メディア・カルチャー 1か月前

森本あんり『不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学』──良心に反しないためのグレーゾーンの必要性

先日、『不寛容論 - アメリカが生んだ「共存」の哲学 -』という本を読みました。 [amazon_link asins='B08QMYGW4D' template='Original']  作家の朝井リョウさんが「心が救われた本」として紹介していたことをきっかけに購入したのですが、この本があまりにも良かった、というか、自分がここ数年悩んでいたことや考えていたことに対しての明確な答え……とまでは行かないにしても、大きな示唆を与えてくれるものであったため、覚え書きも兼ねてちゃんと記事にしようと思いました。  なので、「この本を読んだ私が、その内容をどう解釈し、どのように自分の生き方に適用しようとしているか」という部分が主題であり、本の内容だけでなく、そこから派生して飛躍した私自身の感想が多分に含まれています。  本の内容がこの記事に書かれているテーマと一致しているという意味では全くなく、かなり個人的な意見・解釈が入っていると思うので、  くれぐれも著者の主張を正しく理解したい方は必ず元の本を読んでください。というか本当に良い本なのでぜひ読んでください。  (別にネタバレとかそういうジャンルではないので後で読んでも良いと思いますが、私の変な解釈を前提に読んでほしくない気持ちもあるので) --------------------

「わたしはあなたの意見に反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」――こんなユートピア的な寛容社会は本当に実現可能なのか。不寛容がまかり通る植民地時代のアメリカで、異なる価値観を持つ人びとが暮らす多様性社会を築いた偏屈なピューリタンの苦闘から、その「キレイごとぬきの政治倫理」を読み解く。
 この本は、良くも悪くも最近のトレンドワードとなっている、「寛容」「多様性」という言葉を巡る歴史について、植民地時代のアメリカで活躍したロジャー・ウィリアムズという人物と、彼の宗教観・他宗教との関わりを通して問い直すものとなっています。  ここで、「多様性という言葉には関心があるが宗教には興味がない」と思う方もいるかもしれませんが、現代の社会、特にアメリカという国について理解する上で宗教は不可分のものであるということは、この本を読むとしっくりくるはずです。  ただし、逆にそれについて説明するとこの本の大部分を引っ張ってくる必要があるので、なぜ宗教の理解が寛容について考える助けになるかについて、ここで一から説明することはしません。  宗教という視点を通して書かれているだけで、内容はそれ以外のあらゆる価値観や思想に置き換えて受け取ることもできる普遍的な教訓であると感じたので、この記事では現代の社会の話を中心に書いていきます。 --------------------

現代的寛容のパラドックス

 そもそも、「今の社会が寛容である」と思っている人は、あまり多くないと思います。それは今回のオリンピックを巡る様々な問題にも象徴されますが、  本来であれば多様性を尊重する方向に進み、民族差別も性差別も昔より明らかに減ってきているはずなのに、どうしてそうなってしまうのか。  この『不寛容論』の中で何度か登場するキーワードでもある、「寛容のパラドックス」は、それを考える1つの手がかりになります。  冒頭で引用される有名なフレーズにもある通り、「寛容な社会/人間は、不寛容なものに対して寛容であるべきか」という問いは代表的なパラドックスの1つですが、実はそれがすべてではなく、  「自分たちに危害を加えるわけではないが不快であるものに対して寛容であるべきか」という問いもあります。  直感的には、前者(寛容な社会を危険に晒す、他者の自由を奪うもの)は否定されるべきで、後者については肯定されるべき、とすれば収まりが良いように見えますが、実態はそこまで明快に分けられるものではありません。  今の社会が理想として目指しているのは「肯定的寛容」と呼ばれる現代的な寛容で、つまり「相手のことを理解し、敬意を持って尊重しよう」という態度です。  その理念に異を唱える人はいないと思います。全ての人間が、相手のことを自分と同等の存在だとして尊重することができれば間違いなく社会は良くなるはずです。  でも、現実世界でそれを実践しようとした時に、例えば私たちはチベットや香港に迫害を続ける中国や、まさに現在進行形の問題であるタリバンなどのことを、理解し、敬意を持って、尊重することができるのか。  人権や倫理というものが明確に善悪を分けられるわけではないし、それを相手に押し付けようとする時点で相手のことを尊重しているとは言い難い。かといって、「被害者がいるわけではないから個々の自由として容認しても良い」と言えるような状況でないのも事実です。国や民族としての自己決定権と、そこに属する全員が同意しているかどうかはどのように区別すれば良いのか。  もう少し身近な範囲で考えてみた時に、例えばヘイトスピーチの規制に対して異を唱える人はあまりいないと思います。もちろん適用範囲についての検討や恣意的な運用を避ける必要はありますが、ヘイトスピーチそれ自体は他者の権利を明確に侵害しているからです。  では、河村市長や森元首相の行った女性蔑視的な言動についてはどうか。  河村市長のあの行為自体は、端的に言って「訴えられなかっただけのセクハラ」なので、本来で言えば罰せられるべきだし、それが許されてしまうことで今後の社会への影響があるとも言えます。  ただ、「訴えられなかっただけのセクハラ」が日常的に行われている会社なんて山ほどあるだろうし、セクハラといっても程度によって様々です。全く同じ発言であっても、TPO、または相手との関係性によって許される場合もあるし、人によっては許されないと思う人もいるでしょう。  DaiGoについてはどうでしょう。生活保護受給者の生命を軽んじる発言を行い非難されましたが、あそこまで過激でなかっただけでいわゆる優生思想的な発言を行った芸能人は他にもいます。例えば、松本人志は2年前に犯罪者のことを「生まれついての不良品」と表現しています。  古市憲寿が今回の件と死刑制度の是非を関連付けたことで批判されたというニュースもありましたが、実際、根底のところで共通する問題としてはあって、つまり、DaiGoの発言や思想が罪であり悪であるとするのであれば、死刑制度を肯定している全員が罪でも悪でもないという論理はどこから導くことができるのか。  現代的寛容、他者を尊重するというのは、このような簡単に割り切れない問題を複数抱えています。  まず自分がこの本を読んで最初に気づかされたのは、この「現代的寛容とは実践の難しいものである」ということそのものです。  多様性の尊重というのは言葉としては単純明快であるが故に、それをわかった上で実践できていないのは単に精神的に未熟、または努力が足りていないと、それを追い求める人ほど思ってしまいがちな面があると思います。少なくとも私はそうでした。  自分に対して危害を加えるものに対して寛容に接しようと思ってもなかなかできないし、危害を加えられなかったとしてもどうしても理解できないものはあるし、そういったものに反射的・生理的・本能的に不愉快さを感じてしまう。自分がそうなってしまうのは、自分の心が狭くて意志が弱いからであって、本当に多様性の尊重を実践している人はこのような困難にぶつかることはないのだと。  しかし実際には、そもそもの思想自体がパラドックスを孕んでいて、この本でフィーチャーされているロジャー・ウィリアムズがそうであったように、どんなに意志の強い優れた人であってもそれを追求する段階で必ず、そう簡単に割り切れない難題に直面するわけです。

寛容は嫌いなものに対してのみ可能である

 そもそも、「寛容」という言葉自体が、自分が嫌いなものや悪しきものに対してしか成立しない、ということを筆者は指摘しています。
ここには、研究者たちが「寛容のパラドックス」と呼ぶものの一つが潜んでいる。寛容であるためには、相手を嫌いでなければならない。なぜなら、寛容とは嫌いなものや悪しきものに対してのみ可能だからである。誰も、「自分はアイスクリームに寛容である」とか「お年玉をもらうのに寛容である」などと言って威張る人はいないだろう。(No.853-857)
 正直に言って、私はこの文章を見た時、頭をガツンと殴られるくらいの大きな衝撃、価値観の揺さぶりを受けました。考えてみれば当たり前のことなのですが、考えたこともなかったなと。  つまり、本当に「他者のことを理解して受け入れる」ということがあらゆる他者に対して徹底できている人間しかいない社会では、「寛容」というものは存在しないはずです。  他者に対して間違っている、悪であるという気持ちがある時点で、そもそも他者のことを尊重できていないのだから、この世界には正しいもの、善いものしかないので、「寛容に接しなければ」なんて考える必要もない。  逆に、間違っていて悪であると見なせる相手がいるとすれば、それは例えば殺人犯のように明らかに他者の権利を侵害している存在であるので、寛容に接する必要がない。  そして、多様性を追っているはずの今の社会が明らかに寛容さを失っているように見えるのも、これで説明が付きます。  リベラルは、多様性を尊重しようとしているので、「悪ではない」と考える範囲はおそらく保守より広いが、一方で「悪であるが罰しなくて良い」という領域については何も触れていないし、正しくないものを許容しようとは考えていない。  それは「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」という言葉にも象徴されています。  だから結果として、ヘイトスピーチから女性蔑視まで、その全てに対して目を光らせ、問題があれば全て正そうとし、結果的に、リベラルが発信力や影響力を強めるほど、社会が息苦しくなっていくような感覚を与えてしまっている。
 政治の世界では、こうした感情的動員への反動が「リベラル疲れ」となって表現されている。ルイジアナ州に住むティーパーティ支持者の一人は、事実ではなく意見ばかり押しつけてくるCNNテレビにうんざりする、とこぼしている。客観的なニュース報道を見ようとしてチャンネルを合わせるのに、アフリカの病気の子どもを映し出しては、視聴者の同情に訴えかけ、「この子をかわいそうだと思わないなら、あんたは人でなしだ」と言わんばかりだからである。(No.3752-3758)
 これはアメリカでの事象ですが、日本でもマスメディアに対してこのような不満を持っている層は少なくないでしょうし、そういう人たちが反動としてYouTuberの過激な配信に流れていくのも反動の1つと言えます。

中世的寛容とは何か

 そのようなジレンマを抱えている現代的な寛容論に対して、『不寛容論』が大部分を割いて取り上げているのは「中世的寛容」です。  宗教と政治が現代のように分離されておらず、当たり前のように国教として紐づいていた時代に、異教徒や、「教義を厳密に適用すると悪とされてしまうが社会的になくすことのできないもの」を取り込む手段として用いられていたのが、元々の「寛容」という概念でした。  現代的な寛容との違いの中で大きなものは次の2点です。
 ここからして、中世の人びとがもっていた寛容理解の二つの特徴が明らかになる。 第一に、寛容とはあくまでも悪に対する態度のことである。(中略)寛容の対象になるものは、悪であり続け、その悪が是認されたり割り引かれたりすることはない。ただ罰せられずにいるだけである。(中略) 第二に、寛容とは「より大きな悪」を防ぐための便法である。(中略)複数の取り得る道をあれこれと比べてみた上で、いちばん害の少ない道を選ぶのである。(No.804-818)
 この本で大きくクローズアップされるロジャー・ウィリアムズもそうですが、中世の人々の根底には強固な宗教観があり、それが正しいこと自体には疑いを持っていないので、神の教えに(異教徒も含めて)全員が従うのが自然だと考えています。とはいえ、異教徒全員を殺したり社会から排除したりすることはできないし、改宗を強制することも基本的にはできない。  だからこそ、それを「罪ではあるが罰しない」ための論理として「寛容」という概念があり、それは「罰する方がより大きな悪になるから」避けるというものです。この場合、寛容に接するかどうかの基準は「寛容に扱うことでより大きな悪を避けられるかどうか」になります。  この考え方の是非は置いておいて、「寛容」の本来の意味はこのような、利己的で計算高いものでした。  このような中世的寛容がそのまま現代に通用するかと言えばそんなことはなく、特に、国や政府、社会全体としてこのような考え方を持つというのは、「自分たちの利益に適う場合のみ存在しても良い」というような、強権的な支配になってしまうでしょう。  裏を返せば、今の自民党はリベラルよりよほど「寛容」であるとは言えるかもしれません。主義主張としては完全に右派だし、差別的な発言もたびたび飛び出していますが、一方で明確な不正と言えば自分の身内を厚遇したり私腹を肥やしたりする程度で、権利を制限するような行為や迫害をしているかと言えば別にそこまででもない。今より良くしようという方向もあまり見えませんが、今以上に差別を強化した例もあまりない。  ……今の日本が中世ヨーロッパと同じ政治状況だと考えるとそれはそれですごくやるせない気持ちにはなりますが、まあ、そんなに外れていないような気もしますが、  ともかく、国や社会レベルの行動規範としてどうしていくべきかということについてはそう簡単に答えが出るはずもないし、正直、私がここで何か言ったところで大した意味もないので、一旦棚上げして、  この記事の主題である、個人レベルの行動規範の話に移ります。

