持った上でそれに抗って何かをしているという、その他者の目に勝てない私(のような人間)の弱さだけかもしれませんが……。 --------------------  これ以上クソみたいな自己分析続けてるともはや『何者』の感想でなくなるのでちょっと話題を変えて、  Twitterの使い方はほんと上手かったですね。主人公がTwitter見てるだけなのかと思いきや……というミスリードも含めて。  日本でどうしてこんなにTwitterが流行っているのか、流行るというよりもはやインフラとして根付いてる感じすらありますが、  現実世界があまりにも過去と紐づけされすぎているからこそ、そこから抜けられるように思える場所を求めているんでしょうか。    Twitterのタイムラインがどうして居心地の良い空間になるのか考えてみると、  140字という制限の中でTwitterにそれぞれの人が投稿するのは自分自身の感覚の不完全な形で、  その不完全な部分、欠けている部分、そのツイートの文脈を自分に都合よく解釈してしまえるからなのかな、と。  自分の嫌いな人や下に見ている人のツイートは、不完全な部分を悪い想像で埋めたり、もしくは埋めなかったりすることで、「こいつはこんなことも知らずに書いている」とか「このツイートにはこんな矛盾がある」みたいな受け取り方をしやすい。  その人の考えていること全てをたった140字で表現しているわけでは当然ないにもかかわらず。  少し前に話題になった貧困JKなんかまさにその1つで、「映画を観ている」「友達とランチに行っている」といった部分から想像できるそれ以外の生活や人格を、できる限りの悪意とともに補完されてしまったケースなのだろうと。  そういう「自分のフィルターを通して他者を見ている」ことについてサワ先輩が注意するわけですが、拓人がまだその言葉の真意を掴みかねているところに、リカという存在が、拓人に対して同じこと、ツイッターの発言から相手の全てを把握したような言い方をすることをやって見せる……。  拓人の裏アカの名前が『何者』というのも、  現実世界の自分と接続されない誰かでさえあれば誰でもいいから他の誰かになりたい、ということなのだろうなと。  ただ、自分ではない誰かを装ったネット上の人格は自分ではないのか? と考えると、やっぱりそれも違うというか、  「何者」アカウントのツイートがRTされて嬉しい、誰かが読んでくれて嬉しい、という感覚、自己承認欲求がそれによって満たされるのは、その人格も別の自分であるからに変わりないし、  ということはその別に作った人格だって誰かから叩かれたら(それが現実の自分と接続されていなかったとしても)辛くて苦しいに決まっているわけで、その意味でリアルだろうとネットだろうとどこのコミュニティだろうと、自分ではない誰かになんてなれないのだろうなと思います。  私なんてたまに2chに書き込んだ匿名レスを煽られただけでも傷ついてます。 --------------------  ところでこの記事、まだ就活の話をしていないわけですが、  正直就活は私自身がまだインターンシップいくつか応募して落ちただけの段階なので特に言えることもない……。  けど、インターンシップでさえも落とされた時のダメージはなかなか凄くて。  「就活に強い」は単なる1つの能力に過ぎない、というのは、終盤で光太郎が語っていることでもありますが、  一方で、「今までの人生の全てを上手く伝えてください」というオールマイティ感が、自分の全てを測る物差しに感じられてしまうのもまた事実だし、  「運動ができない・勉強ができない」は別にそれだけですべてが決まる物差しではなかったけれど、「就職ができない・仕事ができない」は確実にその人の欠陥として認識される(できない人があまりにも少ない)のが辛いなと思います。  そして、インターネット・SNSによって普通の人が普通の自分を発信できるようになったこと、「サイレントマジョリティーの可視化」がもたらしたものは、自由な世界ではなくむしろ逆で、普通であるべきだという同調圧力を強めているようにも思えます。不謹慎狩りとかもそう。  ……このあたりの「ネット/SNSに書かれていることももはや本音ではない」という話は、少し前に東浩紀さんとジェーン・スーさんが対談で語っていたこととだいたい同じなので、興味のある方は下の記事もどうぞ。 第2回 ネットは“第2の建前”を増やしただけだった<ジェーン・スー『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』×東浩紀『弱いつながり』刊行記念対談>ジェーン・スー/東浩紀-幻冬舎plus --------------------  あと、何者って聞くとどうしても輪るピングドラムの「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」を連想しちゃいますね。  このあたりは細かく考察というか解釈していくとキリがないのだけど、個の確立・識別は他との比較なしにはあり得ないわけで、  「就活せずに演劇で生きていく」という姿勢がアイデンティティになるのは「他の多くの人が就活を選択する」世界であるからこそで。  