映画・音楽・小説の感想 4年前

『若おかみは小学生!』の感想の延長戦

よりフランクに

 昨日上げた『若おかみは小学生!』の感想記事は読んでいただけたでしょうか。  これから観るつもりの方は読まなくて良いんですが、それなりに手ごたえのある感想記事になりました。  久々に文章らしい文章を書いたなあという感じで、これを2日で書き上げたことにはそれなりに満足しています。  こうやって臆面もなく一個人の意見を事実であるかのように書けるようになることが大人になるということです。  で、今日は久しぶりに普通の(ただの日記としての)更新をしよう、と思っていたのですが、  若おかみの感想記事に書ききれなかったことをまとめていたら、思ったより長くなったので、1つの記事にしちゃいます。  というのも、昨日みたいに言い切りの文体で、筋の通った一つの「論」として書こうとするとうまく入らないものが多すぎて……。  これは普遍性がない(自分以外の人が読んでもわからない)とか、作品論から離れすぎている(社会問題への接続が強すぎる)とか、そういうことで削ったものがたくさん。  なのでこの記事は、肩の力を抜いて、自分が慣れている敬語で書きます。  なので昨日のこの記事を読んでいることが前提です。昨日の記事もこの記事もネタバレは避けていますが。  ということで削った話をいくつか。

音楽が最高(誰にでも書ける)

 だいたいこういう感想記事書く時、アイドリングとして個人的な話から書いていって、最終的に邪魔になるので個人的な話だけ削っていきます。  
『勝手にふるえてろ』の感想もそうでした。  で、みんな書いてるポイントはみんな書いてるからいらないか、と思って削っただけで、  デザインもセリフもキャラクターも最高に面白い映画なので全般的に褒めたいんですけど、特に良かったのは音楽部分です。  鈴木慶一さん作曲の劇伴、特に中盤流れる暗いBGMの雰囲気がMOTHER2過ぎて最高だった。そして劇中歌の『ジンカンバンジージャンプ!』は早く配信してくださいって感じ。  まあでもこれはもう観た人全員言ってることなんでわざわざ書かなくても……という判断でした。

『ろこどる』だった

 「嫌な奴、悪役が全然出てこないのにちゃんと主人公が成長するしストーリーにメリハリがあって面白い」というのが『若おかみは小学生!』の新しさだ、と冒頭で書いたのですが、  『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』もそうだったので、2例目です。  以前書いた「好きなアニメ10選」みたいな記事の中で、
基本的に面白いアニメって「嫌な事件が起きないので安心して観られるけど盛り上がりがない」か「ストーリーにメリハリがあるけど先が不安になる」かだと思うんですけど、ろこどるは「嫌な事件が起きないのにちゃんとストーリーにメリハリがある」という奇跡のアニメです。 アニメばなし | Our Story's Diary
 と書いた通りで、ろこどるもまた、悪役がいないのにちゃんと主人公の奈々子が成長するし、物語も面白かったです。  だから「ただメリハリ作るために、悪役以外のアイデンティティを持たない、物語的な必要性だけで生まれた悪意の塊みたいなキャラ」を生み出すのって単なる甘えだなあとも思いました。  ただ2018年の今、『ろこどる』を例えに出して誰がわかるんだよという感じだったので削りました。  どちらも共通点多いので、若おかみ気に入った方はこっちも面白いんじゃないでしょうか。おすすめです。