中世的寛容と現代的寛容のマージ

 冒頭で引用したあらすじでは、中世的寛容について「キレイごとぬきの政治倫理」という言葉が使われていますが、  おそらく、「多様性」という理想に対する反論として最もよく使われるのがこの「キレイごと」という言葉ではないでしょうか。  「他者に対して寛容である」「多様性を認める」という趣旨の言葉を聞いたことがないという方はいないと思いますが、実際のところ、その言葉が空虚で胡散臭いもの、特定の誰かに利するものに聞こえることが多いと思いますし、  そして、私がここ数年何となく考えていた、「多様性を認めることは本当に正しいのか」「他者の考え方を全て受け入れることはできるのか」という悩みも、一方でそれと同じ発想の延長線上にあるものだと思います。 、  個人レベルの行動規範として考えても、寛容であろうとする、多様性を尊重しようとする、というアクションはあまりにも困難が多く、そう簡単に割り切れない問題がたくさん立ちはだかっている。  「全ての他者を理解して尊重する」という現代的寛容は、「どうしても理解できなかったものに対してどう接するか」「自分に危害を加える相手も尊重すべきか」ということについて何も教えてくれません。  その帰結として、現代的寛容の側に立とうとする人々は、結果的に自分と違う考えの相手に対する不寛容を強めていくようになってしまっているようにも見えます。  多様性を愚直に追求しようとすると、この世界には毎日数えきれないほどの不正や悪や不愉快、多様性を否定するものが蔓延しています。その全てに対して異を唱え続け、  自分自身も含めて、それを100%常に実践し続けられるわけではない社会に生きているのも事実で、それを常に「これは正しい、これは正しくない」と綺麗に分けられるのか。  このような終わりのない問いを避けるために、中世的寛容をそのまま適用して、「自分の思想と異なる他者は間違ってはいるが、自分に害を為すわけではないので存在しても良い」という態度で生きるのは、もちろんあり得ないでしょう。あまりにも失礼だし、現代で受け入れられる価値観ではない。  私自身としても、現代的寛容、他者の尊重が重要だという考えは変わっていないし、それを諦めるつもりもありません。  ただ、うまく両者をマージすることはできるのではないかと思います。  つまり、「基本的には他者を尊重するし理解しようと努める」が、「自分の価値観と照らし合わせてどうしても認められない悪であっても、それを完全に否定することでより大きな悪が生まれるのであれば、そのままにしておいても良い」ということです。

グレーゾーンとしての寛容の実践

自分が不寛容な人間だとは認めたくないものである。すると、残る選択肢は「相手に非があるからしかたがない」という正当化である。昨今の社会問題では、何かと窮屈な正義をふりかざす人が目立つようになったが、それは結局のところ、自分が不寛容だという事実に目をつぶりたいからなのかもしれない。普段なら、本来なら、自分はもっと心の寛い大らかな人間なのだが、相手があまりにひどいから、やむなく社会正義のために批判するのだ、という自己解釈である。(No.3725-3729)
 今までは、例えば多様性を否定する何かを見た時に取れる手段が、「その考え方を理解して肯定する」か「考え方を理解できないものとして否定する」かという、白か黒の2パターンしかなかったのですが、  そこに、「理解できないが容認する」というグレーゾーンを選択肢に加えるということになります。  例えば、DaiGoの発言自体は、悪であり、誤りで、許されるものではない。ただ、DaiGoが今すぐ全ての仕事を失って社会から排除すべきかというと、それは、社会として「より大きな不寛容」を生み出すことになると思います。  だから寛容に認める。ただ、そうしたからといって、その発言自体を正しいと思っているわけではない。明らかに悪で、誤っている。誤りだと主張し続けることと、でも存在していいと許容し続けることは、矛盾していない。  逆に、自分の中で以前から許していたもの、例えば「このご時世にパーティーをする人」、「夜中に街で大騒ぎしている酔っ払い」あたりも、厳格に自分の中の論理で言えばあり得ないし、自分に対する害が全くないわけでもない。  「浮気・不倫をする芸能人」なんかは、私自身への害はなかったとしても、被害者もいるので、「正しい」とは到底言えない。  ただ、それを厳密に責めることは社会の、そして自分自身の息苦しさに繋がると思っているし、当事者間での問題であって社会的制裁が必要なほどの悪ではないので、容認する。有村昆もアンジャッシュ渡部も東出昌大もさらば東ブクロも鈴木達央も、正しくはないけど、活動を続けていてもいい。  害という側面だけ言えば、例えば「何となく喋り方や態度が不快な同僚」とかも、嫌ではあるけれど、あえて争いを起こすほどの問題が起きているわけではないので、それはそれとして付き合う。嫌いだという気持ちそのものを消そうというところまでは行かない。  ……こうして考えると、私自身は意外とこの本を読む前から寛容を実践できていたような気もしますが、  ここ数年、こういう本来許されるべきではない社会悪を許している自分はその悪に加担しているのでは、という罪悪感がずっとあったので、それだけではないという論理的な土台を持つことは自分の生きづらさを軽減してくれるように思います。  もちろん、この考えが全てを解決してくれるわけではありません。結局どこかで黒とグレーゾーンの線引きはしなくてはならないからです。芸能人が女性問題で謹慎する必要はないと思っているけれど、だいぶ昔の事件ですけどTOKIO山口達也はちょっと同列視しにくいな、とか。でも一生表舞台に出るべきでないとまでは言えない気もする。DVとかパワハラはどうだろう。  あらゆる差別に関して「自分には関係ないから」という理由で関与しないというのはそれこそ差別への加担になってしまう。全てに対して声をあげることを止めてしまったらやっぱり社会は変わっていかない。  「自分の害にならないから悪を許容する」というだけだとあまりに都合の良い身勝手な論理になってしまうので、そうではなく、「より大きな悪を避けるために許容する」というポリシーが必要だけど、きっと現実世界にあるのはちょうどその中間に属するものばかりでしょう。この部分はずっと考え続けていかなくてはいけないテーマだと思います。  ただ、少なくとも善悪に二分するしかないと考えるよりは、柔軟に物事を捉えやすくなるのは確かだと思います。  そして、そういう割り切った寛容さを持った人が増えてくることで、今のこの息苦しさに包まれた社会が多少は生きやすくなるのではないか、と思うし、特にリベラルとされている集団の中に増えれば、もう少し社会における多様性の受容もされやすくなるのだろうなと。そういう意味で、これは間違いなく今もっとたくさんの人に読まれるべき本だと思いました。  少なくとも自分自身では、これからの行動規範として、自分の周りの人や社会との関わりではそのような実践を目指そうと考えています。そういった新たな視座を与えてくれたこの本に出会えてよかったです。 --------------------  余談ですが、この記事を書きながら面白いなと思ったのは、この記事を通して考えていることって、全て現実的なアクションの話ではなくて、「自分のこの心のモヤモヤの落としどころをどこに置くか」という話でしかなかったりします。  例えば、今までは「松本人志は悪だから罰を受けるべき」だと思っていたのが、「松本人志は悪だが罰を受けるほどではない」という風に考えが変わったとして、別に現実的には何も変わらないわけです。罰する権利も権力もないので。許さないと決めたとしても、別にそれで署名集めたりタウンワークにクレーム入れたりはしませんし。  つまりこれは自分がそういう「許せないが現状維持にしておくしかないもの」を見た時に、どう考えれば自分の価値観に背いたことにならずにいられるか、という、悪く言えば後づけの論理です。  そして、この『不寛容論』の中でも、「寛容」というのはそういった後づけの論理だということが示されています。   ...

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メディア・カルチャー 2年前

『TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020』#3-4 感想

前回の2話で書きたいことを書いた反動ですっかり更新が空いてしまいました。  正直3~4話の2話を合わせても特に書くことはないのですが……さすがに3話まとめてしまうとどうしようもないし、キリよく1週空いたのでさくっと書きます。

急加速する恋愛関係

 「特に書くことはない」とは言ったものの、この記事で書くことと違うから触れていないだけで、  テラスハウスとしては最高の展開の連続だし、あと私自身も普通に楽しんでますよ。  話がつまんないだけで一気に興味を失ったり、ほんと恋愛って大変だなあと思います。別に実践する機会がないので学んでも仕方ないんですけど反面教師にすることはたくさんありますね。  そして4話ラストのあの流れはちょっと良すぎる。現実と非現実の境目というか、ドラマでやったら不自然すぎるし、現実でやる人もいないし、まさにリアリティショーだからこその展開だなあと。あれを「やってんな」と思う人は人生を損してますよね。

株を下げ続ける翔平

 前回の記事で「翔平の言っていることにも一理あるので全否定したくないけど、単なる言い訳かもしれない」ということを書いてきました。  さすがに2話で集中砲火を浴び過ぎた反動か、料理が上手かったり香織の相談に乗ったりと良い面もたくさん見えてきましたが、  以前からの知り合いであるバイト先の人に「お前 貧乏なだけで器用じゃねえけどな」という一撃を叩き込まれたらさすがに元々こういう人だったんだってなってしまう……。  とはいえさすがにあれも可哀想ですけどね。あのバイト先の先輩が何を知ってるのかとも思いますし。もうほんとどうにか結果出してから卒業してほしい。

副音声組について

 副音声メンバーは前シーズンから変わってないので何か新しいことがあったわけではないんですけど、今シーズンのトリンドルのコメントちょっとしんどくないですか……?  軽井沢編後半では山里と並ぶ毒舌を発揮してたので、ガンガン前に出てきてても面白かったですけど、前に出てきて喋ることが流佳の擁護一辺倒だとさすがに……。  一方、前シーズン序盤に恐ろしく叩かれてた葉山奨之さんは、山ちゃんの子分ポジションでしっかり収まってて良い感じです。今後唯一の童貞サイドになる可能性があるので頑張ってほしい。  そして山里さん……テラスハウスの記事で書くことでもないのですが。  「たまたま蒼井優にモテただけでこれまでモテなかったのは事実」「妬み僻みといった闇がこれで消えるわけじゃない」っていうのはその通りだと思いますし、これによって今後のテラスハウスの火力が落ちることもないと思うんですけど、  とはいえ、春日の婚約や不倫に一喜一憂してたツイートとか、流佳の童貞詐欺を責める流れとか、この直近2ヶ月ずっと隠し事をしてたのも事実なんで、その点での説得力が失われるよなあとは思いますよね。  そのことについて弄られること自体は楽しみですけど。  本心を言わないことが悪いんじゃなくて、「本心を言ってますキャラだったのに本心を言ってなかった」わけで、  それこそ若林が、ラジオで「人見知りが治ってきた」「ハロウィンやカップルやインスタに怒れなくなった」と心境の変化を誠実に伝えていたからこそ南沢との熱愛が歓迎されたという経緯と比較するとやっぱり、  だったら、少なくともこの直近2ヶ月に関してはもう少しいろんなものに対して寛容な態度でいなきゃいけなかったんじゃないのかなと思ったりしました。  で、熱愛をすっ飛ばして結婚に行ったのも、そこまで行けば確実に祝福ムードになってそのあたりのいろいろなモヤモヤを押し流すことができるという計算ずくのような気もして、うーん……といったところ。  これが交際発覚だったらもっと賛否両論だっただろうに、結婚だともう怒れないというか怒る方が無粋みたいになるの何なんでしょうね。とはいえ能町みね子さんとかあそこまで露骨に言っちゃうのも実際無粋だと思いますけれど……。  ただそういったことも含めてテラスハウスで新しいやり取りが見られるのは楽しみです。  話題が出るのは最速でも3週間後の配信だと思いますが……、来週はあの告白の続きが見られるというドキドキの展開。オープニングから楽しみです。 ...