ただ、同時に結局「隣の芝生は青く見える」のと同じで、人間が自分を基準に世界を見ることしかできない以上、自分自身はどうあがいても「何者にもなれない」んだろうなとも。  自分を基準にした時の自分自身はあらゆるステータスがプラスマイナスゼロなので、自分の個性とか特徴とかアイデンティティとか、自分ではわからないですよね。だからこそそれを求められる就活で悩むのでしょうけど。そういうところで自分自身に嘘をつけない人は特に。  私自身、今までの大学生活なにやってたんだろう、これでよかったのだろうか、とか、思っちゃいますけど、でも客観的に見たら留学したりバイトしたりそれなりに充実した生活を送っていたはずで、これで現状に満足しないということはたぶん何をしてても同じだっただろうな、と。  まともにサークル入ったりしてたら楽しかったのかと言えば、そうではなかったからサークルを半年経たずに辞めたりしてるわけだし、クラスのコンパ的なアレも、参加していなかったからこそ参加していたifに夢を見るけどたぶん参加してても全然楽しくなかったんだろうなとも思うし。  「自分はまだ何者でもない」という感覚はたぶんずっと消えないままで、折り合いをつけて就活だったり就職だったりをしていくのだろうな、とぼんやり思っています。    とりとめのない感じになってきたのでこのあたりで切り上げます。  とりあえず小説買ってまたいろいろ考えようと思ってます。   ...

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映画・音楽・小説の感想 7年前

『シン・ゴジラ』を全く面白いと思わなかった感想

今さら感ありますが『シン・ゴジラ』観てきました。  えーと……まあ簡潔に言うと面白くはなかったです。    箇条書きで要旨をまとめると  ・画面作りが派手でロマンに溢れてるので、男の人が好きな感じはわかる。  ・ストーリーが予定調和すぎて退屈だった。  ・イデオロギー的な面で一切同意できない。  ・プロパガンダ的な側面があるので結構危険だと思った。    注意:この記事はネタバレを含みますが、ぶっちゃけこの映画はネタバレされても面白さにあまり影響を与えない類の映画なので、気にしなくても良いような気がします。『君の名は。』とかはネタバレ踏んだら面白さ半減ですが、これは大丈夫だと思います。 --------------------  ストーリー・プロットが面白いものだけが良い映画でないことは十分承知した上で、個人的にはストーリーが面白い作品が好きです。  ドキドキしながら見入ることができて、話に起伏があって、予想を裏切るどんでん返しがあって、終わった後にすっきりできる話が好きです。  要するに、『ズートピア』『君の名は。』が好きで『シンゴジラ』『ガルパン』が好きではないです。Twitterとか見た感じだとガルパン好きな人はシンゴジラも好きそうですよね。  なんというか、あらすじで予想できる筋書を全くはみ出ないというか、大枠では最初に提示された路線をただ進むだけというか。  ヤシオリ作戦が首尾よく成功して何のどんでん返しもなく終わるのにはびっくりしました。強いて言えば首相が死ぬあたりはサプライズなのだけど、その割にはあっさりしてたし。後半は本当に単調でした。前半もだけど。    つまり、「どうなったか」ではなく結果ではなく「どのように」という過程に重きを置く映画。  その意味では『ガルパン』に近いと思いますが、  ただ、その過程で描かれるのがガルパンみたいな「女の子がイチャイチャ」とかなら、まだそこを楽しむこともできますが、  そこで描かれるのが「日本すげー!自衛隊すげー!日本の底力すげー!」みたいなアピールばっかりなので、  もう全然共感できないし何も面白くなかったです。  あ、在来線爆弾とかあのへんの戦術は確かにロマンあってよかったですが……。    震災とのリンクについても、原発事故を想起させておいて「米軍に頼らなくても日本の現場の科学力と根性で自然災害に打ち勝てる!」みたいなのは、こう……見てて恥ずかしくなりました。  ちょうど今はノーベル賞も話題ですが、要するに「日本の科学力は世界一!」みたいなのってもう遠い昔なわけで、「でも本気を出sきて一致団結すれば……」とかいうニートの戯言みたいな幻想を見せられても寒いだけだし、  まあ、日本大好きな人にとってはそれでいいと思うんですけど、別に日本好きでもない私としては特にテンション上がらないし、  官公庁を舞台にして現実っぽさを前面に押し出しているだけに、余計にその「現実から目を背けたい感」で現実を捻じ曲げているのがちょっとなー、という感じ。  それならまだ、震災のifをファンタジーに求めた『君の名は。』の方が、フィクションとして割り切れて良いと思います。    あと、日本社会において、どんなに緊急事態になったとしても「厄介者・変わり者・オタクの集まり」にスポットが当たることはないと思う。まあ、そういうシチュにワクワクしたいのもわかるけれど。 --------------------  イデオロギー的なところが露骨に出てたのは、途中でチラッと映った国会前デモのシーン。  明らかに昨年夏のSEALDsを意識している感じでしたが、  あの「主義主張は聞こえづらくして、ただ煩く騒いでいるということをフィーチャーする」という見せ方はちょっと酷すぎですよね。  私はあそこで「ああ、なるほど、これは”国会前デモを見下していた人”が観ることを前提とした映画なのだな」と感じました。  「ああいう考え方も1つの回答だよね」という描き方ではなく、  「ああいう考え方は現実離れしている、ゴジラを倒そうと頑張っている人たちの邪魔をしている」という見方で固定してしまって、それを現実の左派と露骨にリンクさせたのは流石にやりすぎだろうと。  例えばそれを、劇中の人間が「うるさいな」とか言ったりしたら、それは劇中の主人公の感覚として(たとえ共感できなくても)処理できるのですが、  そういったフォローを全くしなかったことで、制作側の「わざわざ言うまでもなくこいつらがうるさい馬鹿だってみんな思うよね?」というステレオタイプ的な見方を観客が強いられてしまった。  それに共感できた方にとってはハッピーな映画だと思いました。それだけです。    それからもう1つ、これは序盤の発言ですが、  ゴジラの被害を楽観的に予測する首相に対して、矢口が  「先の戦争では楽観的な予測のせいで罪のない国民がたくさん亡くなったのだから、楽観的に考えるべきではない」  ということを言います。  これ、一瞬正しいことを言っているように見えますが、とんでもないプロパガンダですよね。  つまり、「先の戦争の反省」を「武力による先制攻撃」と接続している。  自衛隊の存在、集団的自衛権などを含む武力行使を、「先の戦争の反省を活かして、国民を守るために必要な行動だ」という解釈を行って、しかもそれを映画の主人公に語らせる。  そもそも太平洋戦争は、「このままだとABCD包囲網やら何やらでじわじわと物資不足で死ぬだけだから、自滅する前にアメリカに直接攻撃だ」と言って始まったわけで、  その前の日中戦争に繋がる満州国設立なども含めて、「日本国民を守るための行動」「日本の繁栄を維持するための行動」として行われていたわけです。  その結果がどうなったかはもちろんわかると思いますが、今回、ゴジラを倒す理屈に、よりによって戦前日本軍と同じ理念を持ち出しているわけで。  この文脈で矢口の発言を解釈すれば、「先の戦争でももっと念入りに準備をして早めにアメリカや中国を叩くべきだった」とも言うことができる。本人にそのような考え方があるか、ということではなく、そういう行動をも肯定し得る考え方である、という意味において。  先の戦争の反省をそんなところに持って行ってしまって、武力を肯定する材料に使ってしまっていいのか?  というのが引っ掛かりました。そして、その引っ掛かりは最後までそのままでした。 --------------------  その他、細かいところをあげるとキリがないのですが、とにかく、  『シン・ゴジラ』を個人的には全然面白いと思わなかったと同時に、  この映画がそれなりに受けているというのはちょっと怖いなと思いました。    とにかく「一般的な日本人が共有しているであろう文脈(コンテクスト)」を「共有していて当たり前だよね?」という顔で引っ張ってくるので、  その文脈を共有して疑問を抱かない人にとっては強烈に面白い映画なのかもしれませんが、  私には無理でしたし、楽しめる・楽しめない以前に、恐ろしいほどの同調圧力で息苦しさを覚えました。  特に大学の授業で社会的な文脈や背景を分析するような授業をたくさん受けていることもあって、生理的に全く受け付けず、モヤモヤが残るばかり。  この映画の何が面白いのか、誰かに説明してほしいくらいです。    ただ……、少し思ったのは、  強烈に嫌いな感情を呼び起こすというのも一つの魅力、というか。    『シン・ゴジラ』は今年見た中でぶっちぎりに一番嫌いな映画ではあるのですが、  そもそも、それなりにヒットしている映画を観て「嫌い」って思うことってあんまりないような気もするんですよ。「平凡」とか「つまらない」とかならまだしも。  だからこそ、嫌いな人も「つまらなかった」で終わらせることができない、という、ポジティブ・ネガティブを問わない拡散力の高さがヒットの1つの要因なのかなと思いました。  同時に、公開当初『シンゴジラ』を批判した人がネット民の方々によってボコボコに叩かれたりしていたのも、そういう強烈な分断を意図的に起こさせる映画だからで、それは確かに、白黒はっきりつけることが望まれる今の時代に合った映画でもあるのだろうと。    そういう意味では良くも悪くもパワーのある映画ではあると思いますし、  これがヒットするということは、それを支持する層が(そうでない層を切り捨てても問題ないほどに)無視できない規模になっているのだろうとも思うし、  同じように好き嫌いの分かれる監督を個性を丸める方向に持って行って万人に広く受け入れられた『君の名は。』が興行収入で抜いてくれたことは本当に良かったなと思います。 ...