『花咲くいろは』じゃなかった

 あともう1つ、今回で言えばどうにも収まりが悪くて削った文章があって、  この映画のあらすじを見て、「ポストジブリ!ポスト宮崎駿!」みたいな感想見た時に私が抱いた感想が、 「あーはいはい、また主人公が女将にめちゃめちゃ厳しく指導されて過酷な追い詰められ方をされて逃げ出したくなったりするけど、最終的には何だかんだで辛い経験も全部糧になって成長する系のアレね」  みたいなことを書きたかった。  ニュアンスとしては元の感想記事にも残ってるんですが、自己主張強すぎて流れを止めちゃうなあと。卒論だったら脚注に投げるやつ。  要するにこの設定だと『花咲くいろは』思い出しちゃうんですよね。女将の主人公への当たりが強すぎて、最終的にもろもろハッピーエンドになることなんかもちろん承知の上で1話切りしたアニメです。  それだったらちょっと嫌だなあと……。  で、冒頭はちょっとその匂いがあって、おっこが若女将になるのを承諾するくだりは割と有無を言わせず……だったのですが、その後はちゃんとおっこが自発的に選んで、周りから何かを強制されない、しかも基本的にはおっこはずっとハッピーなので、良い映画だなあと。  おっこ自身がその責任でがんじがらめになって選択する余地もなく、みたいな映画になってないところが良かったです。  まあ、高校生とかならともかく小学生主人公でそれを描いたら本当に目も当てられない児童労働になってしまうということもあるのでしょうが……。  あと、「中盤までボロボロにされた主人公が最後だけ何となく成長して丸く収まるけど全然プラマイゼロじゃねーじゃん」みたいな王道ストーリーの例として『アンナチュラル』挙げようかとも思ったんですが、  伝わりにくそうなのと私自身もアンナチュラル3話以降観てないのでやめときました。甲子園批判くらいがちょうど良い。

信仰の必要性

 感想記事のラストの、信仰に関する話は、いろいろ持論削った結果だったりします。  この映画を観る前から何となく考えていたことなのですが、  最近の日本だったり世界だったりの、血も涙もなく弱者や少数派や対立する相手を切り捨てることを良しとする風潮って、  資本主義、新自由主義、科学や合理性の観点からではどう論理を組み立てても否定しきれないなと思っていて。  例えば「LGBTは生産性がないから殺すべき」みたいなことを言ったとして、それでLGBTを殺したことでLGBTでない人に何か不利益があるかと言えば、資本主義的にはないんですよね。この考え方を擁護するわけではもちろん全くないですが!  でもドイツのナチスがやったのはそういうことで、それでユダヤ人でない人種に「不利益」があるかと言えばない、むしろ利益を享受できたわけじゃないですか。  さらに極論として言えば、「この国にいる51%の人の税金ゼロにして残りの49%の人権奪って奴隷にします」っていう主張は資本主義・民主主義では通ってしまう。  そして、今、安倍首相やトランプ大統領がやっているようなことは、それをもう少しマイルドにしたものでしかない。  で、そういう自己本位、実力主義、自分が勝ち馬に乗れれば負け犬は皆殺しで問題ない、という考え方が、インターネットで本音が好まれるようになってますます増長しているし、  それに対して「いや、LGBTも生産性あるよ」とか「だったら安倍首相も子どもがいないから生産性ない」とかは、  結局その論理に乗っちゃってるから否定できてない。  「生産性があってもなくても人間は生きていていい」という結論を導く必要があって、  それは資本主義や民主主義というところに立っている人間にはどうしようもないのだけど、  宗教や信仰といった、人ならざるものの力を借りることで初めて導くことができる。  「神様が人類はみな平等と決めたから」と言えば、それで全て解決するし、むしろそれ以外で解決できない。  それが合理的ではないという人もいるかもしれないけど、じゃあ逆に、弱い人間は殺してもいいなんていうあり得ない意見を否定するために、それほどのことをしないと導けない方がおかしいというか、  本来は理屈なんかいらないはずなんです。それでもそこに理屈を求めてしまう人間の弱さを助けるために信仰や神の存在がある。  で、『若おかみは小学生!』はまさにそういう映画だったんじゃないかと。  おっこに対して何かを強制する権利のある人間は、生きている中にはいない。  でも亡くなった両親と、温泉の言い伝えがあるから、おっこは前に進めるし、それは他人の言葉に支えられてのものであったとしても、それも含めて自己の強さと言ってしまって良いだろうし。  ラストシーンの、おっこのトラウマの克服って、  例えば「今までライバルだった真月に叱咤激励されて」みたいに着地させることもできたと思うし、むしろその方がすごく王道っぽい。  でも、そういう映画だったら私はボロクソに叩いてましたね。その方がウケは良いのかもしれませんが、そうじゃない、というのが新しいし素晴らしいと思います。  現実社会の話に引き戻すと、  だから今の日本社会がこんなに息苦しいのも要するに無宗教な人が増えたからなのでは……とか、  自分のこの矛盾(他人を否定したくないけれど他人から否定されたら否定し返したい、など)はもしかしたら信仰によって解決するしかないのではないか……とか、そういう話です。  だからといって現代に信仰が広まることもないでしょうから、  その点でも『若おかみは小学生!』は理想の世界の話だし、ファンタジーだなあと。  でも、ファンタジーにわざわざ現実の息苦しさと絶望を持ち込んで、子供に夢を見させまいとする数多の映画より、こっちの方が世界にとってポジティブに作用してくれるでしょうから、もっと増えてほしいですよね。ディズニーは『ズートピア』でとっくにそれを達成しているので、日本アニメでも。 ...