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メディア・カルチャー 2年前

多様性を自己肯定に使えない矛盾 ── 『テラスハウス TOKYO 2019-2020』#2 感想

#1感想

まえがき

 最近の日本で、「社会の多様性」「個性の尊重」といった言葉で以て、勝者・多数派の論理を少数派に押し付けることを戒める言説をしばし目にします。  例えば、「学校が嫌で自殺するくらいなら学校なんて行かなくてもいい」「会社で鬱になるくらいならどんどん会社を辞めた方がいい」みたいな逃避の肯定、  「女性は社会でまだまだ冷遇されているから保障を増やそう」「LGBTにも夫婦と同じ権利を主張すべき」などの権利主張、  「生きがいなんて別になくても生きていける」「頑張りすぎなくてもいい」「毎日全力で生きなくても、時々は休憩してもいい」といった凡人の肯定。  もちろん私はそれらは基本的にすべて正しいと思っています、学校や会社なんか軽率に辞めていいと思うし、女性もセクシュアルマイノリティもそれ以外のあらゆる今の社会で差別されている人たちについては早く是正されればいいに決まっているし、  自分がたまたま強者であることに寄りかかって弱者のそれを甘えだと切り捨てる、本田圭佑や坂上忍や松本人志みたいな人間の言葉が正論だとされている風潮は本当にクソだと思っているし、  だから、生きがいがないからといって気に病む必要なんて全くないんですけど、  ただ、それを自己の肯定に使えるかって言ったら使えないよなあ、と思うこともしばしあります。  生きがいなんてなくてもいいから毎日ダラダラ生きていてもいいと思うし、そうしている人を責める気はないけれど、私自身が毎日ダラダラ生きていていいとは全く思えないんですよね。  でもそれって、「辛かったら逃げてもいいんだよ(私は辛くても逃げないけど)」という意味になってしまって、  それは結局、いくら口では綺麗事を言っていても本心ではそうやって逃げた人のことを見下しているのだと思うし、  そういう本心を完全に隠すことはできないので、見下されている側の人も「自分は逃げていてもいいんだ」とは到底思えないだろうなと。
目に見える形での個人間の対立が奪われていき、自分で自分の意義や価値と向き合い続けた結果、謙虚とも違う、自己否定が積もっていってしまう。その先には、自分なんてこの世界に存在していたって意味がない、と思い込んでしまう『自滅』が待っていると思うんです。 (中略) 私はこの作品を書く前、『プロットができていないのだから会議で発言してはいけない』と確かに思っていたし、それまでも『原稿のノルマを達成できなかったから、今日はあったかい布団で寝ちゃいけない』とよく考えていました。自分で自分の存在意義や価値を定義しようとなったとき、最も簡単なのは自分の『生産性』を数値化することですよね。何人の子どもを育てているとか、これだけの額を納税しているとか」 「家族もいない、仕事もない、友人も恋人も何もない、自分の存在をどうしても実感できない――そう思い悩んでいたとき、『多様性の社会だからそれでいいんだよ』なんて言葉を投げかけられたら、私はその人のことを傷つけてしまうかもしれない。多様性なんてどうでもいいから数値化できる生産性をくれよ、と、思わない自信がない」 朝井リョウさん「素晴らしき“多様性”時代の影にある地獄」|平成 -次代への道標|NHK NEWS WEB
 『死にがいを求めて生きているの』発売後の朝井リョウさんのインタビューにもこんな言葉がありましたが、他人を責めてはいけないと思う一方で、他人を責めないようにしている人たちの存在によって本人は傷ついてしまうし、ということは「責められない」ことはそれだけでは救いにならない。自滅を助長するものでしかない……。  というこの問題にはもう1つ、表裏一体の問題があって、それは  「多様性や個性を自己肯定の材料として自分から言ってくるヤツは大抵ただの言い訳」ということです。  これも凄く厄介で、それを言い訳として使われるとめちゃくちゃムカつくんですが、それはただの言い訳でしょ、と言って責めること自体が多様性の肯定を拒否している人間になってしまうのではないかという。  ということを考えたのが今週のテラスハウスでした。

結果を出せていない人間に発言権がないのか

 前半のいろいろは飛ばして、翔平と春香が仕事観の違いから対立、というのが今回の主題。  1つのことをやっていると飽きちゃう、あれもこれも手を出している翔平。  「1つのことを突き詰められない、どれも中途半端だと(世間的に)思われる、応援」という他のメンバーからのアドバイス交じりの意見に対して「複数のことをやっているのと、1つのことを極められるかどうかは別」という意見を貫く翔平。
1本でやってれば極められると思ってるのって すげー勘違いだなって思っちゃうんですけど 俺は
 この「いろんなことをやっていて極められている人もいる」という発言に対しての、副音声の山ちゃんのコメントがキモだと思っていて、
山里)まずそれはある程度達成してないとダメだけどね 山里)でもこれを言うと、あまり頑張ってない人の場合はタチが悪いんだよなー
 これをどう捉えるか、という問題でもあるんですよね。  つまり、「1つのことを極めるかいろんなことを試してみるか」という生き方と、「その結果成功するかしないか」は別問題だと思っていて。特に社会における成功って運にも左右されるし、翔平がテレビや舞台にバンバン出てるブレイク俳優じゃないからといって  「お前が小説書いてる時間も演技の練習に充てていればもっと売れてただろ」  「『歌詞書きながらでも演技が極められる』っていうのは役者の世界で菅田将暉くらい売れてから言え」  っていうのもそれはそれで違うんじゃないかなと。それは結果論でしかないし、  そうなると今度は役者1本でやって全然芽が出てない俳優の全否定になっちゃうし、「(翔平と違って)役者1本でやってる人は限界まで頑張ってるから仕方ない」っていうのも逆に酷い話w  「演技がやりたい」「歌詞が書きたい」っていう生き方の選択の中に「演技と歌詞両方やる」っていう1つの選択もあっていいはずで、その結果、どちらかで成功する、どっちも成功する、どっちも失敗する、それは別に本人の生き方とめぐり合わせでしかない。  ……ただその一方で、いろんなことをやってどれも芽が出てないことで、その「いろんなことをやりたい」という発言自体が凄い軽い言葉に見えてしまう、っていうのも事実としてあるんですよね。  それが冒頭の「多様性や個性を自己肯定の材料として自分から言ってくるヤツは大抵ただの言い訳」にも繋がってしまうんですけど、  そういう生き方を選ぶこと自体は別に誰にも否定する権利はない、ないですけど、それをドヤ顔で語られると「いやいや、ただ単に1つのことに打ち込まない言い訳に使ってないか……」というのも人間の心理としてある。  もっとはっきり言えば、例えば、時間が100あるうち演技50小説50でやっててその発言なら説得力あるけど、演技10小説10女遊び80だったらそれは全然違うぞっていうw  ただこれだって1本でやってるかどうかとは別の問題なんですよね。その人が努力に使える上限の問題なので。  もう少しわかりやすいところで、例えば「バイトしながら浪人して結果二浪しました」っていう人が、もしバイトしていなかったら……と思うけれど、  実際この世界には、バイトせずに浪人1本に絞ったように見せかけて勉強20スマホ80で二浪するクズとかたくさんいるわけだし。  それこそ軽井沢編(OPENING NEW DOORS)の雄大が良い例でしょう。料理人1本に絞るために料理学校辞めたけど、料理もまともに作らず昼過ぎまで寝てるという。  複数のことを両立できない人間が1つのことなら極められるかと言えば全然そんなことはない。  ……そして、こういう翔平擁護みたいな方向になってるのも結局、自分が翔平寄りの人間だなという自覚があるからです。  私だって、ブログ書いたりDTMやったりプログラミングやったりいろいろ、何となくマルチに頑張ってる雰囲気を出してますけど、  その中でやりたいことは1つも形になっていない、このブログも1日200~300アクセス程度のゴミだし、作曲も全然できてない、ウェブサービスやアプリのリリースとかもできたことがない。  そして、実際それらの活動に100使ってるかと言えば、たぶん30~40くらいで、テラハ観たりラジオ聴いたりSplatoonやったりしょうもないネットニュース見たりで過ぎていく時間の方が多いし、  その言い訳に「複数のことに手を出しているから」というのを使ってる自分がいないとは言い切れない……。

自分を貫いて生きるか、一時的に曲げて結果を目指すか

 もう1つ考えさせられたのはこの発言でした。
翔平)いや 何か そういうヤツら もうどんどん死んでくからよくない? 春香)えっ? 翔平)そういう何かさ──専業しか認めませんみたいなヤツらもどんどん年老いていくからさ
 山ちゃんがこの発言にかなりキレていましたが、個人的にはわからなくもないなと……  それも全て「新しい価値観の方に合わせていく」ということを二者択一的に捉えているんだろうなと。
 結構考えるんですよね。例えば、「会社でバレンタインのチョコを配る」って、それが半強制の習慣になっているとしたらそれは本当にクソな会社だと思うんですけど、実際、自分が女性だったら配るかもしれないな、とか。  初詣とか、サービス残業とか、年賀状とか、旅行のお土産とか、LGBT弄りみたいなことも含めて、  生産性が低い、意味がない、将来的に許されなくなるものたちについて、  「止めればいいのに」と思いながら「でもやらないと何となく失礼な気がする/空気が壊れるから自分は消極的にやる」っていうのはあまりにも日本人すぎる思考で、  誰かが止めないといけないのであれば、まず自分一人でも止める、という人が増えていかないと変わっていかないなと。  年始の瀬 | Our Story's Diary
 社会というものが個人の集合体であるとして、  「ゆくゆくは自分のこの新しい価値観がスタンダードになっていくだろうけど、今はまだそうではないから古い価値観に合わせる」という判断をする人たちがいる限りその新しい価値観は根付かないだろうと思うんですよね。  であれば、そういった場面で、多少周りとの軋轢を生み出したり、それによって生きづらくなったとしても、新しい価値観に基づいた行動を選択して、その正しさを主張するべきなのではないかという……。  ただそれによってその人が周りから応援されない、社会から受け入れられない、というのは、権力を手にできないという意味なので、結局社会の変化から遠ざかってしまうし、  そこを割り切って会社を辞める選択をした香織が、一方で翔平の考え方自体には理解を示しているように、  またはそれこそオードリー若林さんが、自意識の葛藤に苛まれながらも一旦そこを引き受けてメディアスターになったことで、今度は『ひなあい』『激レアさん』『セブンルール』で新しい価値観を温かく肯定する役割を担っているように、  一時的には社会をうまく渡っていくための妥協が必要だという意見自体は間違いなくその方が正しいと思うし、  だから何事もバランスなのだというありふれた結論に落ち着くのですが……。

まとめ

 テラハほとんど関係ない自意識の記事になりましたが、  こういう記事を書きたいと思ってテラスハウスの毎週レビューをやろうと思っていた ...

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メディア・カルチャー 2年前

『TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020』#1 感想

テラスハウス 1st Weekが配信開始となりました。  テラスハウスについては、配信直前に書いた通り、  基本的に毎週追って感想を書くつもりではいるのですが、ただ、とはいえ何も起こらない週も当然あるわけです。  そういう週に無理やり掘る内容を見つけるつもりはないので、何もない週は簡潔にまとめるつもりでいます。それをやろうとすると後々しんどくなって続けられないので……。  あと、別にその回のあらすじをまとめたりもしません。  今週は導入。  自己紹介、ファーストインプレッションなど、定番の流れ。当然ながらここまでは何も起きない……  とはいえ、「女の子苦手」アピールに何とも裏がありそうな流佳、初日からケニーを「やってんな」と軽くディスる翔平、プライドの高さを匂わせる女性陣など……もう既にきな臭さが漂っています。  特に、「トリンドルが気に入る男子メンバーは後半株下がりがち」というあるあるも含めて、流佳は確かに危険。  「バイト週3~4」という発言に山里の「少なくない?」というツッコミもありましたが、そのあたりも軽井沢編の雄大と印象が被るし、同じような問題を起こすのではないかという気がしてなりません。  そもそも流佳の夢とか目標への言及がなく、学生でもないのに「ショップ店員のバイト」しかやっていないというあたりもなんというか、不自然。  「夢への努力が足りてない」説教もテラスハウスでは恒例行事ですし、将来設計に関してもどこかのタイミングで刺される気がします。  それにしても「家でゲームばっかりやってた」という発言はどう捉えたら良いのか。  「家でゲームばっかりやってた(1日2時間くらい)」みたいな自己紹介の仕方って割とあるあるだと思っていて、それは別に嘘というわけでもない。  私だって実際趣味は?って訊かれたら、今ゲームなんてほとんどやってないけど消去法でゲームって答えると思いますし(ブログとか地下アイドルとか説明が面倒臭いので)。  そのパターンと、盛ってなくて本当にただのニートパターンと……どちらに転んでもヤバいですね。  香織さんも、女性陣3人の中では一番年上で、穏やかで良い人っぽい雰囲気があるし、スタジオでは板挟みになるんじゃないかという予想をされていましたが、  その一方、顔が似ている兄弟のことを「コピペ」と表現したり、ちょっとだけ言葉選びが危なっかしいので、それで真意が間違って伝わってしまってトラブルになるのではないか……という予感も。「実は性格悪い」パターンはないと思いますが。  「100%の善人はいない、100%の悪人もいない」というのがテラスハウスの裏テーマだと勝手に思っているので、誰か一人に肩入れしないように気を付けながら観たいと思っています。  さて、次回 #2、サブタイトルが「Tempura Incident」なのが既に不穏。  東京編(2016)の「お肉事件」を彷彿とさせますし、早くも事件が起こるスピード感。  山ちゃんねるの反応も見るに、結構早めに何らかの大事件が起こるようなので、楽しみです。  とにもかくにも毎週これを観てあれこれ想像できる楽しさ!  今回は導入ということもあってあまり細かいところは触れられませんでしたが、こんな感じで自分自身の経験ともリンクさせつつ何となく思ったこと・気になったことを書き残していけたらと思っています。興味がある方はぜひNetflixに入ってみてください。  まだテラハを観たことがないという方は本当に幸運ですよ。だって過去の全シーズンを一気に観れるわけですから。しかも30日無料の体験入会まであるので。 ...