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映画・音楽・小説の感想 7年前

映画『君の名は。』ネタバレ感想、またはファンタジーのリアリティについて

月曜日に「君の名は。」を観てきました。  平日の昼間なのにほぼ満席でビビった。  新海誠作品初鑑賞とかいうドニワカで、ちゃんとした考察ができるわけでもないので、簡単に思ったことだけ書いていきます。  簡単なのにネタバレします。タイトル通りネタバレ全開です。  この作品、ネタバレされると面白さが半減どころじゃないので、これから観る人は読まないでください。  いや、だいたいの映画がそうっちゃそうだけど、ガルパンとかアイマスとかズートピアとかは、あらすじわかってても面白い作品じゃないですか。ああいうのとは全然違うと思います。 -------------------- --------------------  そんなわけで前情報ほぼゼロで行ったし、新海誠作品の特徴とかも一切知らなかったので、  「たぶん入れ替わりラブコメなんだろうなー」「最後ちょっと泣けるヤツなんだろうなー」くらいに舐めて構えてまして、  なので完全にやられました。  観た人の評判がすこぶるよかったので面白いのだろうとは思ってましたが、想像の遥か上を行く面白さだった。  序盤ではいわゆる「入れ替わり作品のお約束」がツボを押さえつつも割と駆け足で消化されていったので、テンポの良さを楽しみながらも「こんなポンポン進むのか」とちょっと戸惑いました。いや、ちゃんとツボは押さえてたのですが。  そして中盤。  村が災害で壊滅していたことが明かされる例のシーンで、本当に全身鳥肌が立ちました。  完全に不意打ち。ぞわっとしました。  「実は三葉だけは死亡者リストに載っていない」的な流れを予想するも、それすら打ち砕かれる展開でさらに絶望……。    そこから終盤。再びの入れ替わり&時間遡行によって村を救う展開になるのですが、  正直ここまでくると「全員助かるなんて無理だろう……」という感じで、  三葉以外死ぬ展開とか、逆に三葉だけが逃げ遅れて犠牲になる展開とか、とにかく思いつく限りのバッドエンドを予想して、  最終的に一息つけたのは新聞の「死亡者数0」に書き換わった記事が映った時でした。    とはいえその後も「会えないんじゃないか」「お互いに思い出さないまますれ違って終わるんじゃないか」という不安がもぞもぞと蠢き、  その不安と緊張が最後の最後、階段で一旦すれ違うところまでずっと張り続けただけに、  最後の最後でちゃんと思い出した時は心からホッとしました。 --------------------  で、個人的にはすっかり満足したのですが、  一方で、あまり気に入らない人がいるというのもよくわかる映画になっていて。むしろ、これだけ大絶賛されてることに違和感あるくらい、賛否両論であるべき映画のような気もするんですよね。  ウェブ検索すると結構否定的な意見もあります。  新海誠「君の名は。」に抱く違和感 過去作の価値観を全否定している  これは感想というかニュースサイトに載ってる評論対談ですが。    で、まあ、設定に関しては擁護しきれない粗が多いのは事実というか、  少なくとも、登場人物みんなLINEやってるデジタル時代に、10日入れ替わって年号の違いに一度も気づかないというのは無理があるだろう、というのはわかります。  ただ、それでもこの作品に、少なくとも観ている最中くらいは観客を騙し切って泣かせるところまで行ける、という説得力を与えているのは、  「過去・現在・未来の自分の不連続性」を1つのテーマにしている作品だからで、そういう感覚を持ったことのある人であれば、割と違和感なくのめり込めたのではないかと思うのですよ。    つまり、「今あなたがいるのは2016年9月ですか?」と問われたら、自信をもって、YESと言える。時計を見ればいいし、新聞を買えばいいし、検索すればいいし、人に訊けばいいし、スマートフォンで「きょう」と入れて変換すればいい。  なのだけど、  「昨日あなたがいたのは2016年9月ですか?」と問われたら、ちょっと不安にならないですか。  そういえば、2016年だってはっきり確認した記憶はないような気がする。  