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映画・音楽・小説の感想 4年前

『若おかみは小学生!』感想。「誰も傷つけない”のに”面白い」という新しい王道

前書き

 映画『若おかみは小学生!』を観た。  新海誠監督をはじめとして各方面から大絶賛されているこの映画。 http://twitter.com/shinkaimakoto/status/1043917476608626688  ストーリー、キャラクター、美術、音楽、どこを取っても魅力に満ちていて、過不足なく、子ども向けアニメ映画の新たな傑作であることを疑う余地はない。  ただ、そのクオリティの高さについてここで私が書く意味は、正直ないだろう。  それで観に行こうと決める人は、もうとっくに観に行っているはずだし、既に観に行った人であれば、もう散々その手の語りは見飽きていることだろう。  そこでこの記事では、この映画のウェルメイドな部分ではなく、いかに「新しい」かということにフォーカスしたい。  言い換えれば、「王道映画」「ポスト宮崎駿」と聞いて、興味を持つどころかむしろ観る気をなくした層に向けた感想。  なぜなら私も、「ポスト宮崎駿」という持ち上げられ方を目にして観に行くことを躊躇った側だからだ。    なお、この記事でストーリー上のネタバレはなるべく避けているが、テーマにはかなり言及しているので、できれば観に行ってから読んでほしい。  

あらすじ

小学6年生の女の子おっこは交通事故で両親を亡くし、祖母の経営する旅館「春の屋」に引き取られる。旅館に古くから住み着いているユーレイ少年のウリ坊や、転校先の同級生でライバル旅館の跡取り娘・真月らと知り合ったおっこは、ひょんなことから春の屋の若おかみの修行を始めることに。失敗の連続に落ち込むおっこだったが、不思議な仲間たちに支えられながら、次々とやって来る個性的なお客様をもてなそうと奮闘するうちに、少しずつ成長していく。 若おかみは小学生! : 作品情報 - 映画.com
https://www.youtube.com/watch?v=AtUJn7Lp6Yc  