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メディア・カルチャー 2年前

『TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020』配信開始に寄せて

いよいよ日付が変わって5/14、テラスハウス新シーズンがスタートします。 https://www.youtube.com/watch?v=usryGhl1jHg  私はテラスハウスには前シーズン『OPENING NEW DOORS』で初めて知った新参なのですが、  あまりの面白さ、特に終盤の加速度的な盛り上がりに、Netflixで前シーズン・前々シーズンまで一気見するほどにハマりました。  そしてテラスハウスのためだけにNetflixに今月から再入会しました。  前作は終盤まではFODの遅れ配信(4週遅れ)で追っていたため、今まではテラスハウスで検索した瞬間に絶対ネタバレを踏んでしまうので一切感想を見ることができませんでしたし、「テラスハウスに休日課長が加入!」みたいなニュースをおすすめされて死んだりもしましたが、  今シーズンは最初から最速で追いかけるので、何もかもが楽しみです。  まだどうなるかわかりませんが、当ブログでは、今シーズンは毎週感想記事を上げていきたいと考えています。  それにあたって、テラスハウスの基本事項、魅力、楽しみ方、私なりのスタンスを整理しておこうと思います。

概要

テラスハウスに暮らす、見ず知らずの男女6人による“台本のない日々”をつづるリアリティーショー。 舞台は東京。2020年夏、56年ぶりにオリンピックが開催されるこの地で、 男女6人の新たな青春の日々がスタートする。 スタジオメンバーはYOU、トリンドル玲奈、徳井義実、馬場園梓、山里亮太、 葉山奨之。 TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020(バラエティ) | ザテレビジョン(0000953797)
 テラスハウスの基本的な流れとしては上記のように見ず知らずの男女6人が共同生活を行うことにあるのですが、意外と観るまでわからない点として
    卒業のタイミングは各人の自由。誰かが卒業したタイミングで同じ性別の別のメンバーが新たに入居してくる。 メンバー同士で恋愛することが必須ではない(特に恋愛せずに卒業する人や、既に恋人がいる状態で入居するメンバーも稀にいる)
 恋愛模様を追いかけるのはあくまで一部に過ぎず、6人の人間の生き方を追いかけるのがテラスハウスです。

テラスハウスの魅力とは?

 テラスハウスを観たことがない人の中で、その魅力が「甘酸っぱい恋模様にキュンキュンする」みたいな部分にあると思っている人がいるのであればそれは全くの勘違いです。  以下、私がテラスハウスのどこに魅力を感じているかということを説明します。

反面教師コレクション

 テラスハウスの魅力については、2018年12月9日の『高橋みなみと朝井リョウ ヨブンのこと』で解説されている、朝井リョウさんの講座を聞いて頂くのが一番良いのですが。  (東京編のネタバレが含まれていますが、今観てない人が興味を持つにはネタバレを踏むしかないと思っています) https://www.youtube.com/watch?v=dW5NoLq4a9U  この回の後半に出てくる「反面教師コレクション」という形容はまさに的確で、  テラスハウスにはいろいろな人たちが出てきて、その人たちがいろいろな失敗をしていきます。  それは恋愛でもそうだし、仕事でも、同性同士の友人関係でも。  「掃除をしない」「料理を手伝わない」「同居人への感謝の言葉を口にしない」といった共同生活の失敗から、  「デートの時にお礼を言わない、楽しそうな素振りを見せない」「好かれていないのにオラつく」といった恋愛的な悪手、  「酔っぱらったまま他人を説教する」「自分を棚に上げて他人を叱る」などのついついありがちなミス、  そして「自分が努力していないことを責められると言い訳ばかりして逃げる」「自分のプライドが傷つかないように他人の発言を自分に都合の良いように解釈する」「本人のいないところでその人の陰口を言う」といった普通に人間として最低の行為まで、  様々な失敗が生々しく映し出されます。  そしてそういった人間関係のトラブルは必ずスタジオトークで受けられ、「若い時はああいうこともあるよね」なんてフォローとともに、どうすれば良かったのかが語られます。  それを見て、自分はこうならないようにしよう、と考えるきっかけになるのです。

根っからの悪人はいないということを知る

 しかも、それを行うのは別に極悪人でもなければ、それを悪意を持ってやっているわけではなく、  自分では正しいと思っている選択の積み重ねで起こしてしまうのです。  例えば実際の社会でも、浮気や不倫、ドラッグなど、それをしたからといってその人が100%真っ黒な人間だとは言えない事件がたくさんあり、  それに対して、その一件だけでその人の全てが真っ黒だと信じ込んで、それ以降その人が何をしても批判するような人たちが、SNSやYahoo!ニュースやワイドショーにたくさん見受けられますが、  人間は善と悪にはっきり二分されるわけではなく、一人の人間に善い部分と悪い部分があるだけなのだということを思い知らされるのが、テラスハウスなのです。  それを「こいつらは最低だ」と叩いて炎上させる人たちもいますが、私がしたいのはそうではありません。  「こういう人はこういうことやってしまうよね」という理解と共感を示す教材にし、同時に「自分はこういうことを本当にやっていないのだろうか」と振り返る反面教師にするのです。  例えば私が3ヶ月前にハワイ編(ALOHA STATE)を観た感想はこうでした。
 さすがにALOHA STATEの展開のネタバレは気にせず書きますけど、「最初は杏奈にアプローチしていた大志が、後から入ってきた仁希に惹かれてどっちに行けばいいか迷っているということを杏奈本人に言っちゃう」という、悪手中の悪手、  でも、「言わなくていいことまで全部言っちゃう、正直に自分の考えていることを全部話すのが人間関係において誠実な態度だと思っている、自分に自信がないのでとりあえず相手に全て話して助言を仰ぎたくなる」みたいなことって私も凄くあるし、親しかった友人とかにはめちゃくちゃそういう態度で接してるなあと……。  だからこのブログに全部書いてる「今の会社への不満」とかもそうだし、最近は少ないけど「友達と会っても会話が弾まなくて楽しくない」みたいな、絶対内に秘めておけばいいことを結構SNSとかブログに書いちゃう。というよりも、それをあえて言わないという判断をすることが相手に嘘をついているような気持ちになってしまう。 guility
 まさしく反面教師。しくじり先生よりしくじり先生。  テラスハウスを観て出演メンバーを責めるのは間違った見方です。まして本人のインスタに突撃なんてもってのほか。  自分にそういうところがないかを常に考えるために最適な教材です。

人間の多面性と多様性

 テラスハウスに関して、台本があるかどうか、ヤラセかどうか、スタッフの意思が反映されているかどうか、と言えば、もちろん多かれ少なかれ確実にあるでしょう。撮影OKのお店やスポットを選んでデートに行き、抜群のカメラワークでそれを撮っている時点で、スタッフと相談していないわけがないので。  ただ、そんなことは本当にどうでもいい話で、  なぜなら、「カメラが入っているからといって人間は100%自分を偽れるわけではない」からです。  「この日にここでデートしてください」ということはスタッフとメンバーで相談して、カメラが入っていることも意識しているでしょうけど、その前提であっても自分が全く思っていないことを言ったりはしないでしょう。会話には必ず本心が100%でなくても含まれるし、その場では言わなかったことも必ず後で暴かれる。  最初は猫かぶっていた人の本性が徐々に見えてきたり、カメラが回っていないシーンの振る舞いを他のメンバーに暴露されたり、ということも含めて全てをリアリティショーにしてしまうのがテラスハウスの唯一無二の発明なのです。  そして、人間の多面性を感じることは、「誰かに揉め事が起きる時に、どちらが100%悪いということはない」「どちらかが良い人だという先入観を持って判断してはいけない」という教訓にも繋がります。  軽井沢編については、どうしても前情報なしで観てほしいのでネタバレは避けますが、途中までは悪い部分が1つもないと思われていたメンバーが一気に悪人に転じるという叙述トリック的展開は凄すぎました。あの山里亮太ですら完全に善人だと信じ切っていて、そのメンバーに危害を加える人を悪者扱いしていましたが、  視聴者もスタジオメンバーも全員がバイアスにかかってしまっていたということ。あの一件があったので、  これから始まる新シーズンでは誰かを全面的に信用してはいけない、「この人は絶対に性格が良い/悪い」みたいな思い込みをしてはいけないなと肝に銘じながら観るつもりです。  それは同時に、この社会に生きる人間の多様性を認めることにも繋がると思います。

スタジオメンバーの解説

 テラスハウスを最大限楽しむにあたって、スタジオメンバーの6人の副音声は欠かせません。  恋愛マスターのYOU・徳井が、童貞のヒーローである山里に解説する構図、3人のやり取りが下ネタに寄ると嫌悪感を示すトリンドルなど、それぞれの役割がはっきりしています。  山里がメンバーを叩きすぎると女性陣が本気で怒ったり、メンバーの恋愛面での不可解な行動をスタジオが責める流れになると徳井が「でもこういう気持ちはわからんでもない」と理解を示したり、そのバランス感覚が本当に絶妙。  軽井沢編で加わった葉山奨之さんも、初期は無理に大声で発言していてネットで叩かれたりしていましたが、途中からはちゃんと空気を読むようになりました。意外とあまりモテないっぽいところがあり、山里さんと4対2の構図が増えたことで、俳優枠が割と置物に近かった過去シーズンよりもさらにスタジオコメントの深みが増しました。  そして副音声のもう1つの楽しみ方は、純粋に6人がリアルタイムの大喜利大会をやっているところです。マッサージをしてあげるシーンを「インドの前戯」、整形した聖奈を「アバター」など、ただ面白がっているだけのコメントの数々。やはりYOU・徳井・山里の3人が群を抜いてセンス抜群なコメントを添えて笑いを取っていきますが、最近ではトリンドルが一番口が悪くなっていたりもします。  住人に対して普通に失礼すぎるコメントも連発しますし、たまに言い過ぎじゃないかと思うところもありますが、それも含めて楽しむことができます。  この記事は結構道徳教材寄りの書き方をしていますが、何も考えずにただのバラエティとして観てもめちゃくちゃ面白い番組です。

テラスハウス今シーズンを追いかけるにあたって

 これから毎週、このブログでテラスハウスの感想を書いていきたいと思っているのですが、  それには3つの目的があります。

自分が毎週何を思って観ていたかを記録する

 やっぱりその時々でどういう感想を抱いていたかを記録するのは大切なことだと思っていて、特に軽井沢編のように善悪の価値観をひっくり返される展開が今後も起きるのであれば、  自分がいかに先入観を持ってその人のことを観ていたかというのを記録しておくのは、後々の変遷を振り返るためにも意味があるかなと思います。   ...