そして、じゃあ、「昨日あなたは女子高生と入れ替わっていなかったと言い切れますか」と問われたら……  いや、昨日はさすがに無理があったとしても、「5年前にそういうことがあったけれど忘れている」と言われたら……  みたいな、記憶の曖昧さに揺さぶりをかける映画であるのではないかと。    「ついさっきまで覚えていた君の名を覚えていない」というのも、人によってはなんだそれ痴呆か?って思うのかもしれないけど、  「ついさっきの自分」と「今の自分」の不連続・断絶の話をしている、と考えると、納得がいくような気もして。    同じことが、地方と都会(東京)の距離の話にも言えて。  世界五分前仮説とかシュレディンガーの猫とか、それらしい実験はいろいろありますけど、  人は、「今」「目の前にあるもの」しか認識できなくて、あとは存在するかどうかなんてわからないんですよね。  自分の真後ろが真っ暗闇で、振り向いた瞬間に形作られて……というような妄想。  だから、実際に糸守が存在するかしないかも、わからない。あるかないかを断言できない。  日常の延長線上にあるかもしれない非日常。こういうのをローファンタジーとかエブリデイマジックとか言うんでしたっけ。  その日常と非日常の接続に必要な理屈を、ほぼ「記憶」だけでほとんどの観客に納得させたというのは凄いことじゃないかと思います。……まあ、一応神社とか神様とかもありましたけど。 --------------------  それに付随して、全体的にシチュエーションありきというか、ご都合主義的な展開が多かった、というのもわかるのですが。    あの作品の時間軸がどこにあるかといえば、最初と最後のシーン、つまり「8年後」から過去を見ていると考えるのが自然で、  つまり、「あのストーリーが成立したからこそ遡及的に語られる物語」なんですよね。  それは例えば、「ドラクエの勇者はなんで全員周りにスライムしかいない恵まれた環境に生まれるのか」の回答が「それ以外の街に生まれた勇者は旅立ってもすぐに死ぬから語られない」みたいな説と一緒で、  無数の並行世界がたくさんあって、その中にはひょっとしたら、入れ替わり3回目くらいで年号の違いに気づいて、わざわざ口噛み酒で2度目のトリップをするまでもなく一発で彗星災害を未然に防ぐルートだってあったかもしれない。  逆に、瀧が糸守を探しに行こうと考えるほどの執着を持たずに、あっさり忘れてしまうルートもあったかもしれない。  その中で、たまたま結果論としてああいう素敵なお話が生まれたから語られているのだ、という解釈をすると、すっと飲み込めるような気がします。 --------------------  あと、ハッピーエンドであるべきかどうか……というのは1つの問題で、  まあ私は過去の新海誠作品を観てないから何とも言えないんですが。  会えないまま終わる、最後の最後で階段ですれ違っても振り返らない、気づかない……みたいな切なさも、それはそれで綺麗な終わり方だと思います。  ただ……これは、もう好みの問題になると思うのですが、個人的には、  「物語の中盤ではいろいろなことが起きるけど、最終的にはハッピーエンドに収まる」方が好きなので、君の名はそういう終わり方でとても嬉しかったです。  というか、最後の、瀧が大学生になってからの、  テッシーやサヤちんに気づかない、名前も覚えていない、5年前の記憶さえ曖昧、階段でも一度気づかずにすれ違う……  という一連のシーンが、会えないエンドを暗示しまくっていて、  それだけ焦らしたんだから最後は会えてもいいんじゃない?という。  会えないパターンの覚悟はできてたし、そのパターンで終わった時の悲しみは十二分に想像してたので、もう実質両方味わったような気分というか……。 --------------------  あと、個人的に、物語でも現実でもなのですが、私が一番苦手な描写が、「取り返しのつかない失敗・二度と戻らない破壊」で。  そういう意味で糸守が災害で全滅、というのは、私の一番苦手な展開で、  それが何の前触れもなく訪れたので(予想できた人は予想してたのだと思いますが、私は少しも予想できてませんでした)、  その衝撃が大きすぎたというところがあります。  それに対してタイムループでなかったことにする……というのは、ご都合主義と言われたらそれまでですけど、  個人的にはやっぱりファンタジーでもいいからそういう夢の見せ方をしてくれて良かったなと思います。    単純に私が被災経験がないせいで、あの映画を観て「震災のメタファーだ」みたいなことを全く思わなかった、というのもあるのですけど。  