「悪役」がいない、全ての人間が肯定される世界

 この映画の一番の魅力であり革新は、何と言ってもこの1点に集約される。  この映画には「悪人」がいない。  そして同時に、変わった人や未熟な人であっても、その個性を誰かが否定するようなシーンは決して描かれない。    両親を失ったおっこが引き取られた旅館・春の屋で働く人たちの中に、おっこに厳しくあたるような人はいない。  全員がおっこを可愛がってくれるし、おっこに対して責任を押し付けたりするようなシーンもない。  ライバルポジションの「ピンふり」こと真月も、「春の屋のライバルである豪華旅館の跡取り娘」という設定から想起される、いわゆる「嫌ないじめっ子」のイメージとはかけ離れたキャラクター像で描かれる。自分の旅館と周りの街を盛り上げるべく努力している。  全てのキャラクターが自分の信念を持って生きている。あらゆる言動には理由があり、それは決して他人を陥れるためのものではない。    例えば、「主人公が旅館の若女将に」という設定であれば、  「厳しい女将が主人公の一挙手一投足を叱る」「主人公が若おかみの過酷な仕事に耐えられなくなって逃げだしたくなる」などといったシーンが挿入されそうなものだが、そうなっていない。  もちろんお客様に対する接客の心の大切さ、みたいなものは出てくるが、例えば「時々敬語が抜けてしまう」「バランスを崩して転んでしまう」みたいな小学生らしいミスに対して、合理的でない伝統や礼儀作法を理由に細かく叱るシーンは、全くない。  それらのおっこの純真無垢なキュートさは、無礼や世間知らずといった欠点ではなく、あくまでおっこの持つ魅力として常に肯定され、それは旅館に対してもプラスに働く。  「自分で若女将を選んだんだから」みたいなことを言って追い詰めたりもしないし、おっこがお客様と喧嘩してしまうシーンでさえも、おっこのことを立場を理由に怒鳴りつけて、答えを強制することはしない。  そしておっこもまた、経緯は半ば成り行きであっても、若おかみの仕事を純粋に楽しんでいる。  

乗り越えるべきものは自分の中に

 倒すべき悪や乗り越えるべき壁が出てこない、ということが、平坦で盛り上がりに欠ける物語を意味すると考える人もいるかもしれないが、当然そんなことはない。  春の屋でおっこに訪れる出会いと別れは、その1つ1つに意味があり、おっこを成長させていく。それぞれのエピソードにはピンチとカタルシスがあって、もちろん物語としても面白い。  むしろあらゆる登場人物が敵意や悪意を他人に向けないことは、おっこが、乗り越えるべき自分の弱さを自力で発見していく物語であることを、より強固にしている。  自分の未熟さや失敗は、他者から責められたり追い詰められたりするのではなく、おっこ自身が自発的に気づく。  そして、他者から無暗に攻撃されないおっこもまた、他者を攻撃しない。  全員が優しい世界だからこそ、おっこも、そして観客もそうあるべきだということに説得力が生まれる。    それは他のキャラクターも同じだ。  真月もクラスで浮いてはいるが、周りの子を見下したりはしないし、よくあるライバルキャラクターのようにおっこの足を引っ張ったりしない。  同時にクラスメイトも真月を本気で嫌ったりしていない。努力家な部分はきちんと周囲から認められているし、奇抜な服装もそれを理由にいじめられたりはしない。  「何でもかんでも頑張らなきゃいけないって考え、僕、嫌いだね」と言っておっこを怒らせるあかねでさえも、その考えを改心するような何か酷い罰を受けたり、また明確に自分の考えを改めるシーンが出てくるわけではない。  おっこも、真月も、旅館に来る客も、誰も間違っていないし、だから誰も他人を責めない。誰かを否定する権利は誰にもない。  