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メディア・カルチャー 2年前

若林チルドレンが革命を起こす──『オードリーANN』(4/20・弘中綾香ゲスト)

オードリーANN、2019年暫定ベスト回は翌4/27であっさり塗り替えられてしまったけれど、個人的に記録しておきたい4/20回です。  前半のオープニングトークも圧巻でしたが、それを完全に喰ってしまうほどに弘中アナの凄さが明らかになった回でした。

弘中:Mステ以来初の生放送ですから。歴史に刻まれますよ
 このボケはスルーされていましたが、結果的にその通りの放送となりました。  アップデート大学、インスタのフォローが若林1人だけ、お願いランキング、などなど、番組関連のトークも当然ながら面白かったのですが、  それを書き起こしていくと全編書く必要があるので割愛して、弘中アナのパーソナリティーに絞っています。  もう既に1週間が経ってradiko配信は終了していますが、まあ、何とか探してください。 --------------------

「結婚イコール幸せ」ではない

 4/18、土曜深夜。モニタリングの春日プロポーズ企画から2日、オープニングトークでは若林の号泣の裏話、M-1本番の秘話などが語られます。ナナメ視点で物事を捉え続けてきた若林も、中学校からの同級生の結婚は純粋に喜び、春日のプロポーズの手紙も「人として正しすぎる」と絶賛。まあ、1週間経った今となってはいろいろと思うこともありますが……、  ともかく、41分のオープニングトークは終始祝福ムードで進んでいきました。  そして49分ごろ、弘中アナが登場。
若林:ちなみにまあ今日はね、いろんな話題があって、春日のモニタリングのプロポーズは…… 弘中:ご結婚おめでとうございます、本当に。 春日:ありがとうございます。 若林:観た? 弘中:観ました。1.5倍速で (弘中・若林笑) 春日:なんでだよ。それ別に要らないだろ!『観た』だけでいいだろそれ! 若林:業務の一環としてね?(笑) 弘中:そうそうそうそう(笑) 春日:『そうそうそう』じゃないよ。何を盛り上がってんだよ。
 ここまでの50分のオープニングを全てフリにしてしまう一言で、開始1分で爆笑をもぎ取ってしまう弘中アナ。  ただ、このエピソードが、例えばラジオではなく激レアさんのオープニングトークとして編集されて流れていたら、または、収録前のやり取りを若林が再現する形で披露されていたら、  今まで通り、弘中アナは変な人だという認識で終わっていただろうと思います。  しかし、そうではないことが次第に明かされていきます。
若林:結婚願望あんの?ああいう話で言うと 弘中:えっとですね、それで言うと、私、結婚ってしなきゃいけないのかなって考えている方の人間なんですね 若林:あっ、そういうことね? 弘中:凄い面倒臭い人間なんですけど、あのー……昨日のモニタリングも観て、何でこうも世間は、結婚しなくてはいけないのか、または、結婚イコール幸せと考えているのか…… 若林:いや、マジで?(笑) 弘中:その、一元的な、この発想に、ちょっと、『ううっ、胃もたれ……』っていう感じでした 春日:なるほどね。なんか、いろいろ…… 若林:あんま、いい方向から見てないよね?じゃあ
 このトーク、完全に用意してきているんですよね。結婚という世間の風潮に対して自分が元々煮詰めていた持論の引き出しから引っ張り出してきてる。  それが良い悪いじゃなくてそういう性格だっていうことが徐々にわかってきます。
弘中:え、だって、そういう風にみんなが「春日さん良かったね、けじめつけたね」っていう風に言うと、「え、じゃあ、私とか若林さん、結婚してない側の人間は、幸せじゃないんですか?」っていうことを問いたい。世の中に対して。 春日:なるほどね。 弘中:私は凄く幸せ今。結婚してないけど。 若林:ああ、そうかそうか、うん。俺もよく言われんのよ。春日が結婚したから、「若林さんも早く幸せになってください」って 弘中:そう! 今幸せですよね? 若林:俺はね、幸せ、今。(笑) 弘中:良かったぁー。(笑)
 面倒臭いから、興味がないから、その方が面白くなるから1.5倍速で観たのでは全くなくて、  もう最初からこの、「結婚=幸せ」という世間の風潮に反抗するためにそうしている。完全に計算されています。

自分にウソがつけない

弘中:若林さんはですね、春日さんもわかっていると思うんですけど、同じ話を何度もするじゃないですか。凄い前のこととか。 春日:あっ、そう…… 弘中:しつこいですよね、言うことが。本当に同じ話ばっかり。 若林:(爆笑) 春日:ああ……まあ確かにするね、うん。 弘中:私が飲み会で、初めて行った……初めてご一緒した、最初で最後の飲み会の時に、「人見知りのくせに、頑張って話してやんの」っていう……5回くらい話してますよね? 若林:それはだってほら、要所要所でこの話がいいかなっていう時に出してんのよ。そこは背負って……初めて聞く感じにしてよ、そっちはそっちで 弘中:いやいや、だって、5回6回聞いてますから 若林:ははは(笑)だから、ちゃんと5回目ですよみたいな顔をするのはやめよう、それは。それはお互いなんか紳士協定みたいにやろうよ
 同じ話を何度もすることは、それがウケるのであれば良いんじゃないかと思ってしまいますし、弘中アナのトークがリトルトゥースにあまりウケなかったのもこのあたりの、オードリーの良さを否定しかねないロジックにあったのだと思いますが、  このエピソードのキモは「既に一度しているのに、あたかも初めてする話かのように語ること」「既に聞いたことがあるのに、それを初めて聞いたかのようにリアクションすること」が嫌だという主張であって、  弘中アナの価値観の根底に「嘘をつきたくない」「嘘をつく人間を信用できない」「空気を読みたくない」という信念があるのだろうなと思います。  上の結婚観のトーク自体がまさにそれで、  プロポーズ放送2日後というタイミングでわざわざ結婚自体に水を差す必要はないのだから、おめでとうと言っておけば良いのですが、それは自分の価値観に反してしまうからしたくない、できない。  春日に結婚祝を渡す時の「好感度を上げに来ました」という一言も、自分の中にある相反した気持ちの片方だけが100であるかのように偽ることができないからこそ出てくるのだろうと思います。
若林:それでさ、いや俺は全然いいんだけど、弘中ちゃん相当俺のことブサイクだと思ってるよね? 弘中:えへへへっ(笑)ひどー。 若林:いや、イケメンの俳優さん来て、なんか顔の話とか、「ね、学生時代、モテてたでしょ」みたいな話になるじゃん。 春日:まあまあ、はい、そういうことね。 若林:そしたら、「若林さんはバレンタイン……(笑)」みたいに、もう振る時から笑っちゃってるのよ 弘中:(笑)すいませーん 春日:(爆笑) 若林:いや、すいませんの前に、「そんなこと思ってないです」が一回ほしいのよ 弘中:いやいや、本当に思ってます、すいません
 世間一般として、こういう流れであれば、まずは「いやいやそんなこと思ってないんですけど」と置いた上で、「ブサイクではないけどかっこよくはない」みたいな言い方で、ぼかしに行くと思うのですが、  そういうテンプレートに則った心無い返事をすることが本当に嫌だからこそ、こういう発言が出てくるのだろうなと思います。  もう本当に、自分の口から自分の心にない言葉を発するのが絶対にできないのでしょう。

若林が折り合いをつけてきた道を辿る後輩たち

 他人の目を気にするのではなく、自分を監視する理想の自分、本心を偽って生きることが嫌で仕方ない弘中アナ。  同様の主旨の話をしている人たちは他にもいます。  例えば小説家でラジオパーソナリティーでヘビーリトルトゥースの朝井リョウ。
朝井:でも僕、若林さんが前に言ってたのが全く同じで、例えば……誕生日パーティーとかに行った時に、その……かつての自分がそういう場にいた時に凄い『何だよ。』って思ってたから、自分が誕生日パーティーを開けない、その過去の自分が絶対来場する、っていうのをおっしゃってたじゃないですか。 それ僕……完全に僕は講演会ができないんですけど。講演会全部断ってるんですよ今。それは、講演会を受けている高校生とかの中に、必ず過去の自分、つまり講演会なんてクソだと思っていた自分が必ずいるはずだと思って 朝井リョウ・加藤千恵のオールナイトニッポン0(ZERO)より
 Creepy Nutsの一員として『Creepy Nutsのオールナイトニッポン0』を担当するDJ松永。
DJ松永:それがすっごく腑に落ちて。俺も朝井リョウも、後輩が一人もいないんですよ。R-指定は年下だけど、同じ目線だったから仲良くなれたんですよ。仲良くなるのは先輩ばかりで、朝井リョウも仲のいい小説家って年上ばっかりなの。先輩をやるのって怖くない? R-指定:めちゃくちゃ怖いよ DJ松永:責任感とか、言動をちゃんとしないといけないから。適当なことを言って、後輩に悪い影響を与えたらいけないから変なことを言えないし、その責任を背負いたくないから逃げていて。でも、若林さんもある時期までそうだったらしいんだけど、後輩を作ったら人間的に成長ができて、どうしたら伝わるのか、どうすると傷つくとか、そういう想像力が鍛えられるから、絶対に後輩は作った方がいい、っていう話をしてくれて。二人で「確かに」ってすごく納得した。この間も(朝井リョウとの)LINEで「本当に後輩作ろうね」って話して DJ松永と朝井リョウが、人として成長するために足りないもの | オールナイトニッポン.com ラジオAM1242+FM93
 このようなトークはあくまで一例にすぎませんが、  この2人、そして弘中アナの話に共通しているのは「自分が嫌いな人間と同じことを自分自身がしたくない」という強い信念です。  社会の風潮、よく考えたら絶対に良くないけれど、立ち向かうより周りと合わせた方が生きやすいからみんなが何となく受け入れてしまっているものを、すんなり受け入れることができない。  朝井リョウさんは以前ヨブンのことで「奥さんという言い方をしたくないので妻と呼ぶようにしている」と発言していましたが、これも、奥さんと呼んでいる男性全員が女性を下に見ているわけではないにしても、言葉の意味を考えたらやはり男尊女卑的な思想が根本にあるから、あえて使わない。  自分一人が変わっても社会は変わらないのだから、と諦めてしまった方が楽だとわかっていても、自分の生き方、態度によって社会への反抗を提示していたいという強い信念が見えます。  そして、このような考え方はまさしく以前の若林が考えていたことと言っても良いでしょう。 オードリー若林の憂鬱 - てれびのスキマ  若林がブレイク直後、トラのカブり物を着けて写真を撮影されることを断固拒否したというエピソードはあまりにも有名ですが、自意識、社会への反抗、多数派への疑問、そういったものと10年以上悩みながら戦ってきたのが若林であり、オードリーANNは10年間、そういった若林の戦う姿を生々しく映し出し、  それを心の支えとしていたのがDJ松永や朝井リョウ、加藤千恵といったラジオを愛する表現者たちでした。  そして若林はそれに10年以上かけて折り合いをつけてきました。  若林の最新の著書『ナナメの夕暮れ』ではこんな話が出ています。
 前作のエッセイで、スターバックスで注文の時に、「グランデ」と言えないと書いた。 何か自分が気取っているような気がして、恥ずかしかったのである。 
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メディア・カルチャー 3年前