あれを震災映画として観た時に、「過去に戻って震災自体起こらなかったことにする」という解決法が、どうなのか、というのは、別の観点で語られるべきものかな、と思います。  ただ、あの映画は根本的に「瀧と三葉のお話」という、いわゆる<セカイ系>で、災害の悲劇を未然に防ぐ、というのは、あくまで三葉を守る上での副次的な要素というか。もちろん、滝が「最悪、三葉以外は死んでもいい」とか思っていたとは思いませんが。    それと、災害がなくなったとはいっても、  糸守の人たちは家を失って、あの村の様子だとたぶん保険とかも入ってないし銀行もなかったんじゃないかって考えると、あの彗星災害の後の暮らしはたぶん相当苦しいものになったのでしょう。  テッシーなんて一生あの村で生きていくつもりだったのが、東京で結婚式挙げようとしてるっぽいし。    そういう負の部分をすっ飛ばしているのは、決して震災を美化しているからではなくて、やっぱり「瀧と三葉の物語だから」なのだと思いました。 --------------------  ところで、展開が不自然すぎ、みたいな突っ込みはだいたい一理あるなあと思うのですが、  「瀧と三葉がお互いを好きになった理由がよくわからなかった」という感想だけは「おいおい、マジかよ……」という驚きしかなくて目からウロコでした。  いやいや、ちょっと待て。  だって、あんな可愛い同年代の子が、あんな可愛い日記を書いてくれていて、しかも村のルールと人間関係で悩んでいて東京に憧れているっていう弱いところまで知ってしまって、不可抗力的に「頼る」「頼られる」という関係性を相互に持っちゃって、  そんなの好きにならない方がおかしいって、絶対。  うまく説明できないけど、今まで付き合ったこともなくて恋に飢えてる中高生なんか特に、運命を感じちゃったらその時点で好きになるものではないかと。  まあ他の人は知らないけど少なくとも私は瀧くんの立場なら確実に堕ちてる。そこはストーリーに何の違和感もないと思いました。    ちなみに小説版、Kindleだと今は半額セール中なんですよ。速攻で買いました。  あとAnother Sideも買いました。   ...

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映画・音楽・小説の感想 7年前

『リリカルスクールとの未知との遭遇』の、指摘の野暮と私的な感想

最後に観たのが1か月前くらいなので、相当に書くタイミングを逃してしまったし、もう東京で上映してすらないので何を今さらという感じしかないのですが、  それでも書き留めておきたいリリスク映画のお話。    正直リリスク知らない人に向けて何か書いたところで読んでもらえるともあんまり思っていないのですが、  lyrical schoolとは……6人組ヒップホップアイドルユニット、通称リリスク。最近メジャーデビューしました。かわいい。  本題の前にちょっと寄り道しますが、今週発売された最新シングル『サマーファンデーション』、これは、いいぞ  ティザー映像。フルMVも近日公開されるようです。  私がリリスクにハマったきっかけである『ワンダーグラウンド』と同じLITTLEさん作詞で、2番目に好きな『brand new day』と同じ作詞LITTLE・作曲AxSxEという、期待しかできない制作陣だったので、発表時からずっと楽しみにしていたのですが、しっかり期待を超えてきてくれました。  夏祭りをテーマにした繊細な乙女心、高校生くらいの甘酸っぱい恋愛の感じが見事に描かれています。こういう歌詞好きです。  リーダーayakaさんのソロパートがクライマックスまで一度もない、というパート構成も凄い。最後はしっかりリーダーがキメる!みたいな感じ。  ラップパート、それぞれの魅力が出ていて良いのですが、やはりhimeパートが、ラップスキルの高さと現役高校生ならではの説得力があって良いです。1番の「突然お祭りの誘いってマジか」の「マジかー↑」の言い方が最高です。  リリスクは楽曲から入ったので誰々が好きみたいなものはあんまりないのですが強いて言えばhimeさんが好きで、himeさんの写真が載っているという理由だけでZipper買いました。  写真1枚しか掲載されてなくてさすがにキレそうだったけど、WEGOの10%オフクーポンがついていたからギリギリ納得できた。せめて写真2~3枚はあると思ってたよ……。    