王道を更新する映画

 「主人公が悪い奴に苦しめられるが、主人公が我慢できる/受け入れられるようになる(成長する)」  という物語は、映画に限らずあらゆるエンタメで用いられる王道だ。  いわゆるスポ根漫画なんかを想像してもらえたらわかりやすいと思うし、現実世界でもそういう「苦労人のサクセスストーリー」はもてはやされる。  だが私はこのテンプレをなぞる物語が大嫌いだ。  何故ならこのストーリーは、「悪いのは悪い奴の方」なのに「主人公が我慢することが正しい」というメッセージを打ち出してしまうからだ。    主人公に振りかかるあらゆる困難の原因は主人公自身にあると考えることを求めながら、主人公に困難を与える存在たちにはその自己犠牲が求められないという矛盾。  「社会にはどうしようもなく悪い奴がいて、その人たちが改心することは絶対にないから、主人公(観客)が我慢して一方的に不利益を被ろうね」という教訓は、  それがたとえ現代社会を生き抜くための現時点での最適解であったとしても、  フィクションが描く世界の在り方としてあまりにも後ろ向きで、絶望に満ちているし、  実は「善人と悪人はそもそも違う人種である(そして主人公や観客は善人である)」という、差別的で醜悪な考え方を無意識下で前提としている。  主人公は善人だから、悪人から悪意を向けられても慈愛の心で返すべき、という自己犠牲の強要。    例えばディズニー映画が『シュガー・ラッシュ』『ズートピア』といった近年の作品で、そのように善悪を二分する世界の見方に異を唱え、アップデートを目指していることに反して、  このストーリーモデルは(私にとっては残念なことに)現代日本で未だに強く支持される"王道パターン"だ。  しかし、この『若おかみは小学生!』という映画は、このパターンを、正面から明確に否定している。  だからこの映画は全く王道ではないと思う。少なくとも王道として一般的に想起されるストーリーとは全く異なるものになっているはずだ。    安易な悪役なんか出さなくても、面白い物語は作れる。  苦労や苦難、辛い経験をしなくても、人間は成長できる。  それは現実世界で例えるなら、「青春を捨てて部活に励まないと生徒は成長できない」「炎天下の甲子園で野球をしている姿でないと観客は感動できない」と(自覚的でないとしても)主張して高校野球やその他の懲罰的な学校活動を擁護する大人たちとは明らかに一線を画しているし、  子どもが夢見るフィクションの世界だからこそ、子どもにある種の「呪い」を押し付けるような作品には絶対にしない、という、作り手の強いこだわりを感じられる。    この映画が「ポスト宮崎駿」だというのも、正直あり得ないと思う。  価値観が大きく多様化し、「こうすれば正解」という万人に当てはまるモデルケースが存在しない、  人生における幸せの形も成功の定義も、そこへ続く道も、一人ひとりが違う方法で探さなくてはならなくなった、  新しい時代の子どもに向けた映画としてこの作品はあり、  「自己を犠牲にして我慢し続ければいつか報われる」などという古臭い道徳を押し付けるこれまでの王道をはっきり否定し、アップデートしている。  

理想の自分を支える"信仰"

 その世界に暮らす全員が、他者に敵意を向けないからこそ、それぞれが、他者からの強制ではない形で自分の中の弱さに向き合う世界。  では、その前提が崩れた時、つまり、誰かが明確に他者を傷つけたことで、傷つけられた人もまた外の世界に対して敵意を向けてしまう、その連鎖を止めるのは何か?    他者を許す、他者を受け入れるという行為は、人間にとってそう簡単にできるものではなく、誰もが自分の力でそれを乗り越えることは難しい。  そして、それを他の誰かが助けるのも難しい。  女将だろうと親だろうと教師だろうと、その誰もが一人の人間で、感情を持っていて、だから説得力がない。何かを棚上げし、自分の弱さを取り繕って嘘をつかないと、他者に怒りの感情を否定することができない。  だからこの映画は、おっこのそういった怒りや悲しみや恐怖を、直接否定し、無理に乗り越えさせようとする人物が出てこない。みんながおっこの感情に寄り添おうとし、それでもおっこは常に自分自身の決断としてそれを乗り越えていく。  劇中の最後の客との関わりの中で、その強さが、それでも限界を迎えてしまう、その時におっこを支えるのが「信仰」だ。
花の湯温泉のお湯は、誰も拒まない。すべてを受け入れて、癒してくれるんだって
 映画を観た人であれば理解できるだろうが、  この一見するとただの言い伝え、迷信のように思える言葉が、おっこの精神的な支えとなる。  それはまるで(日本でよく使われる批判的な意味ではなく、正しい意味での)宗教、信仰だ。  
監督: 高坂希太郎氏コメント (前略) この映画の要諦は「自分探し」という、自我が肥大化した挙句の迷妄期の話では無く、その先にある「滅私」或いは仏教の「人の形成は五蘊の関係性に依る」、マルクスの言う「上部構造は(人の意識)は下部構造(その時の社会)が創る」を如何に描くかにある。 キャスト・スタッフコメント|映画「若おかみは小学生!」公式サイト
 より善く生きていこうとする強さを持った人に、最後の最後で拠り所にできるものがあること、信仰、倫理、宗教、それらの意味はここにあるのではないか。     ...

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