『青春高校3年C組』、多様性を全否定する学園祭企画の失望感

私は学生時代、自分の高校が本当に嫌いだった。  体育祭で参加予定だった競技は気づいたら終わっていて、文化祭では積極的に発言したことでクラスメートからは陰口を言われ、教師と揉めて高校を辞めようとしたこともある、  まあそんな自分語りは心底どうでもいいのだけど、  ともかく、私と同様に学校が好きではなかった人間、というのは少なからずいると思うし、  学校という環境は、全ての子どもが必ず通わなくてはならず、子どもにとってそこが世界の全てであるほどの拘束力があるにも関わらず、  あまりにもごく一部の人間の性格に合わせすぎていて、その基準から外れた人はまるで人間ではないかのように扱う空間になっていて、教育の場として明らかにふさわしくないと、ずっと感じていた。自分は運良く不登校になるところまでは行かなかったけれど、そうなってもおかしくない異常な空間であったとは記憶している。  そういう中で、この4月から始まった『青春高校3年C組』という番組を観た時、これは本当に素晴らしい、世界を変えるかもしれないと思った。 青春高校3年C組:テレビ東京  「普通」の学校で普通に青春を送れなかった、「普通」ではない生徒たちが集まって青春をやり直す。  モデル経験者や俳優志望などもいる一方、元引きこもり、不登校、高校4年生、ヤンキーなどなど、普通の高校であればおそらく弾き出されてしまうような生徒たち。  しかし、それは普通の人たち(わざわざバラエティ番組に応募してこないような子たち)と比べて決して「劣っている」わけではなくて、違う機会、違う場所を与えられれば、もしかしたら他の人よりも高いポテンシャルを持っていたりする。それを机上論ではなく実際の映像として生放送で日々証明している番組は他になかったし、  そのような癖と傷のある生徒たちに接するMCも、笑いのセンスもないのにセクハラまがいのイジリをするおじさん先生ではなく、一線級のプロの芸人で、素人に一定のリスペクトを持って接することのできる人たちが揃っている。  他の数多のバラエティ番組と違って、素人を「面白い反応をするオモチャ」ではなく「個性を持った人間」として線を引いて扱う姿勢が見えた。    この番組の形が受け入れられていけば、今のこの社会が少しだけ良くなるかもしれない。  普通の枠組みから外れてしまった人間、少し変わっていたり何か一度でも失敗してしまった人間に、徹底的に馬鹿にして笑いものにする以外の接し方、  ダウンタウンやとんねるずといった流れの延長では生まれ得ない、「誰も傷つけない笑い」の形を提示してくれるかもしれない。  そんな希望すら感じさせる、それほどまでの圧倒的な新しさと面白さ、そして優しさを持った番組だった。 --------------------  ところが、1期生オーディションが終了し、生徒の位置づけが「レギュラー出演者」になってから、だんだんと番組の生徒との接し方が変化していった。  タレントやスタッフは出演者を素人として扱うことを徐々に止め始め、番組が面白くなることだけを優先して、そのための構造に協力することを生徒に求め始める。  その結果、生徒の個性を活かすというよりも、生徒一人一人のキャラを弄る「お約束」で笑いを取るスタイルに変化した。    特に『リップシンク部』や『青春ホームルーム』のようなコーナーは完全な大喜利を求められ、面白い以外の評価軸がなくなった。  例えば『リップシンク部』では小沼ちゃんだけが別のアプローチで結果を出しているように、芸人ではない普通の子どもが備えるべき能力は「笑いを取る」だけではないわけで、  面白くなくても可愛い・カッコいいだけの子もいていいし、  そもそもリップシンクが苦手な子、大喜利が上手くできない子だっていて当たり前なのに、  面白くない回答、ダンスが苦手な子の失敗は、MC陣の「面白くない」というツッコミによって、個を傷つけて番組全体で笑いを取る形に流れてしまった。    面白くない子に対して「スベり笑い」という弄り方をしたり、誰かを馬鹿にすることで笑いを取ったりするのは、番組全体が盛り上がれば良いテレビバラエティであれば成立するが、観客のいない普通の教室でそれをするのは、スクールカースト上位の「弄る側」の生徒だけが楽しい行為で、スベらされる子・弄られる子に対して精神的に多大な負担をかける。  にも拘わらず、今のテレビのほぼ全てのバラエティがそういう笑いのパターンに頼っていることが、芸能界の中だけで考える分には全く問題ないとしても、  やっぱり学校で起こるいじめの助長に波及している面が少なからずあると思うし、  だからこそ「理想のクラス」を掲げる青春高校には、誰も傷つけない笑いの形を見せてほしかったのだけれど、  残念ながら青春高校は、他者を馬鹿にする笑いを安易に取ってしまった。    7/11放送分のラスト、曜日MC三四郎の翌日への引継ぎ事項(という名のその日の放送の総括コメント)で、「女鹿ちゃんが喋ると空気が悪くなるので気を付けてください」というのは、  バラエティ番組としては100点のオチであったとしても、一人の人間に対しての発言としては単なる誹謗中傷だ。  こんな発言を「場が盛り上がってるから良い」として肯定するのであれば、クラスの誰かをいじめて笑いものにする行為も、クラスの他の39人が楽しければ良いということになってしまうし、  「弄ることで居場所を作ってあげている」「本人が笑っているから良い」なんていうのも完全にいじめっ子の理屈だ。笑いものにされることを強要された側がその笑いに協力するのは自己防衛でしかない。    番組の内容のこのような変化は他にも随所に見られ、8月末に行われる「学園祭」(という名のライブイベント)が番組の主軸となったことでさらに加速し、  それとともに私が青春高校に対して抱いていた希望は完全に打ち砕かれた。  結局青春高校も、個性を否定して、集団のために個を犠牲にすることを全員に要求する、数多のバラエティと同じ、そして数多の高校の部活と同じような前時代の方向に急旋回してしまった。 --------------------  6月25日放送分ではそのユニット分けが行われ、アイドル部、軽音部、ダンス&ボーカル部など、生徒ごとにその特性と経験を活かしてグループ分けが行われた。そんな中、なるくん・浅井くんというキャラの濃い2人と「企画ユニット」というイロモノ枠に入れられた、ややキャラが薄くて普通にイケメンな河野くん。  その反応が、近年のバラエティではなかなか見られない「本気の嫌がり方」で、放課後トークでもいわゆる"プロレス"ではない、悔し泣き寸前のマジギレを見せ、翌日以降ネタにされることとなった。  現在この回の無料配信は終了しているが(Paraviでは視聴可能)、8/6に放送された総集編で一部始終を観ることはできる。  このような、プライドの高い人間に無理やり嫌なことをさせて追い込む様子をバラエティにするのは、青春高校を手掛ける佐久間Pの十八番でもある。  『ゴッドタン』のキングコング西野、ゆにばーす川瀬名人、『キングちゃん』のアルコ&ピース平子、ライスなど、追い込まれて新たな一面を見せた芸人もたくさんいる。  ただ、彼らは芸人であり、これからも芸能界で生きていくタレントであり、もちろん本気で嫌がっている面はあるにせよ、「イジられてオイシイ」という要素が少なからずある。  そしてそれが、バラエティの企画(例えばとんねるずの『○○を買う』企画など)がいじめを助長するとして批判された際に、スタッフや他の芸人がこぞって使うエクスキューズでもあった。  だが、それを素人の高校生にまで求めることは正当化されるのだろうか。  例えば現実の高校で、陸上部で頑張りたいと思っている子を無理やり美術部に入れて浮きまくってたら、構図としては面白いかもしれないけれど、そんなことはできない。本人がやりたくないと思っていることをやらせる権利は誰にもないし、そんなものを見せられても可哀想にしか見えない。 Screenshot_2018-08-09-21-26-16  企画ユニットが発表された後の河野君の反応が近年のテレビで見たことのない映像になったのは、  バラエティとして成立するための最低限の作り笑いで取り繕うことすらせず、100%嫌な顔をしていたからだ。  だが、嫌々やらされている姿を面白がりたい、やりたくないことに一生懸命取り組む姿が観たい、というのは、視聴者の欲望としてあまりにも醜悪すぎやしないか。  私が初期の青春高校を好きになって毎日欠かさず観ていたのは、義務教育の高校で居場所がなかったような生徒たちが自分の居場所を見つける姿、変わり者の子たちの個性を肯定し、生徒たちがやりたいことを自由にやって、そのフォローをプロのMCとスタッフが行うことでバラエティに仕上げる形があまりにも新鮮でチャレンジングだったからだ。  高校生に屋根もない炎天下で野球をさせたり、チャリティー番組でマラソンをさせたり、そんな昭和の根性論を押し付ける、古い番組が観たかったわけではない。 --------------------  8/2放送分では、講師を付けずに練習を進めてきたダンス&ボーカル部が、上達に行き詰まり、今後の方針についてスタッフと話し合う様子が放映された。  生徒同士の練習では限界があり、講師を付けてほしいと相談する生徒に対し、スタッフが再考を促し、最終的には講師なしという結論に至る。 Screenshot_2018-08-09-15-40-24 Screenshot_2018-08-09-15-40-56 Screenshot_2018-08-09-15-41-30 Screenshot_2018-08-09-15-41-17  この、いっそ清々しいほどに薄ら寒いお涙頂戴、別に意図的な切り貼りをしているわけではないので、できれば実際に観てもらいたい。  テロップまで含めて日テレの24時間テレビのパロディであったらどれだけ良かったか。  結論ありきで子どもから望みの言葉を引き出そうと、脅迫に近い誘導尋問を行う大人の姿を隠さずに放送したという意味では貴重な映像だ。  今から講師を付けるという選択肢は予算的にも無いのだろうということも透けて見えるし、そういった大人の都合を子どもに押し付けて、選択肢なんて最初からなかったのに生徒が自主的に選択したかのように見せかけ、  しかもまるでそれが尊いことであるかのようにパッケージングする。  これが、未成年を見世物にする感動ポルノでなければ何だというのか。  この映像が終わってスタジオに戻った際、バカリズムが引いているようなリアクションを取ったのも、感情移入するよりも先に「彼らは、誰のために、何のためにこんなに頑張っているの?」という疑問が浮かぶような作りだったからではないか。 --------------------  ここまで書いてきたこの記事の内容は、生徒が素人であるということを前提にしてきたが、1つ触れていないことがある。  それは、「生徒のほとんどがタレント志望である」ということだ。  このあたりの事情が、番組内では割とぼかされているのだが、生徒にマネージャーが付き始め、事務所にも所属したらしい。 https://twitter.com/ruka_ouo_/status/1019087277417422848  なので、「芸能界で生きていくためには番組のために嫌なこともやらなきゃいけないし受け身のリアクションもちゃんと取れなきゃいけない」という話は一理ある。もしかしたらオーディション週の出演前からそのような説明を受けているのかもしれないし、生徒たちもそれを受け入れているのだろう。  ただ、それならそもそも、秋元康とテレビ東京が作りたかったのは「理想のクラス」ではなく「バラエティタレント養成学校」だったということになるし、番組説明に「将来芸能界で活躍するスターを育てる」みたいなことを最初から書いておくべきではないか。    または、実は視聴者の知らない部分で生徒とスタッフに想像以上の信頼関係が結ばれていて、生徒たちは(打算的な意味ではなく感情的な部分で)スタッフからの無茶振りを好意的に受け入れているのかもしれない。  が、仮にそうだとしても、生徒とスタッフが内輪の信頼関係をベースにキツい試練を与えたりお金を使わせたり、みたいなことは、フジテレビの凋落とともに完全に廃れてしまった方法論であって、2018年に劣化めちゃイケ、劣化27時間テレビみたいなものを見せられても困る。  そして何より、芸人とスタッフの関係ではなく、まだ社会に出たことのない学生に対してそういった信頼関係とコミュニティの集団圧力を利用して半強制的に何かをさせるのは、利害の一致というよりも洗脳に近い行為だ。  青春高校は出演生徒にギャラを払っていないので、なおさらだ。「良い経験になっているから」などというのは、東京五輪のボランティアを募る電通と同じ、搾取する側の理屈でしかなく、それで無理やり働かせた様子をエンタメにして見せる、それで一儲けする、なんて、到底許されるべきではないと思う。    少なくとも、7月以降の『青春高校3年C組』は、番組説明にある「理想のクラス」とは程遠い。  一部の生徒を笑いものにする上下関係の笑いばかりが目立ち、生徒が望んでいないことを無理やりやらせ、苦手な生徒ほど大きな負担を強いて、その一連の姿を見世物にする、   ...

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メディア・カルチャー 4年前

空気を読めない人間は道徳的に悪であるという『しくじり先生』の欺瞞

5/14の『しくじり先生』に茂木健一郎さんが出演していました。  その回があまりにも酷すぎたので、思うことを書いていきます。  

概要

 まずどんな回だったかと言えば、  茂木健一郎が「日本のお笑いはオワコン」という例のTwitter発言を反省する回でした。前半がそれで、後半は別の企画。  とても不快なのでオススメはしませんが、TVerで見逃し配信もしています。    私はあらすじをまとめるのがとても苦手なので、お笑いナタリーさんの記事を引用します。
銀シャリ橋本ら、お笑い界批判の「しくじり先生」茂木健一郎を質問攻めに 5月14日(日)に放送される「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日・ABC系)で脳科学者・茂木健一郎が「日本のお笑いは終わってる発言で大炎上しちゃった先生」として授業を行い、銀シャリ橋本らが生徒として受講する。 今年2017年3月にTwitterに投稿した日本のお笑い界への批判が“炎上”し、大きな話題となった茂木がこのたび展開するのは「妙な正義感を振りかざして、嫌われないための授業」。自らのしくじりについて学者らしく研究発表する。教室の芸人たちは、そんな茂木を質問攻めに。果たして茂木と芸人が繰り広げる激論の行方は。 http://natalie.mu/owarai/news/232270
 「茂木と芸人が繰り広げる激論」という書き方をしているし、  こういう時に批判一辺倒にならなさそうなオードリー若林さんがMCだし、ということで、  この記事を読む限りでは、それなりに建設的な議論が起こるのだろうと期待するじゃないですか。普通は。    ところが、番組のコンセプト上、茂木健一郎が「しくじったことを全面的に反省している」というスタンスで出てこざるを得ないので、  茂木さんが完全に自分の非を認める形になって、それを芸人たちが弄り倒すという、完全な集団リンチ回だったのです。  そもそも喋りの上手い芸人がよってたかって集中攻撃してくる場で、学者が一人で喋りで応戦できるほど頭の回転早いわけがないし。(頭の良い悪いではなく、トークの瞬発力なので学者に求められるのとは別の能力)  しかも東国原さんや銀シャリ橋本さんのような、特に日本のお笑いに自信を持っている古い価値観の芸人を多めに集めていたこともあって、  全員で一方的に殴り続けるだけのいじめが展開されてしまうという最悪な状態が30分ずっと垂れ流される回でした。  