CDのバージョンについて、限定盤AはライブDVDなので気になる方が買うとして、私が購入したのは初回限定盤Bです。  と、いうか、通常盤を5月頭のリリースイベントで予約したものの、予約券を紛失したため、今週のリリースイベントで限定盤Bを買い直しました。もし予約券が後から見つかった時のために一応バージョン違いにしておこうと。  ……決してリリイベの特典目当てに複数買いしたわけではない、いいね?  で、初回限定盤Bに収録されているのは前回シングルのアレンジだけなので、興味がなければ通常盤でもいいのかなー、と思います。いや、リリスクファンとして、そしてアフィリエイターとしてそれでいいのかって感じはありますが。  限定盤BのRemixは簡単に言うと「MOTHERシリーズっぽいアレンジ」です。なぜかRUN and RUNがめっちゃホラーになってました。AmazonとかiTunesで試聴・配信してるので、それを聴いて惹かれたら買うといいのではないでしょうか。 ——————–  そんなリリスクの主演映画が『リリカルスクールの未知との遭遇』だったわけですが、さて。  そもそも、そこまで知名度のないリリカルスクールというアイドルの主演映画、そして1館上映、さらに上映終了後に毎晩メンバーのトークイベント開催……というところからして、  まあ、雰囲気としては妖怪メダル付きスナック菓子みたいな、そういう類の匂いが上映前から漂ってるわけでして、  そして実際に観てみた感想なのですが、THE・低予算映画って感じでした。  別にこれは悪口とかじゃなくて、自主制作感出ててあれはあれで良かったと思うんですけど、  そもそも、なぜ低予算なのに特殊エフェクトを必要とするSFを題材に選んだのか……?という謎があって、  たとえば、映画の冒頭、メンバーのayakaが膝をすりむいてしまったところを、宇宙人が不思議パワーで治してくれるシーンがあるのですが、  ケガを治す前後で、パッと膝の位置が微妙にずれる。いや、そこはわざわざ撮り直さなくてもフォトショで修正すれば良かったんじゃ……?  他にも、brand new dayに合わせてメンバーが街に出ていくシーンのあからさまなBB合成映像感とか……まあ、別にリアリティ重視の映画でもないので、味があったのも事実なのですが。 ——————–  それはそれとして、脚本に関していうと、「もう少しどうにかならなかったの」みたいな突っ込みどころが結構あって、  例えば、せっかく側近であるマネージャーを洗脳したのに、最初にやったことが顔丸出しで強盗という、マネージャーである必要が一切ないパワープレイだった。せめて誘拐くらいは実力行使じゃなくても良かったのでは……?  他にも、終盤にリリスクを襲う忍者2人の関係性とか、ベムさん(宇宙人)が元の宇宙に帰るラストシーンでの「LINEするわー」っていうセリフとか、事前に前フリが数秒でも差し込まれてたら全然違ったと思うんで���よ。(ベムさんにメンバーがスマホの使い方を教えるシーンとか)  全体的に、居酒屋で飲みながら思いついたネタを盛り込んでみました的な脈絡のなさがあったのですが、  パンフレットを買ったら本当に居酒屋で話し合いながら脚本考えてて納得しました。    まあ、ただ、ここまで伏線・前フリにこだわって観てしまったのはその数日前にズートピアを観に行ったからで、あんな伏線中毒映画の後に観たらどんな映画も物足りなくなってしまうとは思うのですが、  しかし、例えばマネージャーが実はメンズブラしてたところとかはしっかり前フリがあって笑えたので、ああいう時間差のネタがもっとたくさんあれば深みがあってよかったのになーと。 ——————–  それ以外の小ネタでいうと、途中、何でもない日常トークなのに明らかにhimeだけ不在のシーンがあって、これはhimeが敵サイドに捕まって洗脳されてスパイになってる的な伏線なのか……!? とドキドキしながら観てたのですが、  何もなかったのでおそらく撮影日が期末試験だったんだと思います。仕方ない。 ——————–  で、まあぶっちゃけここまでの話は些末なことなんですけど、ここから本題。  この映画の「テーマ」とは何だったのか? ということを考えてみたところ、    1.リーダー・ayakaの「何のためにアイドルをやっているのか?」という悩み  2.リリスクの「売れることが一番の目標なのか?」という問い  3.マネージャーの「ゆとり世代への先入観とリリスクへの横柄な態度」問題  これらが、ストーリーの序盤において、軸として提示されていたように見えました。  