しくじり先生がオワコンになった

オリラジ中田、茂木健一郎の「お笑いオワコン論」支持! - オリエンタルラジオ 中田 公式ブログ
<見所がある番組とはどれか> 茂木さんの言う「大御所が空気を読ませる番組」ではない見所のある番組をご紹介します。 それは「しくじり先生」(テレビ朝日)です。 この番組は「構造的にものすごく革命的なことをやっている」のに、なんだか魔女裁判的な、内容のスキャンダラスさだけを受け止めている人もいるようなので、はっきりどこがすごいのか言いたい思います。 「弱い立場の人間がルールを作り主導権を持って喋る」 という点です。しくじったとされるゲストが主導権を握ってたった一人で熱弁する。聞き手であるしくじってないMCとレギュラーたちは受動的に話を聞いていく。これは、茂木さんの言う「立場の強いMCが主導権を握って立場の弱いゲストとレギュラーの話を進めるタイプの番組」と真逆の構図です。常在するMC的な立場の人はレギュラーと同格に置かれていて、通常に比べ権限はとても弱い。VTRもほぼ全く流さずに、ゲスト話者の熱量に賭けている。 オリラジ中田、茂木健一郎の「お笑いオワコン論」支持! - オリエンタルラジオ 中田 公式ブログ
 せっかくここまで書いてもらったのに、まさに今回の件をテーマに魔女裁判そのものでしかない構図を作って放送してしまった番組スタッフは恥ずかしくないんでしょうか。  茂木さんの方に熱量が足りなかったということもあるのかもしれませんが、それだってそもそも喋りたくない人をわざわざ引っ張り出して矢面に立たせたスタッフ側の問題になるわけで、  茂木さんが何か言うたびに揚げ足を取って笑いものにする、  こんなの、まさしく茂木さんが番組内でも指摘していた「弱い者いじめ」の構図そのものじゃないですか。  今年に入ってからいろいろな問題があった中で、一番叩いても問題のない人を選んで集中砲火を浴びせること自体が、権力批判のできないテレビの縮図だと言えます。    私がオードリー好きだから好意的に見てしまいがちだというのを差し引いて、  今回の生徒側の中でほぼ唯一、本来こういう攻撃に加わらなさそうなMCのオードリー若林さんは、  茂木さんの言い分を引き出すために問題の切り分けに入ったり、ある程度バランスを取ろうと頑張っていたようにも見えます。 (ハライチ澤部さんや関根勤さんのようなバランサーがいつも以上に少なかったことがそもそも問題だと思うのですが)    しかし、そもそも茂木さんが一切反論をしないモードに入っちゃっているので、反論が生まれず、  一方で芸人たちは言いたいことを全部吐き出すので、そのコメントがひとつ残らず一方的な暴力になってしまう。  若林さんもあの状況ならもっと茂木さんのフォローに回った方が良かったと思いますが、やはり芸人としてあの発言を擁護はしづらいし、番組の趣旨としても「茂木健一郎を笑いものにする」というレールが引かれていたのでしょう。    茂木さんがその場で即座に反論できる人間でないことは『ワイドナショー』などでもわかっていたはずで、  だとすれば、しくじり先生のコンセプトから外れたとしても、この回に関してはそれこそ中田さんのように、ある程度喋れて茂木さんの擁護に回れる人間を呼んで議論の体裁を整えるべきだったし、  そうできなかった時点でこの回を放送してはいけなかったと思います。  なんでお蔵入りにしなかったのかもわからないし、  あれを見て面白いと思える人はちょっと頭がおかしいとしか思えない、そういう内容でした。  私個人としては、今後はしくじり先生自体見ることもないと思いますが。  

多数派視点、少数派視点

 さて、その放送と前後して、ある意味でその内容を補完するような記事がネットに上がっていました。 吉田豪インタビュー企画:ウーマンラッシュアワー村本大輔「ベッキーの時も少し多めに殴ってない?と感じていた」(1) 吉田豪インタビュー企画:ウーマンラッシュアワー村本大輔「自分は人間関係も器用なキンコン西野とは違う」(2) 吉田豪インタビュー企画:ウーマンラッシュアワー村本大輔「全員から嫌われても変えられないものがある」(3)  吉田豪さんがウーマンラッシュアワー村本さんにインタビューを敢行した記事なのですが、とにかく全編素晴らしかったのでぜひ読んでください。  個人的に印象的なポイントをいくつかピックアップ。
──(略)茂木さんの件は番組でも企画にしてましたけど、ああいうことにスイッチ入りやすいですよね。 村本 1対全員みたいなのは嫌ですね。 ──茂木さんが吊るし上げられてると感じると。 村本 はい。ベッキーのときもそうですけど、「ちょっと多めに殴ってない?」みたいな感じがしたときに……強い人は弱い人の話を聞いてあげてほしいというか。でも、強い人がみんなで聞く耳持たずでボコボコにするじゃないですか。それを見てる芸人とか芸能人も、もうちょっとバランスよくしゃべれるはずなのに、一斉にそこはリーダーの話に乗っかるから。 (略) http://dailynewsonline.jp/article/1309358/?page=3
村本 僕、ひとりでしゃべる『ウーマンラッシュアワー村本の大演説』っていうライブをやってて、でも海外は1人で6万人ぐらい集めたりするんですよ。僕は淳さんとか博士みたいにはなろうとしてもなれないですけど、僕がこのモヤモヤを解消できるのはネタかな、と。海外の強い権力が政治だとしたら、日本ってお笑い界、芸能界みたいなところがあって。何かちょっと言おうとしただけで、「いや、それヤバいんじゃない?」とか「これちょっと怒られるんじゃない?」とか言われて。 ──自分にとってタブーはそっちだって実感がある。 村本 そんな感じがするんですよ。何を怖がってんの? と思って、すごい気持ち悪い感じがして。視聴者がそれを言い出してるから気持ち悪いなと思うんですよ。「あの先輩の話はやめたほうがいいんじゃない?」とか「大丈夫?」とか。そこは映画とか観る感覚で楽しんでくれたらいいのに、怖い存在みたいに言われるのが気持ち悪くて。だから、スタンダップコメディやりたいですね。 http://dailynewsonline.jp/article/1309358/?page=2
 このあたりの記述、一言一句違わず同意できて、  私は、多数が一人を攻撃する構図の時に、必ず攻撃されている側の目線で見てしまうんですよね。  オードリー若林さんも、年初の『ご本、出しときますね?新春スペシャル』で同様の話をしていましたが、  例え責めている側が正義であろうと、それを理由に他者を攻撃していいとはどうしても思えなくて。  だから、ベッキーの不倫とかも、私自身は不倫なんて絶対しないし、する人の気持ちも全くわからないんですけど、  それでも叩く側には絶対付けないし、付いてはいけないと思っています。  

「いじめられること」は「救い」?

 一方、今回のような構図も、結果的に笑いになっているのだからそれでいい、パッケージとしてエンターテイメントになっている、という考え方があります。
村本
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メディア・カルチャー 5年前

アメリカ大統領選に関して思うこと

まず、本題の前に、前回の記事で触れた「生ハムと焼うどん」の話題について、  改めて読み返したらなんかおかしなことになっていたので補足。  というのも、元々書こうとしてた話を一部書き忘れちゃってて、結果、なんか突然右翼左翼の話に持って行ったヤバい奴になっちゃってました……。  で、ここからの話は、私がどちらの考え方に賛同しているかとは別の話として読んでもらいたいのですが、  元々なんであの話題を拾いに行ったかっていうと、あの生うどんの騒動への評価って、ネットでだいたいの事情を知ってる人とそうでない人(水曜日のダウンタウン、ゴッドタン、ほぼほぼなどで初めて観た人)で結構分かれてる感じがあって、  それはなぜかというと、セルフプロデュースアイドルっていう文脈がテレビでは全然使われてないんですよ。「新人の破天荒アイドル」「MCでコントをやるアイドル」っていう紹介で出てる。  セルフプロデュースというのはつまり、ああいう滅茶苦茶な言動を上からの指示ではなく本人たちの意志でやっている、ということになります。  それが、生うどんが炎上ギリギリなことをやっても温かい目で見てあげよう、みたいな流れが生まれる1つの理由だと思うのですが、これって、  「事務所やレコード会社などの後ろ盾がない」ことが彼女たちの後ろ盾になってる、と言えるなあ、と。  この逆転現象はとても面白くて、  逆にナチス風衣装で炎上した欅坂の方は、しっかり左寄りの方がボコボコにしている一方、高須院長みたく右にお寄りになってる方が「ユダヤに媚びるな!」とか突拍子もないこと言ってて、でも支持層とイデオロギーが一致しているのでビジネスとしては全く傷ついてない。  その点、生うどんは支持層とイデオロギーがある種一致してないわけで、一歩間違うと全方位から叩かれる危険性を孕んでるから、もし大した理由もなくノリで差別に手を出してるなら軌道修正した方がまだマシかなあという気もする次第。いや、わからないですけどね。    そういう「最底辺にいる存在に上位層は優しくしてあげるので、中間層が一番割を喰ってる」という構図は今の社会の大きな問題だなあと思うわけで、それがトランプ大統領にも繋がっているわけです。綺麗な導入! --------------------  本題。

 しかしまあ、大統領選終わってからこういう反応が次々出てくるのでみんなよくわかってるなーっていう錯覚に陥りますが、この人たちだいたい全員「それでもクリントンが勝つ」って思ってたわけで、まだ起きていないことの分析というのは本当に難しいなあと思わされるわけです。  と、いろいろ思うことはあるのですがもう1週間経ったのでさらっと。   ・反”反差別”  Brexitもそうだしトランプもそうなんだけど、  黒人初だったオバマ大統領がアメリカの中心に8年いて、ポリティカルコレクトネスに代表されるような「差別は良くない」という動きがずっと主流にあったわけですが、そこへの不満はずっとあったんだろうなあと。  関係ないけどポリティカルコレクトネスをポリコレって訳す人だいたい意味もわかってないし馬鹿にしてると思うので、英語圏に倣ってPCって略しましょう。ここでその概念の詳細な解説はしないけど、PCっていうのは要するにマイノリティの存在をちゃんと念頭に置いてから何かをしたり言ったりしましょう、ということです。Facebookの性別欄に男・女以外の選択肢が用意されていることとか。  PC概念が「たとえ99%にとって都合の良いことであっても、残りの1%が不当な扱いを受けるのであれば対応すべきだ」と主張するのですが、それは同時に「99%の人にとっては今より少しだけ悪くなる」ことでもあります。  日本でも同様の問題はいくらでも起きているので割と理解しやすいと思うんですよね。  在日の人たちにも選挙権を、とか、生活保護をもっと手厚くすべきだ、とか、セクシャルマイノリティ(LBGT)にも異性愛者と同等の権利を、とか。  そして、ご存知の通り自民党はその逆のことを進めているわけで、日本でそれが支持されているのだからトランプを支持した米国民と何も変わらないわけですが、  「トランプに投票したアメリカ人は馬鹿だ」とか「クリントンが当選するだろうと思って賑やかしにトランプに入れたらなっちゃった」みたいなのはもうでまかせもいいところ。Brexitの時もそうだったけどツイッターでこういうアホなツイートを(たとえネタでも)RTしちゃうような人はさっさとブロックした方が賢明かと思われます。    インターネットとの関連はわかりませんが、「反反差別」をよりわかりやすく言うなら「逆差別批判」という言葉になります。  「これは日本人に対する逆差別だ」とか、「男性が逆差別されている」とか、そういった言説をSNSではたくさん目にしますよね。  もちろん、そんなのはでまかせで、多くの点でマジョリティにとっては当たり前の保護を受けられていないマイノリティの、ごく一部の点を取り上げてマイノリティへの現実認識を歪めているわけです。ネット空間では痴漢冤罪問題がいつも叩かれていますが、実際の痴漢と痴漢冤罪のどっちの件数が多いかって言ったらまあ痴漢でしょう。表に出ていないものも含めて。   ・反エスタブリッシュメント  反エスタブリッシュメントっていう言葉も、ぶっちゃけ大統領選終わってから初めて目にしたので自分の不勉強を反省しつつ。  クリントンがレディーガガやら有名人と共同戦線を張ったり、マスコミが一致団結して応援していたり、そういうのが結局全部裏目に出たのだろうなあと思います。  日本に置き換えて考えてみても、例えば嵐や石原さとみや錦織圭が  「もっと弱者への保障を手厚くしましょう!」ってキャンペーンしたとして、  「言ってることはごもっともだけど、お金があって生活に困ってないからそんなことが言えるんでしょうね!」  ってなりそうだし、実際そうなったのがBrexitとトランプなんでしょう。  このへん、自分の生活に関係ないところだと全然わからないのですが。    ただ……、同時に思うのは、そういうお金のある有名人だって、プライベートとして考えれば、弱者を切り捨てることが是とされた方が嬉しいわけじゃないですか。  だから、口であんなこと言いつつもトランプに入れたお金持ちも結構いるんじゃないかなと思ってます。  トランプが勝った途端に東浩紀さんが  ってツイートしてましたけど、この「ポリティカルコレクトネスうざい」ってお前が内心思ってることではともちょっとだけ思ったり。  いや、まあ、心の奥底で差別感情があること自体を修正するのは難しくても、それを理性が上回って表面的に立ち回れば、それはそれでいいと思うし、内心どう思うかは別に関係ないと思うんですけど、今までPC尊重してた人たちがこういう意見を次々に発信しちゃうのはちょっと危険な感じがします。  このあたりは難しくて、本音と建前というか、そりゃ白人男性からすれば黒人や女性や移民は排除されてくれた方が嬉しいんだけど、それをやっていいのかという問題もあって、  そのみんながやりたくない役割をトランプが引き受けてくれた、というところのヒーロー性みたいなものもあるのかもしれません。   ・トランプ=鳩山?  トランプが勝ったことで「既成勢力・オールドマスコミの敗北!ネットの勝利!」みたいに盛り上がってるネトウヨな方々がいるのはまあ別にいいと思うんですけど、  同じ口で「トランプみたいな馬鹿が大統領になって大丈夫か、って言われてるけど日本の鳩山/民主党政権よりマシ」みたいなことを言ってて、さすがにそれはアホすぎるなあって思いました。民主党叩ければ何でも楽しいみたいな人たちは人生幸せそうで羨ましい。  何が言いたいかというと、トランプに対応するのは間違いなく安倍自民党で、民主党に対応するのはオバマ大統領なわけですよ。  今ならオバマさんは堅実に仕事したイメージありますけど、あの人だって「CHANGE(変化)」とか「Yes we can」とかのキャッチコピーで引っ張った人なわけで、それは民主党の友愛がどうとかの外交戦略に近い。まあ、さすがに民主党よりはオバマ氏の方がミスが少なかった、というのは認めますけど。  ところがそれはあまりうまくいかなかった。日本の方が一足早く崩壊しましたが、アメリカでもリーマンショックとかがあったわけで、遅かれ早かれという感じ。  で、その流れからの揺り戻しとして、トランプの「make great America again」があって、安倍自民の「日本を取り戻す」があるわけです。  まあ、さすがにぶっ飛び方では安倍はトランプより若干マシですし、日本に対する関心も低いでしょうけど、  逆にアメリカの人からしたら、「日本人は何であんな憲法違反とか失言しまくってる自民党に勝たせ続けるんだ?」という風に見えていてもおかしくないと思います。  何なら「日本人と違って自分たちは現実が見えてるからトランプを選んだ」と思っているのかも。それはちょうど「トランプを選んだ馬鹿なアメリカ人と違って、自分たちは民主党の反省があるから自民党をしっかり選んだ」と思うのと同じ。    そして、安倍とトランプの共通点というのはもう1つ、選挙戦略にあって、「あまりに滅茶苦茶なことを言うので反対勢力が現状維持・反対しか唱えられなくなる」というパワーがあります。  民進党は「改憲反対・集団的自衛権反対・アベノミクスは失敗」を唱えてるだけで、そこを「対案がない」と指摘されるだけでゲームエンドになってしまう。特に、こういう不景気・不安定な情勢では、現状に対する不満が積もっている人たちに、「悪くなるよりは今のままの方がマシ」というメッセージが全く刺さらなくなってしまうのだろうなーと。   ・今後  「トランプはネタで選ばれただけなのでめちゃくちゃやって次の4年で降ろされる」みたいな見方してるアホな人もいますが、ネタで大統領が選ばれることなんてもちろんないし、そういう見方が通用するならそもそも当選してないので、   ...

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メディア・カルチャー 5年前

面白くない情報は価値がない? 地下室の転売NO記事の話

前置き:別にまた炎上したくてわざわざ首を突っ込むわけではないです。ちょっと気になっただけです。  

転売NO、でも複数買いは推奨?

 少し前に、PCデポ騒動でヨッピー氏がおもしろライターから社会派ライターにジョブチェンジを図ろうとしていましたが、  今度は地下室TIMESさんが社会派な問題に切り込みしたようです。  
で?"チケット #転売NO "はファンたちに何を求めているの?本当に偉い人にインタビューしてきた。  ここまでくるともう普通にネットメディアですね。  そのうちアーティストとの対談記事とか上げるんじゃないでしょうか。今オファーすればフットワークの軽いバンドは喜んで受けてくれそうだし、米津さん×石左さんとか普通に面白そう。SMEは断りそうだけど。  このままネットメディアのブランドとして成長していって、そのうち「音楽地下室TIMES」「コミック地下室TIMES」「お笑い地下室TIMES」みたいに派生していって……あ、これ言うと叩かれるやつですね。止めます。    内容は普通にわかりやすかったし、気になってたところも説明されてて良かったです。文句とかはありません。  ただ、「需要が供給上回ってるんだから価格上げろ」に対して「チケット価格を上げることで中高生が楽しめなくなるのが困る」という主張をするなら、  転売サイト運営の「じゃあCD先行抽選商法とかやるなよ」っていうツッコミがますます説得力を持ってしまう問題が。  あの記事のオチにこれを持ってこられると「なるほどこの人正しいこと言ってるじゃん」と思ったんですが、この矛盾は次回の記事で解消してくれるのかどうか。    実際、私も普段はバンドのCDはアルバムしか買わない(シングルはiTunesでDL購入する)のに、今回はライブ行きたくて『LOSER/ナンバーナイン』買っちゃったんですけど、  これ、チケット代1000円値上げするのと何がどう違うんですかね……。    このへんの矛盾について、バンドじゃないけどアイドルのSTEREO JAPANのプロデューサーの話が結構面白いです。  STEREO JAPAN緊急連続企画ーー5月4日リリースのシングルが1万枚売れたら解散!? リリパまでの約2ヶ月間を追う!! その11 吉田豪による水江文人(STEREO JAPANプロデューサー)・インタヴュー  ※STEREO JAPANは今年6月、「CD発売・リリイベ・インストアイベント卒業」を宣言しました。その時のインタビューから抜粋。  発表時のライブが特殊な会場を押さえたために場所を借りるだけでお金がかかったものの、売上は悪くなかった、という話からの流れです。
ーーVIP席とかの価格設定が成功して。 水江P : そうですね。普通アイドル・イベントって2,500円とか3,000円くらいのライヴ・チケットだと思うんですけど、そもそも1番安いチケットが4,000円、その上が1万円、1万5000円、2万5000円ってしたら、高額なチケットが全部完売したので。この先、CDを出さないとかリリイベやらないみたいな話もそうなんですけど、あれって結局CDを作ると、作ったお金に見合うように、もっとプラスして稼がなきゃいけないから、毎週リリイベやって、女の子たちも疲れ果てて、観てる側も飽きるみたいなのがあるかなって思って。 ーー今オリコン・チャートでベスト10に入ってもどれぐらいの宣伝になるのかって考えだしたらキリがないですからね。 水江P : ほんとですよ! 火曜発売とか発売日をズラして。 ーーそれで「ついにベスト10に入りました!」なんて大騒ぎして、どんな意味があるのかなって。 水江P : ぜんっぜん意味ないと思います(笑)。おんなじ業界の人とかと話してて、たまにそういう人いるんですよ。オリコン3位だったんでとか、具体例出すわけじゃないですけど(笑)。それがどうにもならないっていうのは数多のアイドルが証明してることじゃないですか。いまは収入源としてCDを出してリリイベがあって、僕らはお金が入るっていうのはあるなと思うんですけど、でもそれは紐解いていくと、お客さんはおんなじようなセトリのおんなじようなインストアでいっぱいCDを買わされてるわけで、もっと気持ちよくお金を払える方法ってないかなっていうのをずっと思ってて。同じお金を払うにしても。
 まあ、バンドはアイドルよりは複数買いするファンは少なくない……と思いますが、でも初回限定盤ABとかはやってるバンド割と多いですよね。  リリイベとかインストアもないけど、ライブ限定グッズの価格設定は同じようなものですし。  ファンのため、という理想は、それが達成さていれなければ意味がなくて、その理想に反してファンのためになっていない現実があるなら、やはりやり方が間違っているのでしょう。  現実問題として、高額転売にお金を出せるファンがいるわけで、それなら最初からお金のあるファン向けのVIPチケットを別に作るとか、  中高生に来てほしいと思うなら、チケットの値段上げる代わりに入場時に学生証提示でキャッシュバックする(ドリンク無料とか)システムとか、いろいろ考えようはあると思うんですよね。  そういう工夫をせずに「音楽業界の人たちは音楽好きだから!」って理想論を語って、その理想を悪い人に食い物にされてますっていう敗北宣言に、何の意味があるんだろう、とは思います。  まあ、それは元の記事でも最初に「その中で今やれること」みたいに言ってるので、いろいろな問題があって実現できないのかもしれませんが……。  

面白くないと読まれない、でいいのか

 で、まあ内容はそんな感じとして、ここからは転売話から離れます。  記事の中で何度も何度も、「いい話なんだけどどうせみんな読まないよね?」って繰り返してて、まあ実際その通りだとは思うものの、  その風潮が加速していくのってどうなのだろう、というのがちょっと気になりました。    地下室TIMESもそうだし、ヨッピーの書いてる記事(「Microsoftが変わった」って言われてるけど本当なの?よくわかんないから直接聞いてきたとか )もそうだし、極端な話はちまJINハム速などのアフィブログがやってることもそうなんですけど、  「ニュースを面白おかしくわかりやすく伝える」ことが至上命題になりすぎてないか、と。  コンテンツが供給過多な現代インターネットにおいて、ユーザーは自分の好きなものだけを消費しますから、当然、面白くない固いニュースなんて読みたくない・見たくないし、自分と価値観の違う意見なんて目に入れたくないと思うんですが、  本当は、この社会で、茶化しちゃいけないこととか、真面目に考えなきゃいけないことって、少なくないと思うんですよ。  それなのに、将来を左右する政治の話題も、差別や格差などの社会問題も、何もかもを面白コンテンツとして消費して、そうでないものは切り捨てて、  真面目に何かを論ずることはダサい、ちょっと斜に構えた態度で茶々を入れることがカッコいい、みたいになっていくのは本当に良いことなんでしょうか。  いや、別に「長くて真面目な記事は読みたくない」って個人的に思うのは自由だし良いと思うんですけど、「長くて真面目な記事なんて読みたくなくて当たり前」「まだ真面目なニュースサイトなんか追って消耗してるの?」みたいな態度を大っぴらにすることが是とされるのはおかしいというか、  乱暴に言えば自分たちが馬鹿であることを堂々と偉そうに掲げるのをやめろってことです。  今話題になってるキーワードだと反知性主義ですかね。トランプ氏が支持されてるアレです。  

白黒はっきりつけてほしい願望

 結局、社会にはびこる問題なんて、わかりにくくて複雑で、0か1かで語れないグレーゾーンがほとんどで、長々とした論理と理屈と、それを語るために生まれた専門用語を抜きには語れないに決まってる。  0か1であってほしい、明確な結論を出してすっきりさせてほしい、という欲求を持ちたくなる気持ちはよくわかるのですが。  チケット転売問題でも貧困JK問題でも豊洲移転問題でもなんでもいいけど、これは100%こっちサイドのあいつが悪い!死ね! みたいに白黒はっきりつけられるほど現実の物事は単純じゃない。  「転売屋は暴利を貪る悪だ!禁止しろ!」で済めばいいけど、その本人確認システム整備の方がお金がかかるかもしれないし、法律的にはむしろ禁止する方が問題だし、そもそも「転売屋」という特定の集団があるわけではないし。  貧困JK問題で言えば、「社会の最底辺クラスではないけど定義上は間違いなく貧困」というグレーな結論では盛り上がらないから「NHKの捏造!JKは嘘つき!住所特定自宅凸で懲らしめよう!」となったわけで。  そういう、現実世界に蔓延する複雑でわかりにくい問題を、  簡潔に140字でまとめました! ユーモアたっぷりの4コマ漫画にしました! などという人たちによって翻訳されたものは、  必ず事実のどこかが削ぎ落とされて歪められている。  それは絶対に言い切れます。大小の差はあっても、意味の変わらない翻訳・言い換えなんてどこにもありません。  「馬鹿な皆さんのためにわかりやすくシンプルに言い換えましょう。これをすれば社会は良くなります!」などと言う政治家は嘘つきに決まってます。それをやって支持されてるのがトランプ氏とか安倍首相とかなんですが。  で、それは馬鹿な私たち一般人にとって良い傾向のように見えて、実際には、頭の良い人たちに都合の良いように事実を歪めることができていて、当たり前のように煙に巻かれてしまう。  そうならないために、ああいう「全ての情報をエンタメ化しないと気が済まないサイト」を過剰にもてはやさない方がいいと思うんですよ。って、まあ、ここのブログを読みに来る人に言っても仕方ないと思うんですけど。  

最後に

 と、ここまでこれを ...

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