ところが、映画はこのどれにも答えを出さないまま映画は終了します。  マネージャーに関しては、洗脳されて悪事を働いていたところをやっつけられて終わりで、例えば、意識を取り戻した後にリリスクのことを見直す……みたいなよくある後日談はありませんでした。  また、最後のライブシーンについても、普通の映画であれば、ライブ後に「私たちはxxのためにアイドルやってるんだ!」みたいな一応の解が出てくるものだと思うし、アイマスもラブライブもそんな感じなのですが、  ライブが終わってそのままエンディングです。後日談なしです。    普通の映画の文法に従えば、なかなかあり得ないストーリー構成になっていて、最初に観た時はそのギャップに強い違和感を覚えたのですが、  個人的に咀嚼した結果、1つ考えたこととして、  「実在の人物を描いた本人出演映画である以上、未来のことには触れられない」という縛りがあるのではないかと。  つまり、『ayakaは○○のためにアイドルを続ける!』とか、『リリスクはアイドルとして○○を目指す!』とか、それを映画の中で言わせるのは確かにちょっと厳しいだろうなあと。  さらに言えば、そこについては現実世界のリリスクに任せる、というか、  実際にリリスクがアイドルとしてどういう姿を目指しているのかは、現実のリリスクがきっと答えを見せてくれるのだろう、ということなんじゃないかなあ、と……。    ……とはいえ、マネージャーとの軋轢については最後に触れても良さそうなものですが、  やはりそこは、映画として見せたいものがストーリーではなくライブシーンにある……、という姿勢なのではないかと。ライブ後・エンディング後にエピソードを追加すると、その話がメインに見えてしまうので。 ——————–  私は今まで、アイドル映画を他に観たことがないし、そもそも今年春にリリスクを知るまで、アイドルに関心を持ったこと自体がほとんどなく、強いて言えばアイマスやってたくらいで、  なので、この『リリスクの未知との遭遇』が、アイドル映画のフォーマットとしてどの程度一般的で、どの程度外れているのか、というのはわかりません。  しかし、少なくとも、普通の映画と同じ観方をすると絶対に楽しめない作品であることは間違いなく、  私がこの記事でやったような、突っ込みを入れまくったり、テーマ性を考察したりというのも、普通の映画の観方の延長にあるものです。    では、この映画の1つの理想的な楽しみ方は何なのか、というのを、2回目観た時に何となくつかんだのですが、  ちょっと固い言い方をすれば、  『現実のリリスク』『劇中のキャラクターとしてのリリスク』の間に、『演技をするリリスク/映画を作るリリスクチーム』の存在を感じることで、ある種のメイキング映像的な楽しみ方ができる、ということ。  そもそも、アイドル(偶像)というのが一種の空想世界で、『プライベートのアイドル』と『ステージに立つアイドル』はもちろん多かれ少なかれ差があるはずだし、  それを含めた『現実のアイドル』と、この映画のような『アイドル本人が演じるアイドル(役柄)』も当然違いがある、というのはメンバーも監督も認識していて、  さらに、監督のイメージした『脚本上のアイドル』と、それを本人が演じることでアウトプットされた『劇中のアイドル』にも違いがある。  そのあたりの揺らぎみたいなものを楽しめるのが一番の魅力で、だから、映画としての完成度とか、ストーリー構成の緻密さとか、そんなものはなくても全く問題ないのだなーと。    正直、初めてあの映画を観た時は戸惑ってしまって、果たしてこれは映画としてどうなのだろう……と思ってしまったのですが、  2回目、既にストーリーを知っている状態で肩の力を抜いて観ると、メンバーの可愛さとか魅力が随所に出ていることに気づいたんですよね。  ああ、これは、『演技が下手だから役者としてダメ』みたいな話をするのは的外れで、『初めてなりに演技をするメンバーの頑張り』を観るものなのだなぁと。そういう目線で観れば確かに面白い。面白いっていうか可愛い。可愛い! めっちゃ可愛い!  気づけば3回目観に行きたくなっている自分がいたのですが、予定が合わず結局2回しか行けませんでした。再上映……あるのかなあ……?  ...

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